ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/18 「Good Friday」について

2014-04-20 04:47:19 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『ユートピア』読了。読書ノートには時間がかかりそうだ。午後からジムに行こうとしたら雨が降ってきたので止めにした。ジム行きを諦めたら猛烈な睡魔に襲われ1時間半ほど昼寝。夜は西島秀俊主演の「MOZU」を見た。よくわからん作品だ。10時半に就寝。5時起床。体調快調、チュン、チュン。

松永 健治さん、野口 富隆さん、野間 悦三さん、他22人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。掃除します。良き日となりますように。お祈りします。
4月18日 7:18 · いいね!

町田 勝彦 おはようございます。ღ♪¸.•
posted at 04:59:15

文屋 善明
今日の名言:RT @Bonhoeffer_jp:
教会を創造する言葉は、この教会を常に新しく呼び集め、具体的な集会とする。なぜなら、神が御旨を実現するのは、神の意志と教会の意志に従って説教された言葉だから。(ボンヘッファー『聖徒の交わり』)
<一言>「アーメン」

加藤 博子さん、増野 真美さん、野口 富隆さん、他23人が「いいね!」と言っています。
posted at 05:58:22

「昨日のツイート 04/16 これが真相かもしれません」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/ae1fa277c7c097f2c4772d0db376b58…
posted at 06:44:40

文屋 善明
NHKこころ旅。正平さん、何頭に巻いているの。近所のおばちゃんが編んでいた白と黄色のたんぽぽの頭飾り。今日の心の風景、漕艇場の艇庫の前から見た夕日と琵琶湖。野洲川堤防を走り、近江富士を眺め、守山駅前を通り、綣(へそ)の交差点、草津市に入る。また、オムライス。

Satoshi Tanakaさん、野間 悦三さん、有澤 慎一さん、他9人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:01

松村講演「生きる――復活の経験的理解について――」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/95f3d6ae23e6de2c2aea44a5b211ba8…
posted at 11:22:23

文屋 善明
お目覚めの花。「今日は受苦日」「不要なおしゃべりは避けましょう」「ジーっと沈黙してイエスの十字架に思いを寄せましょう」「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった」。
文屋 善明さんの写真

播 稔さん、加藤 治さん、野口 富隆さん、他38人が「いいね!」と言っています。

小川 圭一 沈黙ですね。

文屋 善明 たんぽぽの綿帽子のイメージが「静寂・沈黙」ですが、それよりももう間もなく「天に昇る」という意味を感じました。

文屋 善明
2014日々の聖句 04月18日(金)
主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に、豊かな慈しみをお与えになります。(詩86:5)
イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23:46)
私の黙想:
ヤハウェがを「恵み深い方」というのは、あまりにも平凡すぎる表現であるが、実はこの言葉は良い(トーブ―)という言葉が用いられており、直訳すると「ヤハウェは良い(あるいは「善い」)方だ」となる。対象が良いか悪いかを決めるのはヤハウェであり、人間が神に対して「トーブー」というのは珍しい。勿論、皆無ではない。詩34:9、52:11、73:1、86:5、100:5、106:1、107:1、118:1、29、119:68、135:8,、136:1、145:9、エレミヤ33:11等、「後期の文書」に見られる。
この「善い」という言葉を巡ってはイエスと金持ちの男との対話が思い出される。この男が、イエスのことを「善い先生」と呼びかけたところ、イエスはムキになって「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(マルコ10:18)と言われたという。一見どうでもいいことに何故イエスはそんなにムキになったのか疑問であったが、この「トーブー」という用語についてのユダヤ人独特の価値観があったのであろう。極論すると、トーブーとは神がトーブーと言われたものがトーブーなのであって、人間が判断できることではないとでも言うのであろうか。その意味では、この言葉については天地創造に際して、創造主は被造物を一つ一つ見て、「トーブー」と言われたということの意味が深く考えさせられる。つまり、ヤハウェに対して「トーブーな方」という時、その意味は単に「善い神」ではなく、トーブー(あるいはトーブーでない)を決定される方という意味合いがあるように思う。旧約聖書を読む場合に、この「トーブー」という言葉の使い方には注意を向ける必要があるであろう。

播 稔さん、松井 貴志さん、野口 富隆さん、他27人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 私が編集している機関誌の題名は「ヒネ マー トーヴ」です。詩篇133:1の冒頭から採りました。「トーヴ!」と言えば、神の恵みのすべて!

