『大相撲』
5. 土俵に塩をまいて清める。
⇒ どんな時でも、自分の身の丈にあった英語で表現することである。ある種の開き直りである。そして、英作でもスピーキングでも大事なのは、いかに知っている英語を応用できるかということである。せっかく習っていても使えなかったら、習っていないことと同じである。知っていることをどこまで活用できるか。それはひとえに、その人の応用力、考える力、工夫する力である。
さて、塩をまくとは、どういうことか。
塩をまく、ということは、塩を投げ入れることである。例えば throw を使い、
・Sumo wrestlers throw salt in the ring. など。
後は、清める、という日本語をどう英語にするか。これが問題だ。
清める、とは何だろうか。
清めるとは、きれいにすること。じゃあ clean か? それなら、単に掃除している(?)感じになる。
では視点を変えて、目的を考える。
清めるという動作から少し離れてみる。
なぜ清めるのか。
塩をまくことで、何を目指しているのか。
何が目的で、塩をまくのか。
本来、塩をまいて清めようとしている人の念頭にあるのは一体何か。
良からぬもの、邪念、邪なるもの、その他諸々の悪しきもの、けがれを払うのであろう。
このままでは、まだよくわからない。英語にはできない。さらに問いを続ける。
塩をまいて、清めて、そして悪いものを払うことができた暁には、一体何が得られるのであろうか。
悪いものを払ったら、当然良いものが残る、または来る。良いものとは何か。例えば幸運である。運は luck である。よって
・Sumo wrestlers throw salt in the ring for good luck.
幸運とは、土俵で相撲をとる力士のためでもあり、神事としての相撲であるのだから、広く観客、そして地域、ひいては日本全体を含むということならば、
・Sumo wrestlers throw salt in the ring. By doing so, they hope we all have good luck in the future. というのも良いだろう。
清める、というけれど、塩をまいて、邪なるものを除き、清浄な環境にするというのは、実質的にはケガをした時の減菌作用があるとも言うが、それと共に精神的な意味合いが大きいとしたならば、科学的に立証されているということではなく、神事、信仰の領域に属する事柄であるため、believe の一語を補い、
・Sumo wrestlers throw salt in the ring because they believe salt has power to bring good luck.
・It is believed that salt has special power. Sumo wrestlers throw salt in the ring for good luck.
・It is believed that salt has special power. Sumo wrestlers throw salt in the ring so we will all have good luck.
清めるというと、どうしても悪いものを取り除く方面で考えてしまう。考え方として、取り除くという方面で英語にしにくければ、その結果どうなるかと考えれば、清めることの結果、もしくは目的は何かという発想になり、それは幸運を招くことと判明するので、英語としては good luck でよいのでは、という論理となる。
別にこれが答えなのではない。すぐに答えを求める人は困るであろう。しかし答えがわからないからこそ、考えて発見する楽しみがある。答えがない、ということは、考える自由があるということである。そして、この考えるプロセスこそが、英会話力に必須の説明する力を養成することに直結するのである。安易に答えだけを求める人は、楽に答えを得た分、考える苦労を経ていないため、英語力も伸びない結果となるだろう。
ちなみに『清める』に関して、purify という語がよく使われていると思う。これは pure(純粋な)+ fy (~化する、という意味)から成る語である。 purify the ring. などと使われる。和英辞典などでもこれが紹介されているだろう。でもこれにしても、なぜ塩をまくことが purify になるのかは、やはりわからない。
理由を説明できる、たくましい英語力は、単純に記憶するだけでは身につかない。
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