毎日の生活の中で積み重なる些細なことが、それらは本当に取るに足らないことなのかもしれないけれど、だからこそ余計に自分の弱さを突きつけてくるようで、ふいに情けなくやるせない気持ちでいっぱいになる。
本当はそんな下り坂を幾度も経験しながらイスラエルで暮らしている。
移住当初はそれもこれもホームシックで片付けてしまえばよかったものの、月日が経つにつれ、それだけではないもっとどろっとした感情があることに気づかざるを得なくなった。
「帰りたい。」
その思いが知らず知らずのうちに他の誰かの人生を羨む、醜い劣等感に変わっていることが増えた。
みんなが友達と過ごしている素敵な時間は微笑ましいながらも、やはり遠くからただ眺めているだけというのはとても寂しい。
その場にいられないことが、会いたい人に会えないことが、もどかしく歯痒い。
地球上に横たわる1万キロメートルもの距離を恨めしく思い、一体自分はここで何をしているんだという疑問が渦巻く。
ただ、どういうわけかその渦中にしばらくいると、まるでその心の状態が自分の本来の居場所のような錯覚さえ生まれてくる。
身近にある大切な存在からは目を逸らし、私は忘れ去られた人間なのだと自分に言い聞かせ妙な安心感を得るという、なんとも理解しがたいことをやってのける。
自分のネガティブな心の働きをこうして文字に置き換えるとなかなか不気味だし、それを公にしてしまうことの無意味さと悪趣味なことといったらないだろう。後になって恥ずかしさのあまり悔やむかもしれない。
けれども、どんなに素敵な言葉を並べても、高く青い空を見上げても、心がそう簡単には晴れないこともある。
優しく美しい歌を聴くよりも、世界に向かって中指を立てているような歌に心救われる時だってある。
時々私はこんな風にブルーに屈折してしまうのです。
今日、ふとこんなつぶやきを耳にし、何だか安心しました。
私達は妻であり、母であり、女性であるよりも人間なんだよね。
仕事柄、人の気持ちに寄り添い、耳を傾ける事がどんなに難しくも大切な事かを学んだけど、それより難しくも大切なのは、こうして自分の気持ちに寄り添い、耳を傾ける事なんだと思う。
今ね、冬にひまわりが咲くかどうか@roma の実験栽培を次男がしてます。
結構順調だったのに、つい先日ハプニングで一箇所折れてしまったの。
そこに少しの間添え木をしたのだけど、今はその折れた所だけ太くなって、上の葉にちゃんと養分送ってるんだよね。
その折れたところが太くなっている様子を間近で見ると、何だかすご~く励まされた。折れても大丈夫なんだって。むしろそれまでよりも逞しくなれるんだって。
益々素敵になった希に会えるのを楽しみにしてます。
またね。
次男くんのひまわり栽培の下り、いいですね。
私自身もそうであればいいなと思います。
だけど、書いたようなことが不気味で悪趣味だというならば、
少なくともわたしは、同じく不気味で悪趣味な仲間だ!
青空を見てますます心が曇り、世界に中指立てて蹴ちらして、なんとかやり過ごす、そういう仲間だよ!
だからわたしは、こんな風体なのに、ローリングストーンズと共に生きてきたのさ。
わたしには、のぞみが世界のそこにいてくれるからがんばれる。
へんだよね。
でも、支えられてるんだよ。
でもそれじゃ、きれいごとだよなあ…
わたし自身はブログで「本当のこと」をまだ書いていません。もうずっと毎日、あることが胸から離れませんがそれを書くには至っていません。
nozomiさんとは境遇は異なるし、書いてあることをうまく理解できているかわかりませんが、わたしもnozomiさんが感じているような「錯覚」に陥ることがあります。わたしの場合は物理的な距離などはなく「会えているのに、かよえない。通じれない」というものです。わたしにとっては大切なある特定の人に対してです。以前はとても通じていたし親密でいられました。でも今は、自分が透明人間にでもされたような、ここにいるのに自分の存在がないものになっているようなそんな疎外感があります。その人を取り巻く人たちに嫉妬を感じることもあります。こんなふうにはなりたくないのに、そうなっている自分にさいなまれています。
そして到底普通でないと承知しながら、「なんとも理解しがたい」“それ”を、nozomiさんと形は違えど私もしてしまっているのです。自分の均衡をどうにか保つための手段といったところでしょうか。。
ふがいない、やるせない。胸がぐしゃぐしゃになることがしばしばあります。
こういう話しって、実はnozomiさんと話す機会あればいいのになって思うこと、けっこうあるんですよ。
にもかかわらずへこたれてしまう自分の精神力にうんざりしちゃうというか、苛立つというか。
自分の未熟さに対する図星なんだろうな、きっと。
「悪趣味」に関してはベクトルを共有できそうだね。
これが「同じ匂いがする」ってやつなのかな。
「自分の存在がないものになっているような疎外感」・・・これは切ないですね。
相手の方との物理的な距離が近ければ近いほど、痛烈に実感される辛さだと思います。
まして以前は近しい間柄の方だったのなら尚更、その落差に心が追い付かないのもごく当たり前だろうと私は感じます。
心の澱みを隠しきれない私のような未熟者でもよろしければ、いつでもお話相手になりますよ。