文屋 善明 いい名前ですね。

文屋 善明
疑問 受苦日を英語で何故「Good Friday 」というのだろうか。全ての歴史的現象には良い面があればほとんど必然的に悪い面もがある。しかし、受苦日について「good 」とはどういう視点に立っているのか、未だにわかりません。

加藤 博子さん、播 稔さん、加藤 治さん、他33人が「いいね!」と言っています。

Akira Ueda good saturdayというのもありますよね。

杉浦 紀明 もともとは "Godes Friday" だった、という説があります。

大坂 太郎 「はじめて英語のこのことばを聞いた時、何かこう「腑に落ちない」感覚をもって今に至っています」ということを今朝の朝の祈りの時間に話しました。

門叶 国泰 God be with ye が Good bye になったのと同じ、と素直に考えては駄目ですか?

文屋 善明 その通りかもしれませんね。でも。なった言葉がGood fridayではその内容とのアンバランスで、落ち着かないでしょう。それを平気でおれる語ー感覚が理解できないのです。

名護 聖ヨハネ教会 死に対しての勝利が宣言されたということでしょう。イエスの亡くなられたことを悲しむことも大事ですが、クリスチャンならその死によって与えられた赦しと命にあずかることをより感謝すべきではないかと思いました。良い日にふさわしい良いテーマでした感謝です。

文屋 知明 なるほどね、辞典によると、大文字で「Good ~~」で「高潔」、また、「徳を成し遂げる力」と言う訳もありました。

Daniel Corl "GOOD FRIDAY" -- late 13c., from "good" in Middle English sense of "holy," also especially of holy days or seasons observed by the church.

村田 多鶴子 文屋先生、50年近く前のことですが、聖書英語の授業で、OLD ENGLISHでは、GOOD FRIDAY における形容詞 good は holy の同意語として使われていたと説明を受けた記憶しております~♪

文屋 善明 Corlさん、村田さん、ありがとうございます。これでやっと納得がいきました。しかし、現在のEnglish speaking peopleは果たして、古い英語の意味を理解しているのでしょうか。理解しないまま、Good Frodayで平気でおれる感覚はやはり理解できません。まぁ、もっとも日本人も言葉の意味などすっかり忘れて「今日は」とか「然様なら」と平気でいいっているのですから、外国人のことをとやかくいうことはできませんが。

溝田 悟士 現代のイギリス人は、紀元1000年以前の古英語はそのままでは読めないし、中英語もまだ難しいと思いますね。欽定訳聖書とシェイクスピアが現代英語化をすすめる一因だったと考えられています。現代英語とはかなり違います。(読むのには時間がかかります。経験者です。)日本人の感覚だと、古英語だと古事記にあたり、中英語は平家物語に近いと考えていいと思います。Goodの語感はさしずめ、現代人にとって「かなし」を誤解するレベルとにていると思います。

清水 行雄 英単語の語義の多様さは、英語のむずかしさであり、かつ面白さだと思っています(^^;)

溝田 悟士 「主の祈り」の古英語版
http://www.lords-prayer-words.com/lord_old_english・・・
The Lords Prayer in Old English(Anglo-Saxon)
www.lords-prayer-words.com
The Lords Prayer words in Old English (Anglo-Saxon). An example of Old English w... もっと見る
4月18日 16:44 · いいね! · プレビューを削除

溝田 悟士 「主の祈り」の中英語版
http://www.lords-prayer-words.com/lords_prayer_middle・・・
Lord's Prayer Middle English
www.lords-prayer-words.com
The Lord's prayer in Middle English ('The Lourdes Preyere'). Middle English was in use between approximately 1150 to 1470 AD.

清水 行雄 溝田さんには、とても敵いません(^^;)

文屋 善明 本当にそうですね。参りました。私も若いころ、ウエスレー全集を手に入れ、読もうと思ったことがありましたが、ウエスレーのものでさえ、読めませんでした。

清水 行雄 第1コリントの12章ですね。人それぞれの特性がある(^^)

糸原 由美子 中英語も古英語も初めて見ました。ありがとうございます。

文屋 善明さんが町田 勝彦さんの動画をシェアしました。
これは面白い!!!シェアさせてください。

蒸気機関(⌒‐⌒)

https://www.facebook.com/photo.php?v=718075161608021&set=vb.100002166310780&type=2&theater
              ♪♪

北村 良輔さん、藤木 冨士子さん、涌井 幸子さん、他15人が「いいね!」と言っています。

町田 勝彦 どうぞどうぞ(*´∇`*)

文屋 知明 シュッシュ、シュッシュ、ポッポー!

