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ぶんやさんの記録

顕現日の断想:星の導き 

2016-01-06 17:24:46 | 説教
顕現日の断想:星の導き  マタイ2:1-12

1. 顕現日とは
顕現日というのは、福音がユダヤ人以外の人々にも開かれているということを喜び、感謝する祝日である。現在の私たちから見ると、当然過ぎるほど当然の事実も、初期の教会の人々にとっては決して自明のことではなく、イエスの救いはユダヤ人に限定されたものなのか、それとも全世界に開かれたものなのかということについて大論争が展開したようである。その大論争に終止符を打ったものは、論争の結果ではなく、教会の発展という事実それ自体なのである。初期の教会の中でユダヤ人以外の人々もイエスを信じたら救われたという事実が起こったとき、彼らは福音の本質を理解し始めたのである(Act.10:34-36)。つまり事実が福音の本質を明らかにし、論争に終止符を打ったのである。
従って、外国人に対する宣教活動というものも、教会の勢力拡大のために行われたのではなく、福音は全世界の人々にも開かれているという事実に基づく、福音の本質と新しい時代、神と人との新しい関係を世界に宣言するために行われたと理解すべきである。つまり福音を全世界に顕示することが重要なことであった。この「顕示」という言葉が本日の「エピファニー」という言葉の意味である。つまり今まで隠されてきた真実が輝き始めるという意味である。

2. マタイという人
一応、マタイ福音書の著者を「マタイ」と呼ぶことにする。マタイについて先ず述べておかねばならない点は、彼はヘレニズム的ユダヤ教的教養人であり、かなり意識してユダヤ教の伝統を保存しようと努力している。この点については、田川建三氏は「彼のギリシャ語は、いかにもユダヤ教知識人のギリシャ語である。中身をぬきにして、文章だけ読んでいても、いかにもユダヤ教の言葉づかいというのがひっきりなしに出てくる。けれども、他方この人も明瞭にヘレニズム都市のユダヤ人であろう。文法的、文体的にはすらすらときれいに書かれたギリシャ語である。内容、表現共にいかにもユダヤ教的色彩に満ちているけれども、ギリシャ語としてはきっちりしたぎりしゃごなのである」(「書物としての新約聖書」346頁)という。
実際にマタイ福音書を読む前にこの福音書の主張や思想を論述することは避けたい。むしろ、それは読んだ後に考えるべきことである。ただ、ここではマタイ福音書を書いたマタイの背後には、かなり明白に「マタイ集団」とでもいうべき共同体があったものと思われる。その共同体にはかなり明白に対立する組織があり、この福音書はその組織との対立・抗争の中で書かれたであろう。その対立する組織とはユダヤ教団に属するものもあり、そこから離れた組織もあった。要するに、その頃にはユダヤ教団をめぐって、かなり複雑な離合分裂がなされた。そして最終的にはエルサレムの都市と神殿とは徹底的に破壊され、ユダヤ人共同体は壊滅的打撃を受けた。

3. マタイ福音書のプロローグ(1章、2章問題)
マタイがこの福音書を書く際に、主に二つの資料が目の前にあったであろう。それが、マルコ福音書であり、イエスの語録Qである。全体としては、この福音書の編集の枠組みはマルコ福音書に倣っており、その流れの中でQ資料からの語録を彼独自の編集意図に従って、書き込んでいくという手法をとっている。Q資料についてはルカ福音書も利用しており、ルカの方が原著に近い形を残しているとみなされる。従って、マルコにもルカにも見られないテキストについてはマタイ独自の資料によると見なされる。
マタイ福音書の1章、2章は、マルコにもルカにも見られないものなので、おそらくマタイ独自の資料によるものであろう。特に、2章についてはヘロデ王に関する伝承と東の占星術の学者に関する伝承との二つが組み合わされているものと思われる。それを組み合わせたのはマタイ以前というのが一般的な解釈である。

