ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

断想:聖霊降臨後第23主日(特定25)(2018.10.28)

2018-10-26 08:28:03 | 説教
断想:聖霊降臨後第23主日(特定25)(2018.10.28)

ダビデの子よ マルコ10:46~52

<テキスト、超々訳>
◆盲人バルティマイをいやす(10:46~52)
彼らはエリコの町にやって来ました。そして、イエス一行がエリコの町から出て行こうとした時、大勢の群衆がイエスと弟子たちとを取り囲こみました。ちょうどそこの道端に、バルテマイ(テマイの子という意味)という盲人の乞食が座っていました。バルテマイの耳にナザレのイエスという言葉が聞こえた。すると彼は大声で「ダビデの子イエスよ、私をお憐れみください」と叫び始めました。その声があまりにも大声なので、周囲の人々は彼を黙らせようとしましたが、彼はますます必死になって、激しくで「ダビデの子イエスよ、私をお憐れみください」と叫び続けていました。イエスは彼の叫び声をお聞きになって、立ち止まり「彼を連れてきなさい」と言われました。それで人々はその盲人を呼んで言いました。「喜びなさい、立ちなさい。お前をお呼びだ」。それで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにまいりました。イエスは彼に向かって言われました。「私に何をしてほしいのですかか」。その盲人は言ました。「先生、見えるようになることです」。そこでイエスは言われました。「もう大丈夫だ。あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従いました。

<以上>

1.エリコという町
エリコはヨルダン川の下流にある古い重要な町である。エルサレムへから23キロ、健脚な人なら1日の道のりである。イスラエルの人々はエリコという地名を聞いたら直ぐに思い出すのが、彼らの先祖がカナンの地に侵入したときに最初に占領した町でもあった。その時のことについてヘブライ書で「信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました」(11:30)と短く記録されている。ヨシュア記ではエリコ攻略物語が5:13~6:27にドラマティックに描かれている。おそらく、この出来事はイスラエルの「自慢話」の一つだったのであろう。
エリコについては、イエス自身が話した「良きサマリア人の話」でも触れている。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた」(ルカ18:35)。
気まずい雰囲気をかき消すかのように、著書は「一行はエリコの町に着いた」と書く。ところがエリコの町で何処に行ったかとか、何をしたのかなど何も書かない。そしていきなり「イエス一行がエリコの町から出て行こうとした」と書く。マタイはエリコの町に着いたことに触れずにいきなり「一行がエリコの町を出ると」(20:29)と中途半端な書き方をしている。ルカは「イエスがエリコに近づかれたとき」(19:1)とあっさりと書く。町の中なのか、外なのか曖昧である。マルコは「エリコの町から出て行こうとした」と書く。状況は明白だ。町を出る直前、ここに大勢の群衆がイエスにぞろぞろと付いてきていた。ここでイエスと別れたらもう二度と会えないだろう。ほとんどの人はそんな緊迫した気分をしていないだろう。ただの野次馬にすぎないだろう。