文屋 善明 シェアシェア、ポッポ、シェアポッポ。途中で湯気が出てレンズが曇ったり、手が込んでいまっシェア。

糸原 由美子 何を炊いておられるのでしょう?私はその方が気になります。

文屋 善明 おお、やっぱり主婦してるんだ。

糸原 由美子 はい。ぼちぼち・・・

文屋 善明
ホンダの1年定期検査無事終了。

加藤 博子さん、播 稔さん、中井 信郎さん、他25人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 お疲れ様でした。

文屋 善明 1年定期検査と言っても、中古車を安く買いましたので、もう既に10万キロをオーバーしています。

小川 圭一 10万キロは、凄い。車種を教えてください。私は、N ONEです。

文屋 善明 細かい車種はわかりませんが、ともかくLifeで形式はDBA-JB5,E/形式はP07Aで何年式かわかりません。

藤木 冨士子 私はスズキのワゴンRですが、まだ5万キロです(笑)

内田 慧 先生、ご無沙汰です。先生のこの投稿、F1フリークの僕には、来季からF1に復帰する話題だと思いました。
「ホンダ」と「1」の字が入っていたので…。

文屋 善明
4月18日、福岡県宗像市周辺
トマス・モア『ユートピア』読書ノート3
ここでは第2巻の第6章から第8章までをまとめている。

第6章 ユートピア人の生活と価値感覚
本章では旅行の自由、消費物資、金銭感覚、生活様式、労働、道徳観、趣味、快楽、文学、学問等々、ユートピアにおける生活全般を扱っているので、一つ一つ取り上げると紙面がどれだけあっても足りないだろう。それで、その中核となっている「価値観」の問題だけを取り上げることとする。

ユートピア人の価値感覚について、
要するに彼らは一口でいうと「使用価値」しか認めない。例えば、鉄は非常に有用であるが金や銀はほとんど価値がない。そもそも彼らは「希少である」ということには価値を認めない。にもかかわららず、彼らは莫大な金や銀を国庫に蓄えている。それは単に戦争の時に「外国人傭兵」を雇うための準備である。国民には金や銀の価値感覚を持たせないために、彼らは金や銀で「便器」を作り、日常的にそれを使っている。
アネモリア人(「虚栄の国」という意味)がユートピア島に面白い人間たちが住んでいるということで来訪した。アネモリア人を見た時のユートピア人の印象が面白い。アネモリア人たちはユートピアの人々は粗末な衣装をまとい、しかも島民全部が同じ衣装だということを聞いていたのであろう、彼らはユートピア人に見せびらかすために、それぞれが特に派手な衣装を着て、ありったけのアクセサリーをゴテゴテと身につけ現れた。それを見たユートピア人には呆れて、こう言ったという。「豆粒のような、玩具のような石ころをそれがきらきらするからといって、珍重する馬鹿な人間がこの世にいる」ということに驚いたのである。そして言う。「そんなに光るものが見たければ、星でも見たらよいではないか。太陽を見たらよいではないか」。
また、こんな面白いことも例にあげている。
「おもうに、愚にもつかない尊敬を受けて得々とするのも、これまた狂気の沙汰ではないだろうか。他人に脱帽してもらう。跪いてもらう、一体そこにどんな自然に沸き上がる喜びがあり、真実な喜びがあるというのか。膝の痛みがとれ、頭の妄想がはれるというのか。いやいやこの世の中には、このような贋の快楽に幻惑されてしまって、飛んでもない錯覚を抱いている人間が多いのだ」とも述べられているが、これは明らかにユートピア人の意見というよりもラファエル氏自身の考えであろう。
最後にラファエル氏はこんな話を補足的に語っている。「学問的素養に富んだユートピア人の知識人たちは、生活を豊かにし幸福にするのに少しでも役に立ちそうな工夫を考えだす点においてはまさに天才的である」と述べ、次のような話をした。彼らよりも私たち(つまりイギリス人)の方が優れている技術は印刷術と製紙術で、私たちに素人ではあるが私たちのたどたどしい説明を聞いて、彼らはすぐに理解し、それを実際に行動に移し、試行錯誤の上、すっかり見に付けてしまったのである。そして驚くべきことに私たちが滞在中に図書館に収められているギリシアの諸文献を実際に印刷し製本してしまったのである。
また、彼らの知識欲は強く、海外からの旅行者や特別な才能に恵まれた人たちを大いに歓迎し、その知識を聞きたがるのである。ユートピアには外国の貿易商人はほとんど立ち寄らない。なぜならば、彼らにはユートピア人に売るべきものがないからである。

