『大相撲』
7. 取り組みに物言いがつく。
⇒ 取り組みとは、試合である。だから game や match など。
問題は、『物言いがつく』である。
これは、どういう意味だろう。
まず状況を考えてみる。
相撲取りが、土俵で取り組みを行って、勝敗を決する。そしてそれを、最も間近で見ている行司が判定を下す。行司は、他のスポーツにおける、いわゆる審判に該当するので refereeと考える。
英語で説明してみると、
Two sumo wrestlers fight in a ring called "dohyo". There is a referee near the wrestlers. The referee is called "gyoji". The referee watches the game closely and he decides who the winner is.
行司が判定を下す、は他にも考えると
The referee judges who the winner is.
The referee can tell who the winner is.
The referee can say who the winner is.
Winners and losers are decided by gyoji.
Winners and losers are judged by the referee.
だいたいこんな感じだろうか。
さて、その行司の下した判定に『物言いがつく』わけである。
先ほど、物言いがつく前の状況を英語で考えてみたので、流れがわかりやすくなるだろう。
物言いがつく、ということは、誰が物言いをつけるのか。土俵の周りにいる親方(審判部長、委員)である。
Oyakata is a sumo master.
Oyakata is a sumo leader.
Oyakata is a head of sumo groups.
親方を説明するとなると、こんな感じで言えるだろう。
その親方衆が物言いをつけるわけである。
物言いをつけるとは、要するに、親方は、行司の判定に不服なのである。つまり反対なのである。簡単に言うと『行司が正しいとは思わない』ということである。したがって『正しい』という意味のright を使い、
・Sumo masters don't think the referee was right.
逆に考えると、『行司が間違えていると思っている』ということになるので、
・Sumo masters think the referee was wrong.
・Oyakata masters think the referee's judgement was wrong.
誰でも知っている right と wrong だが、その知っている英語を使いこなすことはなかなか難しい。
なぜか。
日本語にとらわれるからである。
今回の場合なら、『物言い』という日本語の語感に引っ張られて、英語で何と言うのかわからなくなる。
日本語に引っ張られ過ぎて、思考停止におちいるのである。
思考停止せずに、我々は考えなければならない。
少しだけ立ち止まって、『物言い』とは何か、考えるだけで、物言いという伝統的な日本語表現が、本当はどういう意味なのかがわかる。
少し考えれば、物言いは、『違うだろう』『ちゃうわ(関西弁)』と言っているだけであり、英語にすると
You are wrong! と言っているに過ぎないことが判明する。
物言いがつく、ということは、行司の判定が間違っているのではないか、と(親方達)が言うわけなので、mistake を使い
・Oyakata masters think the referee (has) made a mistake.
・Oyakata masters think the referee has made a mistake in his judgement.
物言いがつく、ということは、勝者は本当の勝者にあらず、ということなので
・Oyakata masters don't think the winner is not the real winner.
物言いがつく、ということは、行司が悪い判断(選択)を行なった、と考えて
・Oyakata masters think the referee has made a bad choice of the winner.
悪い判断(選択)ということは、間違った選択なので
・Oyakata masters think the referee has made a wrong choice of the winner.
物言いがつく、ということは、本当に(判断が)あっているのかどうかと思うことなので、wonder ifを使い、
・Oyakata masters wonder if the referee is really right.
他にも、
・Oyakata masters don't agree with the referee's judgement.
・Oyakata masters disagree with the judgement the referee has made.
・Oyakata masters oppose the judgement of the referee.
・Oyakata masters are against the judgement of the referee.
・Oyakata masters complain to the referee after the referee has made the judgement.
物言いをつけるとは、行司の判定を覆そうとすること。ということは、行司の判定を変えることなので、
・Oyakata masters try to change the judgement of the referee.
物言いをつけるということは、行事の判定と異なる意見を持っていることなので、
・Oyakata masters have different opinions about who the winner is.
・Oyakata masters are not happy (satisfied) with the referee's judgement. They want to change the result.
考えれば色々ある。
色々な相撲にまつわる英訳の例をご紹介しているが、私はいつも相撲について考えているわけではない。
相撲に精通している訳でも何でもないが、普通の日本人の感覚として、例えば『物言い』とはどんなことか、だいたい分かるといった程度の認識である。日本に生まれ、日本で育った者としての、普通の常識の感覚で、『物言い』を始めとする、相撲を取り巻く言葉の考察をしているだけだ。
何が言いたいのかというと、我々は、ある事柄を英語にする時に、あまりにもその事柄や事物を知らないと思い過ぎである、ということである。
あまりにも、自分には無関係であると思いすぎである。
要するに、自分にはできない、わからないと、あきらめすぎなのである。
『物言い』とか『邪気を払う』にしても、相撲やら神道特有の言い回しなので、私にはわからないと、お手上げになる。
本当は少し考えたら、わかることかもしれない。しかし考える習慣がないと、こんなの知らない、と戦う前から白旗を上げて、和英辞典、機械翻訳に頼ってしまう。
言い方がわからないという度に和英辞典を調べていたら、いつになったら自分で考えるのだろう。いつになったら自分の英語で戦うようになるのだろう。
外国人が話したいのは、あなたである。
和英辞典でも機械でもない。
ボロボロの英語でもよい。
感情のこもった、あなたの声が聞きたいのである。
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