2.「ダビデの子イエスよ」という叫び
イエスを取り囲む群衆の間から、奇妙な呼び声を耳にした。「ダビデの子イエスよ、憐れみたまえ」、「ダビデの子イエスよ」、声には必死さがあった。イエスは今までにご自分のことを「ダビデの子イエスよ」と呼びかけられたことがなかった。イエスに向かって「ダビデの子よ」という呼びかけはこの出来事が初めてであると思われる。ユダヤ人間ではメシアの別称として「ダビデの子」という名称がかなり広く行き渡っていたもと思われる。しかしペトロさえイエスのことをダビデの子とは言わない(8:29)。つまり「メシア」と「ダビデの子」という言い方には、何らかの意味の違いがあったのであろう。
最初に書かれたマルコ福音書では「ダビデの子」という言葉は4回しか出てこない。そのうち初めの2回は同じ文脈であり、今日のテキストである。後の2回は、神殿の中でイエスの方から、メシアは何故ダビデの子と呼ばれるのと問う(12:35,37)。もちろん、イエスのことを「ダビデの子」と呼ぶ伝承はイエスをメシアという信仰が成立した後のことである。素直にマルコ福音書を読めば、イエスを「ダビデの子」と呼んだのはバルティマイである。そしてイエスはその呼びかけに率直に応答している。この出来事のどれだけの歴史的根拠があるかはまったく不明である。ただ「バルティマイ」という固有名詞が明記されていることを考えると、彼ないしは彼の子孫が教会内で活躍していたであろうことは十分に推察することができる。
因みにルカ福音書でも「ダビデの子」という言葉は4回(18:38,39,20:40,44)しか登場しない。初めの2回ではマルコと同じように癒やしの奇跡がなされ、後の2回も神殿内での「ダビデの子」についての議論である。マルコでもルカでもメシアのことを「ダビデの子」と呼ぶ伝承があったことを暗示している。だからこそ、イエスに対して「ダビデの子」と呼びかけることは、イエスをメシアであるとする立場に立っている。ただ一般の群衆はそこまで踏み切れないのであろう。ヨハネ福音書には「ダビデの子」という言葉は用いられていない。
ところがマタイ福音書ではムードががらりと異なり、冒頭で「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」といういわば宣言で始まり、9回ほど用いられている。興味深いのはイエスがエルサレムに入城しようとしたとき、群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んで歓迎している。そしてそれを聞いていた祭司長や律法学者たちが立腹している。要するに、イエスをダビデの子と呼ぶことは明らかに時代錯誤である。おそらくマルコもルカもこの議論をイエスの側から問題提起して議論になったようである。

3.呼ばれただけで喜ぶ
さて話を元に戻そう。群衆が群がる雑踏の中から「ダビデの子、イエスよ」という声が聞こえる。今までに自分のことを「ダビデの子」と呼ばれたなかった、と思われる。弟子たちからでさえ呼ばれたことはなかった。おそらく、イエスは驚いたことだろう。その驚きは、誰も知らない自分自身の本質を、おそらく見ず知らずの男から突然ズバリと指摘されたのである。イエスは「彼を連れてきなさい」と言われた。この言葉は群衆のざわめきのかき消されたのかも知れない。むしろ周囲にいた人々が彼を呼んでイエスの言葉を伝えたようである。「喜びなさい、立ちなさい。お前をお呼びだ」。そのイエスの言葉を聞いて彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにまいりました。イエスがこの男を見たとき彼が盲人であることに気づいた。盲人はイエスに呼ばれただけで飛び上がるように喜んだという。

4.見えるようになること
イエスは優しい声で「私に何をしてほしいのですか」。この問いかけ何か無駄なように思う。この男にとってイエスがただの奇跡治癒者ではない。「ダビデの子」である。ダビデの子自身が群衆の中から彼を呼び出してくれたのであり、しかも何の制限もなく「私に何をしてほしいのですか」と語りかけて下さったのである。何でもお願いできる。そこで盲人は「先生、見えるようになることです」と答える。もちろん盲人が願うことは、見えるようになることであろう。しかしそれだけのことであろうか。それにしては、それに対応するイエスの言葉が不釣り合いである。見えるようになること、この盲人はいったい何を見たいというのだろうか。私は思う。彼は今ここに立っている「ダビデの子の姿」を見たかったのであろう。見て自分自身の判断を確信したかったのであろう。だからそれに応えるイエスの言葉がある。「もう大丈夫だ。あなたの信仰があなたを救った」。その上で、盲人の目は癒やされて見えるようになった。

5.「そして従いました」
ここに登場する盲人の名前は「バルテマイ(テマイの子という意味)」という。イエスから何らかの癒やしを経験した人物について固有名詞が用いられているのは4つの福音書を通じてここでしかない。マタイでの平行記事では「二人の盲人」の話として9章27節と23章30節以下に出てくるが固有名詞は避けられている。ルカではほぼマルコの物語をそのまま引用しているが(18:35)、ここでも固有名詞はない。ここからいろいろなことが推測される。おそらく、マルコの時代には信徒の中に当事者バルティマイさんかあるいはその家族がいたのであろう。それがマタイやルカの頃にはいなかった。
その意味では、ここでの「そして従いました」という言葉には意味があった。

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