第7章 奴隷、病人等福祉について
ユートピア国の一つの問題点は奴隷の存在である。国内におけるいわゆる「ダーティ・ジョブ」と言われている仕事はほとんど全部奴隷の手によってなされている。
奴隷については面白い規定がある。一般に戦争中に捕られた俘虜は奴隷にしない。それから奴隷の子も奴隷にしない。また、外国から連れだしてきた人間はどんな人間でも、たとえ外国で奴隷であったにしても、ユートピアでは奴隷にしない。奴隷にするのは彼ら自身の同胞で凶悪な犯罪を犯したため自由を剥奪された者か、他国の都市で重い罪科のために死刑の宣告を受けた者かに限られる。つまりユートピアでは「奴隷」とはその人自身の犯罪行為の結果であり、懲罰的な意味を持っているものと思われる。
その他、回復の可能性がほとんどない人への安楽死の勧め、男女の結婚年齢の制限、結婚相手の選択の方法について、離婚の禁止、その他こまごました規定があるが省略する。
ユートピア社会には、こんな側面もある。
ユートピア人はみな和気あいあいと生活している。生意気は役人や高圧的な役人など一人もいない。市民たちは当然のように役人にはしかるべき敬意を示すが、それは決して強制されものではなく自発的なことである。野心満々でむやみに立身出世を願う役人は、一般市民から嫌われ、一生涯昇進の見込みはない。
法律に関して面白いことを言っている。
ユートピアでは一人一人がみな優れた法律家である。なぜなら、ここでは法律の数が非常に少いからである。法律の解釈は明白で単純なものであればあるほど、それだけ公正なものであるとされている。法律が作られ公布されているのは、すベての個人が自分の義務を思い出させるためである、と彼らは考えている。だからもしその解釈が難解なものであれば、それを読んで直ちに自分の義務を思い出すことができないであろう。つまり、ごく少数の人にしか理解できない法律は存在する意味が無いからである。ところがこれに反して、法律の意味があくまで明白で単純であれぱ、それは万人の理解をうることができる。国民の大多数を占め、また自分の義務を知る必要の最も多い一般庶民にとってはたとえ法律があっても、よほど深い学問と綿密な頭がなければそれを理解できないということであれば、自分勝手に解釈をするようになるだろう。そうなれば、始めから法律なんか全然なかったのと同じではないだろうか。
(文屋注:さすに法律家トマス・モアの言葉である)

ユートピア人は国家間の同盟関係ということにも独特の思想を持っている。諸外国における同盟関係を見ていると、結ばれては破られ、破られては結ばれるといった工合で、同盟関係とは破られに結ばれるといってもいいであろう。従ってユートピアはどこの国とも同盟を結ぶばない。というよりむしろ彼らは人間と人間との間に自然が与えてくれた豊かな愛情がないわけではあるまいし、一体同盟などが何の役にたつのか理解できない、といった調子である。そして自然を重んじない者がどうして同盟などという単な一片の文句でしかないものを重んじるわけがあろうか、ともいう。
なぜ彼らがこういう考えを懐くようになったかというと、ユートピアのある地域(つまりヨーロッパ)では君主間の同盟は実際には有名無実のものが多いという事実にも基づいている。とくにキリストの教えがひろく行われているわれわれの国々と比ベてみるがよい。そこでの同盟関係は教皇の権威のもとにかろうじて守られているのであって教皇の権威の及ばない所では、「同盟は全く信頼も信用もおかれていない。締結する際には仰々しく神聖な儀式が行われるが、それが終わるやいなや条文中の言葉のあら探しが始まり、そこから同盟破棄への策略が練られるのである。多くの場合、そういう曖昧な言葉がわざと巧みに文中に挿入されており、従ってどんな強固な盟約であっても、必らずそこにはぬけ穴がある。そこからやがて同盟も信義も崩れていくのが普通である。こういう狡い行為、つまり詐欺行為がもし個人間の取引や契約でに行われたとすると、それを知ったら、人々はたちまち真赤に怒って、こんな悪質な罪悪はない、まさに磔刑ものだと怒鳴るであろう。
ユートピア人の考え方は、これとは全然違う。どんな人間でも自分に危害を加えない限り、敵と見なすベきではない。人間本来の友愛の精神こそもっとも強固な同盟にほかならない。人間というものは同盟の条約より友愛と寛裕によって、また単なる条文より溢れるばかりの誠意によってこそ、強く、固く一つに結ばれることができるのだ。これが彼らの信念なのである。

