『大相撲』
1. 相撲は神事である。
⇒ 相撲は神事。そうなのである。他のスポーツとは大いに異なる点である。これは特異な点である。私は特に熱烈な相撲ファンでもないのだが、相撲は格闘技であると共に、神事であるとは、非常に興味深い。格闘技が神事?
そう考えると、普通のスポーツとはかなり趣旨が異なる。異質である。
相撲が神事とは、本当に面白いと思う。だって色々とスポーツはあるが、テニスやバスケット、野球が神事であるとは、普通考えない。
スポーツは、そもそも語源からして、楽しむためにある。
スポーツという語は 今は sport であるが、古い英語では disport と言われていた。このdis は disappear (去る、消える)で away (離れる)の意味がある。port は 港の意味。エアポートは空の港で『空港』。この port は語源的には『運ぶ』という意味である。なぜ『港』が『運ぶ』なのか? 港は物資を『運ぶ』中心地であったためである。悩み、苦悩を『運び去る』。だからスポーツの元の意味は『気晴らし』となる。
やはり、相撲はスポーツとは異なる。相撲は神事、と簡単に言うが、よく考えるとこれは大変なことだ。
なぜって、あのなぜか、ほぼ裸(?)というスタイルでぶつかり合うという格闘技=神事である、ということは、それがそのまま、いわば神社における神主の営みと同じということなのだから。
そう、相撲は神事とは、言い換えると、相撲は神職だ、と考えれられる。この辺りに『神事』を英訳するヒントが隠されている。
相撲とは、神主のしていることと、質的に同じことだと仮定する。
では神主とは、何をしているのだろうか。
神主の役割とは、いわゆる祈祷である。祈祷とは祈ること。祈るとは、英語で pray(発音:プレイ)。pray の名詞は prayer 。よって『相撲は神事』は、
・Sumo is a prayer.
となるだろう。
英語で言うと、相撲は祈り。少し突飛に思うが、よく考えるとそうなってしまう。
prayer を 英英辞典で引く。Oxford advanced learner's dictionary には、prayer の定義として
prayer: words that you say to God giving thanks or asking for help とある。祈りとは、神に感謝すること、もしくは助けてほしいと依頼すること。
相撲は神事とは、何か漠然として、わかったような、わからないようなものだが、考えれば、神事とは祈りであり、祈りとは、先の英英辞典の定義にあるように、神への感謝であり、お願いということである。
ということは、土俵での、相撲取りの諸々の立ち振る舞いは、全て神を意識した行為であり、それらが祈りであるとするならば、祈りとは何を求めることになるのだろうか。それは、人々が正月に神社仏閣に参拝して、祈る際と、同じことであろう。先の英英辞典の定義を借用すると、
Sumo means to ask God for help.
Sumo means to say thank you to God. と言ってもよいだろう。
こう言うと、単に『神事』というよりも、より具体的でわかりやすい。
そう、祈りとは、お願いである。ask がキーワードとなるだろう。助けてくれと頼む、いわゆる神頼み、ということでもあるだろうし、具体的にはやはり、何を祈るかというと、広く言うと『幸せ』であろう。
・Sumo means to ask God for happiness.
このfor は求める意味。ask for で、~を求めるという意味。
私はよく、TIME や CNN 等のニュースをスマホで見るのだが、この間は、全世界のキリスト教徒(ローマカトリック)向けの年末(クリスマス)のメッセージとしてローマ法王の言葉が紹介されていた。法王を英語で pope と言うのだが、
Let us ask Lord for peace (in Jerusalem) との発言があった。Jerusalem とは、イスラエルにあるエルサレム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地、この土地をめぐって紛争が絶えない)であり、ここにアメリカの大使館を移すとトランプ大統領は言って、非常な物議を醸している。Pope としては、また紛争が再燃しては困るので、エルサレムに平和をもたらして下さいと、祈ろうと呼び掛けているわけだ。ちょうど、うちの教室でも上級者向けのレッスンでエルサレム問題を扱ったところであるが、ローマ法王の発言にも見られるように、やはり神に対して何をしているかというと、ask なので、先の
・Sumo means to ask God for happiness. で正しいことになる。
法王の発言を応用してもよい。
・Sumo means to ask God for peace.
法王はLord と言っているが、これはキリストの事。主という意味である。王様、君主、といった意味もある。
相撲は日本のものであり、日本の神はキリスト教の一神教ではない。だから日本の神様のことでLord と言うのは違うだろう。
日本の神は、古事記にもあるように八百万(やおよろず)の神であり、古人は森羅万象に神性を観ていた。Britannica Concise Encyclopedia(百科事典)にはShinto (神道)の項目では、神のことをKami と表現してるが、広い意味で、人間を超越した存在ということで、やはり God でよいだろう。
他にも考えると色々言える。
have を使ってみる。
・We have Sumo for God.
これは相撲という文化、伝統は、神のためにある、という感じ。have とfor だけである。相撲は神事、という難しい日本語だって考えれば簡単な英語で言える。
もっと簡単にfor だけでもよい。
・Sumo is for God.
相撲という行為が、神への捧げもの、ということであれば、神の視点に立てば、神はその捧げものを好まなければ、そもそも捧げるという行為は成り立たない。ということは、神はその事を好む、と考えて、
・God loves Sumo.
・God is happy to see Sumo.
まあ本当はどうか知らないので、
・God is happy to see Sumo, they believe.
・It was believed in old Japan that God is/was happy to see Sumo. としておけば、そのように信じられていたと補足できる。
play と pray はよく混同される。ちょっとしゃれみたいだか、ちょっと韻を踏んで
・They play Sumo to pray. なんかも面白い。
相撲は神事。ということは、相撲を取るのは神のため、と考えて
・They play Sumo for God.
などもよいだろう。
相撲は神事。
このような日本語を見ると、我々はすぐに投げ出してしまいがちである。
こんなもの自分では言えない。
本当にそうだろうか。
限界というのは、得てして自分で作ってしまっているものである。
その限界という、壁を作っているのが自分であるのならば、
その限界という壁を打ち壊すのもまた自分である。
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