只今、改装中
しばらくお待ち下さい
今朝は少し早く家を出る。自宅から車で5分のところにあるお墓へ直行。
5年前の11月14日に亡くなった妻へのお墓参りを済ませてから出勤だ。
たしかあの日も今日と同じように穏やかで晴れ渡っていたいような気がする(正確には覚えていないのだ)。
「その時」が近付くにつれ、仕事が手につかない。
『まぁ、今日は仕方ないか……』と諦め半分。
午後は打合せに入り、気が付くと「その時」は既に過ぎていた。
今年も何とかやり過ごせた(笑)。
帰宅すると、いつものように愛娘の笑い声が響く。
本日の仕事のストレスが消え去る瞬間。
ここまで来られたのは、みなさんのお陰だ。
本当に感謝、感謝、感謝。
PCのディスプレイを見つめて考える。
が、キーボードを叩く指が意外に重く、考えがまとまらない(笑)。
明日は、5回目の命日。
何事もなくサラリと一日が過ぎてくれればいいと願う。
今日も明日も大して変わり映えのしない一日だろう。
完全復活を目指したこの5年、当初の辛さは何処へ行ったのだろう。
何処にも行っていない。それはまだココにある。ただ、なれただけだろう。
それでも前進していると感じる。
考え始めると、泣けてくる。それは、たくさん泣いてこなかったからだろうか。
涙は封印。でも、コレが良くなかった。泣きたい時は泣けばよいのだ。
たくさん泣いてよいのだ。誰かにそう言われたかった。
気持ちの浮き沈みは、ある程度コントロールできるようにもなった。
映画やテレビのように劇的に変わる出来事もなく、辛い悲しみから救い出してくれる人も現れなかった。要するに、自分でナントカしろという誰かのメッセージなのだろう。
中年サラリーマンが妻の死別からの完全復活を目指した再生計画は、予想以上にその歩みが遅く変化に乏しい過程であった。
が、ココロは着実に「限りなく半解凍状態」であり、復活は近い……。
未来①
娘が成人するまでは絶対に死ねない……。強く、強く、そう思う。
それまであと十数年。
さてさて、その後はどうしよう?
妻と一緒に過ごそうとした「老後」はもう望んでも実現しない。
生きていたらどんな生活であっただろうか。
どんな人生を過ごしただろう……。
妻との生活はもうない。
これからは、すべて自分で決めて、自分でこなす。
なんとも寂しい限りではある。
が、まぁ~気は楽だ(と、思いたい)。
そうだ、いつかイタリアへ行こう。
妻が行きたかったイタリアへ行こう。
トレビの泉へコインを投げに行こう。
その後のことは、帰国したら考えようか。