ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

東野圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』

2009-05-07 15:50:22 | ときのまにまに
過日、息子がドサッと置いていった東野圭吾の小説をみんな読んでしまったので、頭休めに読む本がなくなってしまった。といって、本屋に行くと彼の作品は山ほどある。これを一冊ずつお金を払って読むとなると資金的に苦しくなる。というわけで、図書館を利用することにした。先日、図書館に行って開架棚をていねいに探したが一冊もない。変だと思って、館内にある検索用のコンピューターを操作するとわずかに数冊を残してほとんどが貸し出し中ということになっている。東野作品の人気には驚いた。
もうほとんど選択の余地もなく3冊を取り出してもらって貸し出しをしてきた。その一冊が『あの頃ぼくらはアホでした』で、かなり読み込まれている。
この作品は彼の幼稚園時代から大学卒業、就職活動、会社員時代までの「小説家になるまでの半生」を描いたもので、非常に面白い。何か特別なギャグがあるわけでもないし、誇張や変形(デフォルメ)があるわけではない。事実そのものが面白い。とにかく、読みながら何回も吹き出してしまった。何が面白いかというと、現在の東野さんとその頃の東野さんとのギャップが何とも言えない面白さを醸し出しているのかもしれない。
彼は1958年生まれというから、大阪府立F高校在学の頃は、1970年代の初め頃であろうか、彼が卒業した高校は「日本で最初に学園紛争を行った高校だ」という。あの頃、日大、東大に続いて学園紛争が高校にまで及びはじめたのが71~2年で、わたしの卒業して大阪府立市岡高校でもバリケード闘争が行われたことを思い出した。変な感じがするが、その頃「学園紛争」というのはその学校のレベルの高さを示すもので、倫理社会の教師が、古い週刊誌を見せて、「皆さんの先輩は、非常に行動的で問題意識を強かったということです」とうれしそうに話したというが、その気分はよく分かる。
この作品の面白さの一つは文体にある。ここに書かれていることはすべて事実であろが、実際に経験したことをそのままに叙述し、それを一つの文学作品として「金を取って読ませる」のは大変なことである。もちろん、読む終わるまでは支払った金額に見合うかどうかわからなし、貴重な小遣いをドブに捨ててしまったような読後感、大体はそういう場合は最後まで読まないが、損下感じをもつものであるが、この作品に関してはそういう思いはしないであろう。もっとも、わたしの場合は図書館でただで借りてきたのであるが・・・・・・。

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