食事

2013-11-17 23:10:50 | まとめ

死別当初、食事を作るのが辛かった。

あの味は出せない。

あの食事は作れない。

食欲だってそれほどある訳じゃない。


さらにうまくないんだなぁ~。

それでも、無理して食べないと生活ができない。

仕事にいけない。

かなり無理して食べたような気がする。

そうやっていたら体重も少しずつ戻ってきた。

テーブルの向こう側やキッチンに立つその姿を見つけてしまう日々は、いつ終了したのだろう。

いつから彼女の姿を探さなくなったのだろう……。

それを理想とするつもりはないが、なんだか楽しく食べられない。

食欲のないときは、ナッツ類をムシャムシャ食べよう。

そう、ナッツを食べてビールで流し込む。

そうやって、私は生き延びることができた(笑)。

悲しみのあまり餓死、なんてニュースはあまり聞かない。

みんな、なんとか生き延びようとするんだ。

生き続けようとする気持ち、自分では気付かないものだが、けっこうあるもんだな。

悲しい気持ちに効く薬なんて存在しない。

自分で何かを見つけ、行動しないと、いつまでも負のスパイラル。

いつかどこかで断ち切るんだ。

えい、やっ! って掛け声掛けて。

意外とやればできるもんさ~。

なんて10年もすれば考えられたりする。

死別当初は考えもつかない思考パターン。

最初は、肉体的にも精神的にも、十分充電が必要。

充電が済んでも、必ずリハビリ期間を設けること。

だって、人生で一番のストレスを受けたのだから。

単位は年で考えよう。





栄養のあるものを摂取しよう。

美味しいものを食べよう。

多少高価でも、高カロリーでも、暫くはいいじゃないか。

だって、美味しいものを食べると笑顔になれるから。


ネットの世界

2013-11-17 23:10:09 | まとめ

もしもあの時、Chikaさんのサイトへたどり着いていなかったら、きっと今の自分はなかったと思う。

本当にお世話になった。
仲間たちとのオフ会やチャット(懐かしい~!)に救われた。

「死別」という同じ経験をした仲間だからこそ話せること、話さなくてもいいこと、リラックスして話すことができた数少ない場所(サイト)だった。

そんな素敵なサイトも、今年の春に閉された鎖。

Chikaさん、本当に今までありがとう。

私のようにあの伝説のサイト(笑)に救われた人って、他にもいると思う。

長い間、本当にありがとう。




ネットの世界は、現実から少しだけ気持ちを引き離してくれるし、当時は自分の感情を吐露できたことが嬉しかった。

もちろん、キーボードをたたきながら涙を流したこともあった。

とにかく、そんな感情の発露する場所が必要だ。

死別初期の段階で、早めにそんな場所が見つかった人は幸運だろう。

私の場合、死別後、3年目位だったかな。

今となっては、もうだいぶ過去のことになりつつある……。

横道にそれるが、死別を経験直後はうつ状態にはなるが、うつ病ではないんだと思う。

悲しみが強いんだから、そうなるのは当たり前。

パートナーを喪って、人生で一番強いストレスを受けているのだ。

一時は薬にたよっても良いではないかと思う。

ゆっくり休んで、充電しよう。

死別という悲しみを乗り越えなと、いくら薬を飲んでも、うつ状態は治らないと感じる。

「乗り越える」という表現が適切でないかも知れない。

「癒す」「断ち切る」「折り合いをつける」「昇華する」「正面から立ち向かう」・・・。

当時私は、自らを病気じゃないか?と思っていた。

集中力がなく、何をやっても亡き妻を思い出す……。

当時は『うつ病じゃないんだ、今は悲しみが強いからこんな風になっているだけなんだ』と思うようにしていた。

10年が経過し、いつからだろうか、「乗り越えられた」のだ。

しかし、油断はできない。いつ何時、なにが引き金になってフラッシュバックするやもしれぬ。

こんな状態はきっとこれからも続くのだろう。

でもその度に、耐久性が増すと考えるようにしている。

