伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

西本願寺前の石畳

2024年11月11日 | 京都
西本願寺門前の東側、
西本願寺へと続く「正面通り」が石畳風の舗装に生まれ変わったという。
京都新聞に掲載されていたので、行って写真に撮って来た。





私の大好きな西本願寺伝道院の真ん前の通りである。
そこが新たに舗装されたのだ。
堀川通東側から伝道院の前を越して全長数百メートルもあるだろうか。
烏丸六条と烏丸七条の真ん中あたり、
堀川通と新町通までの東西の道が正面通りである。




正面通りとは元来、
本願寺(当時)から豊臣秀吉を神として祀る豊国神社へ通じる通りであった。
豊国神社は京都市東山区の、今は京都国立博物館の北側にある。
大和大路通に面している。

正面通りは、昔は本願寺前・堀川通から大和大路通までを貫いていて、
豊国神社へ参る際の大通りであった。
「正面通り」という名称は、豊国神社の正面、という意味であった。




しかし徳川家康が1602年・本願寺教如上人の時、
烏丸七条に寺地を与え、東本願寺とした。

ここに本願寺は西と東に分かれ、
そのため正面通りは東本願寺が出来たため分断された。
正面通りを分断する形で烏丸六条と烏丸七条間に東本願寺を建てたのである。

さらに東本願寺の東に東本願寺飛び地の渉成園があるため、
正面通りは、今は堀川通から新町通までと、
東本願寺を挟み、
渉成園のある河原町通りから大和大路通までと分かれて存在している。

正面通りが分断され衰退したので、
豊国神社も秀吉を祀っている割にはあまり知られない神社になってしまった。







正面通りは歴史の数奇な経緯によって複雑な運命を辿ったのである。
一般的には小さな狭い通りなので、京都人にさえあまり知られていない、
マイナーな通りだ。
東本願寺が建てられたため、お東の西と東に分かれてしまい、
それまでの大通りが名もない狭い道になってしまったのである。


その正面通りが堀川通から東中筋通あたりまで、
このたび石畳風に舗装されたのである。
(西洞院通までは伸びていなかったと思う)




舗装は旧植柳小学校跡地に建てられたホテル前60mのみの予定だったが、
西本願寺総門前まで伸ばしたいと門前の仏具店主らが、
クラウドファンディングで資金を募り、延長させたのだという。
(京都新聞より)

↓有料記事(>_<)
https://x.com/isabeau38155532/status/1853616564354121812




行ってみると予想通り、私の大好きな伝道院の前もちゃんと舗装されている。
「石畳風」というから石畳そのものではないようだが、
以前はコンクリートの普通の道路だったので確かに風情がある。


東から西へ向くと西本願寺総門が見え、まわりは仏具屋だ。



前より格段に歩きやすくなっているし、
回りは仏具屋さんばかりだし、
何なら東山区の高台寺付近のねねの道くらいな情緒である。
(言いすぎ?)


ただ今はあまり人に知られていないので、
というか西本願寺門前は観光地ではないので、人通りは少ない。
しかし伝道院を含め、門前の仏具屋の佇まいといい、
街並みは雰囲気があるので観光の穴場として、
これから賑わうのではないだろうか。
穴場としておくのは勿体ない。
伝道院びいきの意見かもしれないけれど💦。




いや、でも写真映えすると思うけどな。







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