皆さんもこの人の写真を見たことがあると思います。
「工業写真を専門としていたO.ウィストン・リンクは、1955年バージニア州などを走るノーフォーク&ウェスタン鉄道の撮影を始め、1962年に廃止されるまでの間、アメリカの典型的な田舎の風景の中で、夜間に膨大な光量のフラッシュをシンクロさせ、その驚くべき精緻な撮影方法により、日常と非日常の同居するイメージを創り出し、代表作となる多くの作品を創出しました。」(20世紀の蒸気機関車 清里フォトアートミュージアムより)
私がこの写真を見たのは、ずいぶん昔になりますが、まとめて見たのは、2000年の清里フォトアートミュージアムの写真展でした。最近、突然そのことを思い出して、清里フォトアートミュージアムのホームページを見たところ、この写真展の図録がありましたので購入しました。
http://www.kmopa.com/
http://www2.acejp.com/Shop/shop/shop_3.asp?Co=1&act=show&code=ZK20SL
「工業写真を専門としていたO.ウィストン・リンクは、1955年バージニア州などを走るノーフォーク&ウェスタン鉄道の撮影を始め、1962年に廃止されるまでの間、アメリカの典型的な田舎の風景の中で、夜間に膨大な光量のフラッシュをシンクロさせ、その驚くべき精緻な撮影方法により、日常と非日常の同居するイメージを創り出し、代表作となる多くの作品を創出しました。」(20世紀の蒸気機関車 清里フォトアートミュージアムより)
私がこの写真を見たのは、ずいぶん昔になりますが、まとめて見たのは、2000年の清里フォトアートミュージアムの写真展でした。最近、突然そのことを思い出して、清里フォトアートミュージアムのホームページを見たところ、この写真展の図録がありましたので購入しました。
http://www.kmopa.com/
http://www2.acejp.com/Shop/shop/shop_3.asp?Co=1&act=show&code=ZK20SL
↑同氏のこの本は一時日本でも売っていて買いました。
一回目は清里フォトアートミュージアムの写真展をわざわざ名古屋から見に行きました。しなの1号とあずさ4号を塩尻で乗り継いで行きました。快晴でカメラを持って行かなかった事が悔やまれます。小淵沢の丸政で駅弁を買って食べた覚えが有ります。
此の写真展の終了直後の2001年1月にO・ウィストン・リンクが急死したことでかなり印象に残っています。
此の写真展の図録を買ったのは米国撮影旅行での随伴を務めていてくれた人へのお土産としてです。
清里フォトアートムージアムも大変記憶に残っています。素敵なレストランも併設されていたのですが、今は営業していないようで残念です。