群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)という有名な寓話があります。
パーリー経典ウダーナなどに収められている説話で、ジャイナ教、仏教緒派、イスラム教、ヒンドゥー教などでも教訓として使われています。
この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場します。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、それについて語り合います。しかし触った部位により意見が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まり、やがて互いにはげしく争うようになります。
目には見えぬ像
暗い小屋の中に、一頭の象がいた。見世物にしようと、インドの人達がはるばる連れて来たのだった。目で見ることは出来なかったので、暗がりの中、人々はそれぞれ自分の掌で象に触れ、感じる他は無かった。
ある人は鼻に触れ、「象とは、まるで水道管のような生き物だ」と言った。別のある人は耳に触れ、「いやいや。象とは、まるで扇のような生き物だ」と言った。また別のある人は脚に触れ、「私は象を知っている。あれは柱のような生き物だ」と言い、また別のある人は背中に触れ、「誰も分かっちゃいない。本当のところ、象とは王座のような生き物だ」と言った。
小屋から出て来た人は皆、口々に違う言葉で説明し合った。もしも彼ら一人ひとりが、その手に蝋燭の明かりを持っていたなら、言葉の相違など生じなかったことだろう。
ルーミー「スーフィの寓話」33話
インド産の象は文久3(1863)年春、両国広小路で見世物とされました。この象は江戸中の評判になり、十数組の象錦絵が飛ぶように売れたといわれています。