“伴走者” を得てから、
走り出すまでの躊躇がなくなった。
少しくらい寒くても平気だ。
もう少し早く使えばよかったと反省。
昨日の伴走者は(いや、「も」だな)スガシカオのアルバムだった。
聴きながら走った。
途中、目から汗が出てきたことも何度もあった。
走りながらだから、
歌詞の意味を深くかみしめながら聴いている訳ではない(スガさん、ごめん)が、
ちょいちょい心にしみてくる言葉が飛び込んでくる。
そうすると、目から涙が・・・。
ちがう、ちがう、汗だ、汗。
そんな時間がこの上なく嬉しく、待ち遠しい。
そして、貴重で贅沢な時間だと感じる。
妻の死別から10年が経過し、11年目に突入。
振り返ってみると、いろいろあったなぁ~
死別直後は、娘が通っていた幼稚園のおゆうぎ会だった。
最後まで見られず、幼稚園を出てしまった。
そして、卒園と小学校入学。
授業の参観日には必ず出席した。
中学校へ入学すると、部活動の送迎が土日に入るようになった。
特別、やることもない週末だから、それなりに楽しかった。
待つのは退屈だったが、娘の部活を楽しそうにしている姿を見ることができた。
そして、高校受験。
親としてやれることは精一杯やったつもりだ。
高校へ入学。
最近は、以前ほど言葉を交わさなくなった。
こちらが声をかけても返事はなかなか帰ってこない。
きっと、父親がウザったい時期に入ったのだ。
まぁ、それも反抗期だと思えば、そう悪いもんじゃない。
こう考えてみると、いつも愛娘中心に生活がまわっている。
そして、その娘ももう暫くすると受験か・・・。
娘は自分の人生を一人で歩みだす準備ができつつある。
そうなると、残るは私自身。
いや、もちろん母親(実母)の介護は私の責任。
やることは覚悟している。
だからといって、私自身のこれからの人生だって大切。
もっともっと充実したものにしたい。
まだ、間に合うかな。
死別10年後、こんな風に考えているなんて誰が想像しただろう。
まさか自分が転職したり、週末走ったり、
・・・10年前はまったく想像できていない。
まぁ、それくらい『死別』という悲しみから復活しつつあるんだろうね、きっと。
私はここまでくるのに10年を費やした。
この精神状態までくることができた。
人によっては5年で、3年で、同類の悲しみを乗り越える人もいるのだろう。
5年前の自分だったら、他人と比較しただろうなぁ~。
今の自分は、ここまでこれただけでも凄いと思う(自分を)。
10年経過しても、ほぼ毎日妻を思い出す。
正確に言うと、『 感じる = feel 』だな。
「ほぼ」というのは、思い出さない日があったかどうかを覚えていないから。
もしかしたら、一日のうちで一度も思い出さないこともあるかもしれない。
(仏壇に向かう日は思い出しているが、それは除く。)
思い出すという行為には、悲しみの含量が徐々にではあるが少量になりつつある。
最近は、3~5%以下の日が多いと感じる。
いつか、娘も巣立つ。
そろそろ自分自身も大切にしてやろう。
だって、自分で自分を労わらないとね。
明日、天気が良ければ、
午前中は週末ランナーになろう。
伴走者は、未定。