ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

聖書におけるハンセン病についての表現

2010-08-07 20:04:19 | ときのまにまに
今でも、1997年3月以前に日本聖書協会が出版した聖書を使っている人も少なくない。とくに、古い信徒の方々は、わざわざ1997年4月以後に聖書を買い換えるというようなことをしないであろう。私もその1人である。そのため、教会などで聖書を朗読する場合「らい病」という言葉が出てくると、「重い皮膚病」と読み替える必要が出てくる。要注意である。そこで、このことについて一言述べておきたい。
聖書から「らい病」という言葉を無くそうという要望が1996年4月に日本カトリック司教協議会から日本聖書協会に寄せられ、続いて同年5月に日本聖公会総会の決議により、同じく7月には日本基督教団宣教委員会等からも訳語の変更要望が提出されました。それらの要望に応えるという形で、1997年4月以後日本聖書協会から発行される聖書について、「らい病」という言葉は「重い皮膚病」に改められた。
「らい病」という表現が暗い歴史を背負っているということは事実である。その場合に、「らい病」という病気に対する間違った認識が、多くの人々に不条理な人生を強制してし、そのことによって「らい病」と呼ばれた人々も、あるいはその家族や、さらには全ての人々にも不快な思い出になっていることも事実である。その意味では「らい病」という言葉は不快語であり、その病気を正しい認識に基づいて新しい表現が要求された。「ハンセン病」というのが、その新しい表現である。
聖書で使われているハンセン病を示す言葉は、旧約聖書では「ツァーラト」というヘブル語で、新約聖書では「レプラ」というギリシャ語である。これらの言葉が指し示している事柄は今日でいうハンセン病とは重なる部分もあるが、異なる要因も含んでいる。その意味ではこれらの言葉を単純に「ハンセン病」と翻訳する訳にも行かない。同時に、これらの言葉を「重い皮膚病」と翻訳してしまうことにも問題が残る。そもそも旧約聖書においても、新約聖書においてもこれらの言葉には差別的な意味合いが強い。それを「重い皮膚病」と翻訳してしまったら、人間が根源的にもっている差別構造が見えなくなってしまう。イエスに対して「あいつはサマリア人である」と批判し連中に対して、「イエスはサマリア人ではない」と反論したとしても、差別する人間の本質を告発したことにはならない。また、サマリア人という言葉を別の言葉に言い換えても同様である。ただ単なる言葉の言い換えでは、差別の構造を隠してしまうことになる場合もある。結論として、現在のところ「重い皮膚病」という翻訳でよしとしておき、解釈によってその不備を補うしかしょうがないであろう。

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