きっと、大丈夫。


2013-11-17 23:09:30 | まとめ

今なら、友人達が私から離れた理由がわかる。

特にご夫婦でお付き合いをしていた方々が離れたのもよく解る。

でも、当時は『人間なんて薄情なんだなぁ~』と悲しくなった。

そうではなかった。

解らなかったのだ。

どう対応してよいものか。

どう声を掛けたら良いか。

・・・そう思いたい。







友人は私から離れていった。

でも新しい「友」と巡り会えた。

それは、同じ死別経験のある方々。

彼らには今でも良くしてもらっている。

とても大切な人たちだ。

彼らと会ったり、メールを交換したりすると、元気になれる。

何故かはわからない。

きっと、同じように苦しい経験をしてきた仲間(戦友?)だと解っているからだろう。

それから、「本」。

死別関連の書籍は、20冊近く読んだ。

読むだけで心が落ち着いた。

一番の成果は、『自分自身を冷静に見つめることができるようになった』ことだ。

また、体験談を読んで涙することも悪くない。ただし、電車の中で読むのは気を付けよう。

40過ぎのオッサン(私、ね)が思わず涙ぐんだりした姿は、あまり見せられたもんじゃないから。

死別の研究書みたいなものもあったけど、自分に合わないと思ったら、途中で放棄することもアリだ。
勉強ではないので、無理して読む必要なし。そんな時は、いかりや長介のように「次、いってみよ~」が良い。

「音楽」

死別当初は、完全拒否状態だった。

車の中では、ラジオもスイッチを入れなかった。

が、3年後位からはなんとか聴くことができるようになったかな。

死別直後から3年位は、音もなし、色もなし、温度もなし、臭いもなし、・・・のような状態だった。

それを思えば、今はなんでもあり状態(笑)。

そして、週末ランナーには音楽が必需品。
バッテリー切れになろうもんなら、走行終了後のご機嫌は斜め。
今の悩みは、ランニング中に使うイヤホンが欲しい。
そう、できるだけ耳から外れないタイプをご所望。
後方確認したりすると、ずれちゃうこともあるんだなぁ。

暑さ寒さを感じられる今は本当に素晴らしい。

音楽の趣味や好きな傾向は、昔も今もそれほど変化がない。





今、音楽を聴くことが辛い方へ。

そんなときは無理して聴くことはないよ。

だって、聴きたいと思わないんだから(笑)。

ゆっくりで良いのです。

きっと、時間が解決してくれるでしょう。

また昔のように音楽が楽しく聴くことができるようになるさ、きっと。






友は去り、新しい友を得た。

何かを喪うと、何かを得るのか。


ならば、大きな大きな存在の妻を喪った私は、一体何を得るのか?


仕事

2013-11-17 23:08:47 | まとめ

妻の葬儀後、1週間の休みを終え、職場へ復帰した。

当時は、商品部で仕入を担当していた。

ほぼ毎週の発注業務とそのフォロー。

朝から晩まで仕事、仕事、仕事。

仕事に関しては、人生で一番乗りに乗っている絶頂期だったと思う。

復帰する前から『このままこのポジションでいいのだろうか?』『もしかしたら、迷惑をかけるんじゃないだろうか?』と殊勝なことを考えていた。



就業時間に合わせた日常が開始された。

帰宅は早め。

帰宅するだけで、もうそれだけで良かった。

娘やおばあちゃん(実母)が安心するのだ。

こんな私でも帰宅を待っていてくれる人がいる……。

それが唯一の救いであったのは事実。

待っている人がいなければ、もしかしたら、今この世に私の姿はなかったと断言できる。

帰宅が早くなる。

そうなると、いくら仕事の質を上げ効率化を考えても、『周囲の眼』が色々と気になる。

さらに余計なことまで考える。

当時働いていた職場には労働組合があり、そのS委員長にも相談した。

が、予想以上に残念な対応であった。

期待はしていなかったが……。

裏切られたという思いはなかったが、勉強させてもらったと今は感謝・感謝。

結論は考え抜いて自分自身で出すことにした。

 

