石崎光瑶(こうよう)という画家はまったく知らなかった。
名前を聞いたこともなかったが、例によって招待券をもらったので、
京都文化博物館で開催されていた石崎光瑶展へ行って来た。
京都文化博物館
https://www.bunpaku.or.jp/
生誕140年記念 石崎光瑤こうよう
Date2024.9.14(土) 〜 11.10(日)
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/20240914-1110/

石崎光瑤(1884〜1947)は
鮮やかで色彩豊かな花鳥画を描いた近代京都の日本画家だという。
富山県に生まれ、登山家として立山などを登り、
山や草花などをスケッチしていた。
京都に出て竹内栖鳳に入門して腕を磨き、
また32歳でインドへ旅し、その成果を絵に描き、
文展などで入選し注目を集めたのだという。
まったく画家を知らない状態で見に行ったが、
その華麗な作風には目を奪われた。
また光瑶は私の父と同じ同郷だったこともあり、ちょっと親しみを感じた。

緻密な写生から展示が始まっていて、
昆虫(蝶やトンボ、かまきり)のまるで図鑑のような写生画があった。
山の草花や、鳥(鷺や孔雀)の写生画も日本画家らしく、
とても細かくて繊細で真面目な性格を表しているようだった。
登山家として立山へ登った時に山並みを細い線でスケッチしたり、
高山植物をスケッチしたりした写生帖が展示されていて、
それでそのうち画家を目指したのかもしれない。
鳥類にも関心があったようでインコや孔雀、カラスなどを多く描いていた。
もちろん草花類の写生も多くあった。
日本画の基礎かもしれない。
32歳の時インドへ向かい、それが画家としての転機となったようだ。
(のちにヒマラヤへも行きヒマラヤ登山をしたそうだ)

光瑶の作品は華麗で絢爛豪華。
展示室に入るとまるで森の木々のシャワーを浴びるような、
木々の中に彷徨いこんだような気がするのだった。
それは写生や写実ではなく、
光瑶の理想の世界を具現化しているのだと思った。

師の竹内栖鳳は自分の画風を受け継ぐのでなく、
弟子たちにはそれぞれの個性を大事にという方針だったそうだ。
そのため光瑶は自身の思い描く絵画世界を追求出来たのだろう。

「熱国姸春」や「燦雨」という作品はインド旅行によって、
異国の自然に触れ、その体験をもとに描かれたようだ。
むせかえるようなジャングルが上質の絵の具で色鮮やかに描写されていて、
胡粉が盛り上がっている箇所もあった。
「燦雨」では熱帯にスコールが降ってくるさまを
斜めの白い線で画面を埋め尽くし描写していた。

左隻

右隻
孔雀が好きだったようで、スケッチや写生画にも多く描かれていたが、
孔雀の華麗な羽根が描き甲斐があったのだろう。

「白孔雀」という作品は
目も鮮やかな白い孔雀の羽根が目に飛び込んで来て、眩しいくらいだ。
光瑶の華麗な画風が、伊藤若冲への興味に向かったのだろう。
若冲にシンパシーを感じたようだ。
まんま、若冲を模したような作品もあった。
雪の描き方に影響を受けている。
かなり(若冲を)研究したそうだ。

若冲に自身と共通する華麗さを見出したのだと感じた。
4階展示室は撮影OKだったようだが、
絵を見るのに集中していて全然知らなかった(>_<)。
それで実物の写真を撮ることは出来なかった。。
光瑶はまた、金剛峯寺の襖絵も描いたようで、
3階の一室は襖の展示室になっていた。

日本画の襖絵の特徴の余白を活かした上品な襖絵だった。
晩年(1944年)の「聚芳」という花かごを描いた作品は、
西洋絵画の静物を描いた絵画を思い起こさせ、
共通するものがあるように感じたが、
光瑶の写実技術を結晶させたものだと思った。
まったく名の知らない画家だったが、
その絢爛たる作風に圧倒された展覧会だった。
このような確かな力量を持つ画家が、
まだまだ人にあまり知られず日本にいることを改めて知った。
知られざる画家を発掘するという意味でも意義のある展示だと思った。



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