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松村克己『田邊元博士の「福音」論議に就いて』

2010-07-28 17:32:34 | 小論
今日は朝から松村克己先生の『田邊元博士の「福音」論議に就いて』を読んでいる。これは敗戦後3年目の1948年に「基督教文化」の9月号に掲載された論文である。副題に「宗教と哲学並びに科学」が付加されている。この論文は田邊先生がその年の初め、雑誌「展望」1,2月号に寄せられた論文「基督教の弁証」についての貴重な本格的な論考である。
田邊の『懺悔道としてのの哲学』(岩波書店)のは敗戦後1年経った1946年であるため、世人は戦争末期における京都学派の戦争協力に対する懺悔というように理解されている向きがあるが、この本はそんなものではない。田邊は1944年頃から盛んに「懺悔道」という言葉を用い、その年の特殊講義のテーマも「懺悔道」であった。松村は田邊の「懺悔道」について次のように語る。「哲学が単なる論議に終始するものでなく、単なる理性の限界内留まり得きものではなくして、理性の絶対矛盾に破局して無の転換に甦る死・復活の体験を懺悔道として自証された哲学ならぬ哲学を具体的な哲学として主張された」と解説する。
実はこの頃から、田邊の宗教的感心は仏教からキリスト教、とくにプロテスタントに転じる。そして、その2年後に発表されたのが『基督教弁証』であり、この論文が発表されたとき、軽率な人々は田邊がキリスト教へ転向すると予想した者もいたほどである。
この論文をめぐって何人かのキリスト者の批判や感想が発表された。その中でも最も辛らつな批判が赤岩栄牧師による『無の克服――田邊哲学に投ずる5つの石』(「改造」3月号で、松村の本論文は主に赤岩栄牧師への反論が展開されている。
松村は田邊を最も近くから見ていた弟子の一人として、またキリスト者という立ち場から、師田邊の「福音」理解に対して温かい目で読んでいる。松村にとって、哲学と神学とを厳しく峻別し、無前提であることを前提とする哲学は「宗教」からも自由であるべきで、その意味では「宗教哲学」の成立に批判的であった田邊のキリスト教に対する本腰を入れた文章は非常に新鮮に映ったに違いない。
もちろん、ここでも田邊はあくまでも哲学者であって神学者ではない。まして聖書学者ではない。その意味で、歴史的イエスと原始教団におけるパウロ理解において稚拙な点があることは否めないが、その点を批判的に取り上げても何の収穫もない。むしろ、キリスト者のすべきことは田邊が意図している点を真摯に受け止め、キリスト教における欠けているものを反省することである。一つの例として、田邊はパウロのキリスト論を抜きにして直ちにイエスの信仰に倣い、彼の如く信じ、彼の如くに愛し、彼の如くに自己犠牲の道を全うしうるとするに、何処に妨げがあると言うが、その「彼の如く」はキリストの霊を受けて、その霊に歩んで「彼と共に」あって、始めて完うされ現実となるという点が看過されている。(中略)田邊博士に問い返されるべき最重要な点は、この「共に」の真実が博士においてどのように捉えられているか、である。
松村のこの論文は、そう簡単に要約したり、論評できるようなものではない。はっきり言って、私の手には負えない難しい部分がある。ただ、この論文を境に松村は京都学派についてあたかも自分自身で封印をしたかのように、語らなくなった。その封印が破られたのが、1974年の「神学研究」における『哲学者の神――西田幾多郎を中心に――』である。

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