ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

『物語「京都学派」』(竹田篤司、中公叢書)

2008-12-15 18:06:02 | ときのまにまに
アップ・ツー・デートな本ばかり読んでいると、だんだん昔の本を読まなくなってしまう。ザッと、本棚を眺めると、読まねばならない、読もうと思って買ったのに、読んでいない本や、その時の必要に迫られて、中断してしまった本が沢山ある。
それらの本の中から、今日は『物語「京都学派」』(竹田篤司、中公叢書)を取り出し読み始めた。京都帝国大学設立の事情や、文学部設立の人事問題や、西田幾太郎教授が採用されるまでの経緯が、実に、細かく資料を集め、まとめられている。
特に、哲学科については東京帝国大学哲学科における「井の哲」の悪評等々、非常に面白い。
わたしの関心である波多野精一先生が京都に呼ばれた事情や、波多野先生の先生であるケーベル先生と西田先生の学風についての解説は、哲学をしようと思うものにとって、ぜひ知っておかねばならないことであろう。
ケーベル先生は来日されて、日本の学生が古典語を知らないで哲学を学ぶということが、いかにも浅薄に感じられたらしい。当時、日本の哲学者を代表する西田先生は「自己自身の思索の深化のために、あえて、古典語の究明を、ひいては古典語の厳正な読みに基づく省察を捨てたのである」(36頁)と著者は解説する。しかし、その点が、実は西田先生と波多野先生との学風の違いでもあった。
この本では、登場人物はほとんどすべて実名で、日記や手紙も引用されている。
著者は、「京都学派」というものが果たして実在するものであったのか、という点に疑問を持っている。その上で、あえて「京都学派」というものが存在するとしたら、それは西田・田辺の両者、ないし、その何れかから教えを受けた者たちの特定の一群である、と定義づけている(306頁)。
その中で、特にわたしの目を惹いたことは、弘文堂書房から出版された「西哲叢書」である。この叢書の実際上の世話人である下村寅太郎氏が発刊当時のことを回顧した文章が紹介されている。
<京都在住の若い層に勉強と生活に役立つ仕事を提供することが主たる動機であった。>
ソクラテスから現代の哲学者に及ぶ32名の思想家が選ばれ、創刊された。執筆者に要求されたレベルはかなり高く、結局全巻23冊が完成するために10年かかったという。つまり、選ばれた内9名は遂に書けなかったとのことである。
なぜ、わたしがこの叢書に興味を抱くのかというと、実は恩師・松村克己先生の『アウグスチヌス』がこの叢書には含まれているからである。この本の初版は昭和12年で、その時先生は29歳前後であった。先生の大学卒論のテーマは「アウグスチヌスにおける悪の問題」(『哲学研究』第212号)この論文はその年のトップの成績であった。その4年後にこの本が西哲叢書から出版されたということは驚異的である。最近、この本を読み返し、その内容の凄さに驚き、友人の岡田潔さんに話したところ、彼もこれを読み返し、すごいということで意見は一致、彼は早速、これを一冊全部パソコンで入力してくれた。既に校正も終わっている。
かなりの量になるので、これをどういう形で公開するのか現在検討中である。
著作権の問題やら、公開方法について、どなたかサジェスチョンをいただけたらうれしい。

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