第8章 戦争について
ユートピア人は周辺諸国について、こういう風な批判的な視点を持っている。これは実はラファエル氏自身の考え方でもあろう。特にの戦争についての批判的な視点はイギリスやフランス等の政治的状況に対するラファエル氏自身の見解であろうと思われる。
「戦争や戦闘は野獣的な行為として、そのくせそれを好んで用いる点にかけては人間にかなう野獣は一匹もいない」。これは見事な批判である。その上でユートピア人の戦争についての考え方を次のように語る。
「他の国々の習慣とはちがって、戦争で得られた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。とは言え、万が一外国から侵略された場合には戦わざるをえないであろう。
そのためにユートピアにおいても、危急の際に武器の取扱いにまごつかないように、毎日軍事教練が行われる。それには男だけではなく女も日を決めてやっている。戦争についての彼らの規定は次のようになっている。「それは自分の国を守るためか、友邦に侵入してきた敵軍を撃退するためか、圧政に苦しめられている友邦国民を武力に訴えてでもその虐政の桎梏から解放してやるためか、そのいずれかでない限り戦争をすることはない。なお彼らが友邦に援軍を派遣するのは、何も必らずしもその国を守るためばかりでなく、時にはその友邦が受けたいろいろな不法行為に対する報復のためのこともある」。専守防衛、集団的自衛権等についての議論が、今から500年以前にもなされたということ自体がすごいことである。
ユートピア人は、血を流すような戦争の危機も金銭で解決できるなら金銭で解決しようとする。それもうまくいかない場合には、敵陣の内部に争いや不和の種を密かに撒く。例えば君主の兄弟であるとか、貴族中のある者とかに、王位獲得の野望を懐かせたりする。それでもうまく行かなければ、今度は敵国に接した諸国民をそそのかして峰起させ、どこの国の君主でも必らずもっている古い王位継承権を口実にして盛んにこれを扇動する。もちろん戦争ともなればあらゆる援助を送ることを約束する。そして資金だけはふんだんに与えるが、ユートピアの兵隊は始んど一人も送らない。彼らにしてみれば、いくら敵国の君主だろうが自国の市民と取り換えることなど考えられない。しかし金と銀となれば話は別だ。彼らが金銀を貯えてきたのも実はこの事に備えるためである。だから出し惜しみなどするどころではない。恐らく最後の一銭まで出してもいささかの痛痒も感じないといった風である。
「もしユートピアに対してどこかの君主が、領土侵略の意図をもって戦端を開くようなことがあれば、彼らは直ちに大軍を率いて国境を越え、侵略軍に対して反撃を試みる。勿論、その場合の大軍とは外国人傭兵である。彼らは決して軽々しく自国の領土内で戦争をしないからである。また実際、外国からの援軍をユートピア島に迎えるなどといった、危急存亡の難局にはこれまでまだ一度も逢ったことはない」とのことである。(文屋注:まるで現在の何処かの大国のようである)
要するにユートピアにおける戦争観は、自国民第1主義で、外国との戦争は外国人傭兵部隊によってなし、金で解決できることは金で解決し、謀略・内乱によって外国からの侵略を避けるという姿勢である。

金丸 勝彦さん、林 巌雄さん、文屋 知明さん、他8人が「いいね!」と言っています。

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