週末ランナー ~祝日編

2012-11-24 23:26:05 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

“伴走者” を得てから、

走り出すまでの躊躇がなくなった。

少しくらい寒くても平気だ。

もう少し早く使えばよかったと反省。

 

昨日の伴走者は(いや、「も」だな)スガシカオのアルバムだった。

聴きながら走った。

途中、目から汗が出てきたことも何度もあった。

走りながらだから、

歌詞の意味を深くかみしめながら聴いている訳ではない(スガさん、ごめん)が、

ちょいちょい心にしみてくる言葉が飛び込んでくる。

そうすると、目から涙が・・・。

ちがう、ちがう、汗だ、汗。

 

 
 

  
そんな時間がこの上なく嬉しく、待ち遠しい。

そして、貴重で贅沢な時間だと感じる。

 

妻の死別から10年が経過し、11年目に突入。

振り返ってみると、いろいろあったなぁ~

死別直後は、娘が通っていた幼稚園のおゆうぎ会だった。

最後まで見られず、幼稚園を出てしまった。

そして、卒園と小学校入学。

授業の参観日には必ず出席した。

中学校へ入学すると、部活動の送迎が土日に入るようになった。

特別、やることもない週末だから、それなりに楽しかった。

待つのは退屈だったが、娘の部活を楽しそうにしている姿を見ることができた。

そして、高校受験。

親としてやれることは精一杯やったつもりだ。

高校へ入学。

最近は、以前ほど言葉を交わさなくなった。

こちらが声をかけても返事はなかなか帰ってこない。

きっと、父親がウザったい時期に入ったのだ。

まぁ、それも反抗期だと思えば、そう悪いもんじゃない。

 

こう考えてみると、いつも愛娘中心に生活がまわっている。

そして、その娘ももう暫くすると受験か・・・。

 
 


娘は自分の人生を一人で歩みだす準備ができつつある。

そうなると、残るは私自身。

いや、もちろん母親(実母)の介護は私の責任。

やることは覚悟している。

だからといって、私自身のこれからの人生だって大切。

もっともっと充実したものにしたい。



まだ、間に合うかな。

 

死別10年後、こんな風に考えているなんて誰が想像しただろう。

まさか自分が転職したり、週末走ったり、

・・・10年前はまったく想像できていない。

まぁ、それくらい『死別』という悲しみから復活しつつあるんだろうね、きっと。

私はここまでくるのに10年を費やした。

この精神状態までくることができた。

人によっては5年で、3年で、同類の悲しみを乗り越える人もいるのだろう。

5年前の自分だったら、他人と比較しただろうなぁ~。

今の自分は、ここまでこれただけでも凄いと思う(自分を)。

10年経過しても、ほぼ毎日妻を思い出す。

正確に言うと、『 感じる = feel 』だな。

「ほぼ」というのは、思い出さない日があったかどうかを覚えていないから。

もしかしたら、一日のうちで一度も思い出さないこともあるかもしれない。

(仏壇に向かう日は思い出しているが、それは除く。)

思い出すという行為には、悲しみの含量が徐々にではあるが少量になりつつある。

最近は、3~5%以下の日が多いと感じる。

いつか、娘も巣立つ。

そろそろ自分自身も大切にしてやろう。

だって、自分で自分を労わらないとね。

 

明日、天気が良ければ、

午前中は週末ランナーになろう。

 

伴走者は、未定。

 


最近の心理状態

2012-11-13 23:06:22 | 日記・エッセイ・コラム

なんだか最近、落ち着かない。

 

ココロの中がザワザワする……。

 

これも命日が近いからだろうか。

 

 

もうすぐ10年目。

 

 

よくここまで頑張ったなぁ~、自分(笑)。

 

 

死別という大きな大きな傷口は、なんとかふさがったようだ。

 

でもときどきその傷口が疼く。

 

きっと、これから一生忘れないのだろう。

 

 

 

一生忘れないからといって、一生悲しんで過ごすのもゴメンだ。

 

ヒトの気持ちが簡単に割り切れるものではないことは、死別して学んだ。

 

『人並みに幸せになりたい』と思うことは、悪い事ではないと思う。

 

ここまで良く頑張ったと思う。

 

もちろん自分ひとりで乗り越えたなんて、微塵も考えた事はない。

ずっと傍にいてくれた皆さんに感謝である。

 

 

 

最終的に自分自身の人生(残り約40年程度か…)。

 

日々、悔いのないように生きたい。

 

一日一日を大切に、穏やかに暮らしたい。

 

さて、明日の私は何処へ行くのか。