風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

母の入院・私の入院

2015年12月02日 | 明るい介護生活
母の入院時から「炎症が落ち着いたら自宅で看護したい」と訴え 病院側も承知していたが

入院から6日後 中心静脈カテーテルを入れた直後から微熱が続き 熱について問うと「腫瘍熱」との回答

口を開けたままの呼吸を続け 声を出すことが困難になり「水を飲ませたい」と訴えたが「誤嚥があるから禁止」と言われ 

入院して点滴治療を受ければ回復すると期待していたのが なんだかどんどん悪くなっていく

隣のベッドにいた方に「ここは酷い扱いよ お母さん元気だったのに・・・」と言われ

病院選びを間違えたか・・・ 「ごめんね ごめんね」と答えられない母に詫びた

それを聞き隣の人は「自分を責めないで ここだけの秘密ね」そして自分は転院の予定だと告げた

先生に状態を確認したら「今の状態ではいくら訪看を付けても自宅では無理 近くても移動はリスク」と言われ

治る見込みはないの? 治す努力はしてくれないの? それはこのまま病院で看取れということ?

ここは高齢者内科と同時に『緩和ケア』を謳っている病院だから? 治って退院を期待しているのに。。。


ミトンをはめた手を胸に置き「オバアサン カエル」と声を絞り出して訴えた母

連れて帰れない苦しさ 病院に一人置いて帰る辛さ どうしてこうなったの?  

不安と辛さと寂しさを抱えて毎日病院に通った 確かに疲れていた 

9月に入って食べられなくなり どうしたら?何なら食べられるのかと神経を使った

ぼーっと意識がなくなることがあり 体が起こせなくなり 「入院の必要は?」と在宅の医者に訴えても

「それは介護の問題でしょ! 高齢に寄る老化現象」と突っぱねられ ケアマネに相談し 

ベッドを入れて 在宅を増やし 訪問看護を入れて 吸引機のレンタル 訪問入浴の手配など

何かオカシイ これでいいのか?と思いつつ母の様子を窺い 母の食べ残したもので食事をし

へとへとになっていた 介護で疲れたと言いたくなかったけど 体が悲鳴を上げていた

そして母の入院から2週間 10/23 母を見舞った帰りにまさに倒れてしまった 

お腹に激痛が走り自転車に乗っていられず 何とかスーパーの前に置かれたソファーに体を横たえた

「治まるのかな? 家に帰れるのかな?」フロアの天井を見つめながら

「こんな事あるのかな? この後どうなるのかな?」と想像の付かない状況で救急車を呼んでもらった

「十二指腸穿孔」それから18日間の入院


つづく














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思うこと・・・。

2015年12月02日 | 何となくひとり言

親の介護は濃密な至福の時間である
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