4. コントラスト
さて、本日のペリコーペは、1節から12節までである。ここを読んで、先ず気付くことは、ここにはいくつかのコントラストが見られるということである。簡単のところでは、「エルサレム」と「ベツレヘム」とのコントラストである。
イエスが生まれた場所はベツレヘムである、という伝承はどこから来たのだろうか。マルコはそのことに触れていない。もちろんイエスの語録を集めたQ資料にも見られない。とすると、少なくとも私たちの手にする資料としてはイエスの生誕の地を「ユダヤのベツレヘム」と特定したのはマタイである。ここにわざわざ「ユダヤの」という修飾語が付加されているのはベツレヘムという町がそれ程有名でなかったことの証拠である。この物語では、イエスの誕生の地が同じように「ダビデの町」と呼ばれている小さくて、貧弱で有名でないベツレヘムであるということが強調されている。王の誕生といえば誰でも「エルサレム」を想像する。しかしイエスの誕生はエルサレムではなくベツレヘムである。
もう一つの重要なコントラストは、異邦人の指導者とユダヤ人の指導者との行動が比較されている。この場合、ユダヤ人の指導者とはヘロデ王と民の祭司長、律法学者たち全員のほか、「エルサレムの人々」も含まれる。「メシアはどこに生まれるか」(Mt.2:4)という情報は「民の祭司長や律法学者たち」が握っていた。彼らはちょっと調べただけですぐに答えを出すことができた。しかし彼らは行動しようとはしなかった。情報を情報としてただ伝えるだけであった。それを聞いた「ヘロデ王」は、自己の保身のためにメシアを殺そうとした。「エルサレムの人々も皆」同様であった。ただ異邦人「占星術の学者たち」だけが、身体を動かし、いかなる犠牲も厭わず、幼子の元に出かけ、幼子を拝んだ。これは、かなり強烈な皮肉であり、批判である。マタイ福音書は冒頭にイエスの系図を掲げ、イエスが「ダビデの子」であることを強調しつつ、同時にイエスの誕生の喜びをユダヤ人に限定せず、異邦人に開放している。

5. マタイの世界主義
マタイ福音書は旧約聖書の神の民としての選民意識を明瞭に持ちつつ、同時にその選民意識をユダヤ人に限定せず、全世界を視野に入れた神の民意識へと開放している。その最も顕著の出来事がイエスの誕生物語に続く「東方の占星術の学者たちの来訪」であり、また、本福音書の最後のシーンである。そこでは、イエス自身の言葉として次のように語られている。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(Mt.28:18-20)。
マタイの世界主義について、これほど明白な言葉はないであろう。むしろ、マタイの世界主義を語る際に重要なことは旧約聖書の「民族主義」であり、ユダヤ人固有の「排外主義」との関係である。マタイの中で、それらの矛盾する二つの要素がどのように組み合わされ、理論化されているのか。使徒パウロのそれとの関係、あるいはヨハネ文書との相違などの問題である。結局、それらの問題に対する答えが、本書の執筆動機であり、語られている内容である。
この点について、結論を先取りすると、私自身の理解は、最初期のイエス集団、揺籃期のキリスト教会の主流派を形成した見解がマタイ福音書に集約されていると推測する。確かに、マタイよりもマルコの方が先に書かれているが、思想としてはマタイの方が先行している。
イエス集団がまだ明白にユダヤ教から分離していない状況において、イエスの教えに固執し、イエスの言葉と生き方を継承しようとしたのがマタイの属する集団であったと思われる。その意味ではマルコ福音書と共にその後の福音書執筆の基本的な資料となったQ資料の担い手とマタイとの関係は強い。むしろキリスト教界における新興勢力であるパウロの影響のもとに書かれたマルコ福音書を一応評価しつつ、そこに欠けているものをQ資料によって補ったのがマタイ福音書であろう。たとえば初期キリスト教会における「柱」であるとされたペテロが若きパウロからこっぴどく批判されている姿(Gal.2:11~14)を見て、知性派であったマタイはパウロのキリスト教だけがキリスト教ではないという視点を与えているのがこの福音書である。マタイの立場はパウロを媒介としない「キリスト教」の知的正統派というべきだろう。この福音書ではペテロの立場が非常に高く評価されている(Mt.16:18)。

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