10月20日日曜日、 午前中に主人と一緒に竹の寺・地蔵院に拝観した私達は、お昼までにまだ少し時間があったので、こちらも前から行ってみたかった足利尊氏縁のお寺「等持院」にも行ってみる事に(*^ー^)ノ♪
等持院は臨済宗天龍寺派の寺院で、暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建された。
私達は達磨図を暫し眺めた後、書院の部屋へと入って行った↓
書院の縁側がこちら↓
芙蓉池と方丈北背の小高いところに、ひっそりと落ちついた姿で建っており、控え目な侘しいたゝずまいを見せているのが、茶室「清漣亭(せいれんてい)」↓
茶室「清漣亭」を間近で眺めた後、庭園を散策して行く(*^。^*)
方丈の北庭の東には、心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池庭)がある↓
半夏生(三白草)が咲く夏至の頃のこの庭の風景が良いらしい(^^)d
庭園には、所々に紅葉した楓も見られ、紅葉の時期に訪れても綺麗だろうなぁと思ってしまった🍁
このスポットも風情があって素敵だった(*^。^*)
こちらは、室町幕府の初代将軍足利尊氏のお墓↓
等持院も、直前に訪れた地蔵院と同様こじんまりとしたお寺ではあるが、室町幕府を代表する作庭家・夢窓疎石が手掛けた日本庭園が素晴らしい寺院だった✨
等持院は、龍安寺や仁和寺、金閣寺が点在しているきぬかけの道を少し入った所にあるのだけど、京都の道路は狭くて一方通行が多い為、ここでも散々迷ってしまった😵💧
仕方ないのでお寺に電話して道案内をして貰い、漸く辿り着いた(^-^;
こちらが等持院の山門↓
等持院は臨済宗天龍寺派の寺院で、暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建された。
後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となったとの事。
山門を潜ると直ぐに境内の入り口である「庫裏(くり)」があり、靴を脱いで建物の中へと入って行く。
庫裏の入り口を入って直ぐの様子がこちら↓
向かって左側の受付で拝観料を払って御朱印を頂く。
入り口の右側には、お目当ての「達磨大師」が描かれた「達磨図」が↓
これまでにも、天龍寺等色んな禅寺で達磨図を見た事があったが、等持院の達磨図が一番大きくて迫力があった✨
私達は達磨図を暫し眺めた後、書院の部屋へと入って行った↓
書院の縁側がこちら↓
西庭を一望出来る✨
書院から眺める庭園(西庭)は芙蓉池と呼ばれており、西方寺や天龍寺、等持院の前に拝観した地蔵院を手掛けた夢窓国師作として伝えられる。
書院から眺める庭園(西庭)は芙蓉池と呼ばれており、西方寺や天龍寺、等持院の前に拝観した地蔵院を手掛けた夢窓国師作として伝えられる。
寒の頃から春先にかけ咲きはじめる有楽椿(侘助)、初夏のさつき、七月頃からのくちなしの花、初秋の芙蓉の花などが見頃の時期に訪れるともっと素敵な光景が楽しめると思う👍
芙蓉池と方丈北背の小高いところに、ひっそりと落ちついた姿で建っており、控え目な侘しいたゝずまいを見せているのが、茶室「清漣亭(せいれんてい)」↓
風情があって、日本昔話の世界の様だった✨
村田珠光や相阿弥らと茶道を興じた義政の好みと伝える清漣亭は、上段一畳を貴人床とする二畳台目の席で、この上段一畳に坐して望む芙蓉池苑はまた格別であるのだそう👍
茶室「清漣亭」を間近で眺めた後、庭園を散策して行く(*^。^*)
こちらは、庭園から見える書院の様子↓
庭園の中程には、石塔と和歌が書かれた石碑もあった↓
方丈の北庭の東には、心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池庭)がある↓
半夏生(三白草)が咲く夏至の頃のこの庭の風景が良いらしい(^^)d
庭園には、所々に紅葉した楓も見られ、紅葉の時期に訪れても綺麗だろうなぁと思ってしまった🍁
このスポットも風情があって素敵だった(*^。^*)
こちらは、室町幕府の初代将軍足利尊氏のお墓↓
等持院には、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されているのだそう✨
等持院も、直前に訪れた地蔵院と同様こじんまりとしたお寺ではあるが、室町幕府を代表する作庭家・夢窓疎石が手掛けた日本庭園が素晴らしい寺院だった✨
私が行った時期は、方丈が修復中で見られなかったり、お花の見頃は過ぎていて紅葉にも早かったので残念だったが、拝観するならばホームページをチェックしてお花か紅葉の時期に訪れるとより素敵な光景に出会えると思うよ👍
御朱印ゲット✌️
所在地:京都府京都市北区等持院北町63
TEL:075-461-5786
営業期間:9:00~17:00
交通アクセス:(1)JR京都駅から市バスで35分