ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 03/06

2013-03-07 06:27:54 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。朝からみやま市へ梅を見に行く。見事な盆栽梅多数。帰りに柳川の福柳で「せいろむし」を食す。5時前に帰宅。夕食後、「ラストホープ」を見る。医師たちの過去のトラウマが明らかにされ、それが治療判断に大きな影響を残す。11時前に就寝。5時起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:26:05

文屋善明@ybunya
今日の名言:RT @meigennavi:
言語に関する基本的な事実の一つは、二人の別々の人間にとってまったく同じことを意味する語などないということだ。(ルドルフ・フレッシュ)
<一言>この言葉は名言というよりも、人間が「言葉」を獲得して以来持っている言語に関する最も基本的な事実である。この事実を誤解しているところから、様々な問題が発生する。悪い奴ほど、この事実を悪用する。
posted at 06:16:24

23時間前
文屋善明@ybunya
「昨日のツイート 03/05」をブログにアップしました。 blog.goo.ne.jp/jybunya/e/a0b2...
posted at 06:50:13

日々の聖句2013 03月06日(水)
驕り高ぶるな、高ぶって語るな。主は何事も知っておられる神、人の行いが正されずに済むであろうか。(1サム2:3)
言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。(1ヨハ3:18)
私の黙想:
人間は人を上下に分類し、組織を作る。下に立つ者は上を見上げて、そのように語り、上に立つ者は人を見下げて上から語る。神はそういう人間関係をキッチリ見て矯正される。いや、上に立つ者も、下に立つ者も神によって矯正される人は幸いである。そこで初めて人間と人間との対等な関係が成立する。国と国も同じ。国と地方自治体の関係も同じ。会社の中の上司と部下も同じ。教師と学生も同じ。兄弟間も同じ。夫婦間も同じ。不幸な人、憐れむべき人、可哀想な人とは、上下関係でしか人と接することが出来ない人である。

塩澤 紀子さん、奥野 卓司さん、細谷 民子さん、他25人が「いいね!」と言っています。

二上 英朗 御意

細谷 民子 神によって矯正されない人とは、上下関係でしか人と接する出来ない人という事でしょうか?何故、皆矯正しない?

文屋 善明 矯正は強制的ではないからです。

細谷 民子 ヒエッ!

文屋 善明さんがHey, he just called you Indian. Oh hell'no. Hold my Fry Breadさんの写真をシェアしました。
現在のアメリカを皮肉った非常に面白いジョークを見つけましたの紹介します。「白人のアメリカ人が、現在のラティーノ(メキシコ人)に対して、資源や我々の職を奪う「不法移民」と文句を言っている側で、ネイティブアメリカン(インディアン)が『あいつマジで言ってんの?!(それお前らじゃんっ!)』って言ってる図です。現在アメリカに在住の甥のワイフからのシェアです。
Seen a friend post this on her fb! Love it! Thanks Judy :)

木下 豊さん、Ken Bunyaさん、豊田 滋さん、他22人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 そのうち、日本もこうなるかも。日本原住民しっかりせい。

松沢 直樹 たしかに、コロンブスがアメリカ大陸を発見したという表現自体が詭弁ですよね。日本も、アイヌ族の人達が、採集生活を行わないように規制する悪名高い北海道旧土人保護法という法律がありました(さすがに差別的な法令ということで廃止されたようですが)し、沖縄も明治時代になるまで、独立国でしたから、似たような機運が出てくるかもしれませんね

村松 信彦 · 要約するに「天に唾する」や「人の振り見て我が振り直せ」でしょうか。

大内 田鶴子 最近見た州立博物館ではインディアンとの和解成立から歴史を書き始めています。スポーケイン市の女性市長はインディアンでした。移民国家が合衆国統一の理念ですから、たえず自省している部分が漫画のように表現されると思います。

文屋 善明
福津市あんずの里 (写真21枚)
3月6日現在、アンズの花は2部咲き。よーく見ると、やはり桜とも梅とも違います。

木下 豊さん、奥野 卓司さん、鎌野 健一さん、他31人が「いいね!」と言っています。

松沢 直樹 杏は咳止めなどのお薬につかいます。昔、中国のお医者さんが、治療費をとらないかわりに病気が治ったお祝いに、杏の木を植えるのを勧めたそうです。村人全員が健康になった頃、村に杏の木の林ができたそうで、それから名医のことを杏林と呼ぶようになったのだとか。

文屋 善明
百田尚樹『夢を売る男』を読了。さすがに百田さんの作品は読ませる。面白いことにこの作品の中で主人公の台詞の中で自分自身を「登場?」させている。「元テレビ屋の百田何某みたいに、毎日、全然違うメニューを出すような作家も問題だがな」。「まぁ、直に消える作家だ。とにかく、後世に残る作家というのは、常に新しい読者を生み出す小説を賭ける作家だ」という。ともかく、この作品は一気に読める、エンタメだ。これから読もうと思っている未来の読者に一言だけ。最後の一行は絶対最後まで読まない、見たいこと。それまでこの作品についての評価は控えること。これが私の読後感想である。

<補遺>特になし。



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