 

数か月後、異動の願いを出した。

総務関連のポジション。

当時、辞めそうな人事担当者の後任がいなかったことも幸いした。


当時は、目の前のことしか解らなかった。

少ない情報の中で結論を出さなければならず、信頼できる人は残念ながら社内にはいなかった……。

もし、以前上司だったN氏がいたら、と何度か思ったが既に転職していた。

異動先でうまくいかなかったら、定時であがれる仕事へ転職していたと思う。

あの時点で、働き方も変わった。

社内での人間関係も変わった。


仕事に対しても、ガツガツとした感じではなくなった。
妻が生きている間に気付けばよかったと反省もした。

人生のターニングポイントであり、仕事は変えざるを得なかった大きな大きな出来事だった。

もしかしたら、あの時、異動を申し出なくても良かったのかもしれない。

そんな風に最近になって思う。

不思議なことだが、当時より今の方がそんな風に思える。

無理して変える必要はなかったのかもしれない……。

流されてみるのもいいのかもしれないと思う。

その後、転職。

新しい職場では、私の身の上に起こったことなんて現実味を帯びていない。

情報としては知っていても、それほど親しくしている訳ではないので、『そうですか』って感じ。

なので、甘えるつもりも毛頭ない。

が、それにしても手加減なし(笑)。



それを承知で、新しい環境を選ぶなら、それもまたよし。

新しい職場にはそれ相応の思い入れがあるけど、長い年月を過ごしていないので、以前の職場と比較して色々を考えてしまう。

 

まぁ、それなりに大変だけどね~。


2013-11-17 23:08:03 | まとめ

我慢しつつも、夜一人になると泣けて仕方なかった。

五感で亡き妻を探してしまった。

いるはずがないのは十分承知しているのだが、どうしてもいつもいた場所や好きだった音楽、妻の持ち物などなど。

そこに妻の姿を見つけてしまう。

そして、当然のことながら見つからない。

また、落ち込む……。

まさに『負の連鎖』。

どこでも断ち切ることができず、落ちるところまで落ちて行った。
 
 

 

 

 

 

 

それでも仕事場へ着くと、泣くわけにもいかず、まぁ、それなりに平常心を装う。


    

 

しかし、日常生活にはトラップがたくさん仕掛けられていて、まんまとその罠に嵌る。

(T_T)

引き金は言葉であることが多かった。

CMやTV番組の「おかあさん」って一言で、もうウルウル~。



娘の前では泣かないと決めた。

一人になると泣いた。

たくさん泣いた後……

『その涙は誰のため?』

『誰のために泣いているの?』

なんて声が聞こえたような気がした。

もしも、妻と私の立場が逆だったらと真面目に考えた。

どう考えても、その方が良かったはずだ(笑)。

それでもそうはならなかった。

時間が逆戻りしたり、私と妻が入れ替わることはなかった。

誰のために泣くのか?

妻の無念さを思って?

娘への申し訳ないといった感情?

自分の身の上に起こった現実の深刻さ?

なんで?という得体のしれない理不尽さへの怒り?





泣くほどに悲しみは深くなるのと同時に、何か別の感情が沸き起こってくるのが分かった。

なんだろう?

癒されるというか、許されるというか、気持ちが楽になるというか……。

こうやって徐々に傷は癒えて行くのだろう。

だから、当時もっと泣くべきだったと今後悔している。

もっと泣いておけば、もしかしたらもっと早く今回のような行動が起こせたかもしれない。

男性も女性も関係ない。

年齢や社会的立場、世間体なんてどうでもいい。

大切な人を亡くしたら、泣いてもいいんだよ。

思いっきり泣こう。

 

10年経った今でも亡き妻を想い、涙を流すこともある。

が、それはきっと『その場に立ち止って、悲しみに暮れなさい』ということではない。

 

きっと、「何か」を洗い流しているんじゃないだろうか。

「何か」は人ソレゾレ(笑)。

洗い流した後は、きっと身軽になるだろうし、キレイになれる。