ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 08/28 鹿児島知事、撤回

2015-08-30 06:46:36 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。小林稔『ヨハネ福音書のイエス』続読。「見ないで信じるとは」。「信じる」とは決断の問題だ。昼寝1時間。知久、来訪。夕方、釣川堤防散策。夜、「最強の二人」「エイジハラスメント」を見て10時半に就寝。俊樹が深夜に英国を発ってただ今、雲の上。5時起床、体調・快調。チュン、チュン。
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藤木 冨士子 体調快調うれしい金曜。明日あさっては朝の挨拶ごめんなさいです。おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 待望の木曜日、いつもの様に優しい知君の訪問に依り、今朝は本当に体調快調なんだろうなぁ~と想っております~♪(^^♪ お守りの内に、奥様共々、穏やかなよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m
posted at 05:21:07


文屋 善明
8月28日 6:23 ·
今日の名言:@Michael_Ende_jp
人間には神話が必要なのです。神話は人間の生の矛盾を、ひとつの物語やひとつの絵にまとめてくれますから。人はそれを指針にできる。(M・エンデ『物語の余白』)
<一言>信仰の真実は神話でなければ語れません。だから「安全神話」は危ないのです。
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植村 光郎 「安全神話」などありません。そんな言葉さえ、発してはいけない。

文屋 善明 「神話」ということの誤用ですね。

西堀 俊和 エンデの言葉にはよく気づきを与えられます。
自分用にシェアさせていただきます。
posted at 06:22:58


「昨日のツイート 08/26」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/290335bd06de350edb3c998fa5b1c1b…
posted at 06:48:19


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
8月28日 6:18 ·
お目覚めの花。「お早うございます。今朝は英国のバラのご挨拶です。早朝にこちらにやって来ました」。(撮影者はただ今日本に向けての雲の上です)
文屋 善明さんの写真

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岡 輝美 英国の薔薇綺麗ですね〜^ ^教会ですか?素敵ですね、憧れる〜


文屋 善明
8月28日 6:11 ·
2015日々の聖句 08月28日(金)
わたしは彼らを地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる会衆となって帰って来る。(エレミヤ31:8)
主人は僕に言った。「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」(ルカ14:23)
私の黙想:
捕囚の地から喜びの帰還の状況。私たちは簡単にバビロン捕囚とか帰還というがバビロンとエルサレムとはどれ程離れているのだろうか。全く別世界である。古代社会はそれを基本的には徒歩で行ったり、帰ったりする。何日間、いや何ヶ月、いや、何年もの旅であろう。どういう経路で、どういう苦労があるのか想像をはるかに超している。その旅は健康な者でも大行軍であろう。途中で多くの死者も出たことだろう。今日の聖句では、その旅には「目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっている女も、臨月の女も共にいる」とわざわざ述べている。この言葉は聞き漏らしてはならない。これらの人々を含めてイスラエルの民なのだ。彼らは当然のこととして、これらの人々を切り捨てないし、見離さない。イスラエルな彼らと供に「大いなる会衆」なのだ。口語訳、フランシスコ会訳では「大きな群れ」、新改訳では「大集団」、松浦君の訳(ケンブリッジ註解)では「大きな一団」。これは決して烏合の衆ではない。一つの塊、一体化した塊、「みんなで一つ」という団体様なのだ。私はこの文章を書きながら、満州からの引き揚げの時のことを思っている。(北朝鮮の)平壌から38度線を越えて韓国まで、山野を越えての逃避行、30人程で出発した集団も最後は10人足らずになってしまった。それこそ身体の不自由な人、幼子は残っていなかった。後から聞くと、多くの日本人は子供を現地の人々に「売って」きたという。それも分かる。それが敗戦国の人間集団が外地から帰還するという現実なのだ。
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村田 多鶴子 本当に(何度聞いても)、胸の痛むお話です。

播 稔 度には2種あるのだなー、苦労の旅(難民等)、レジャーの旅。


文屋 善明
8月28日 8:07 · 編集済み ·
今日の「折々のことば」。「分かる」ということ。「分かること」は分かる。「分からないこと」は分からない。平凡な私にはそれで終わり。で、今日の言葉、「言葉がはじかれている領域」というのが分からない。はじけた言葉に「領域」があるのか。領域からはずれた、あるいは破れた、飛び散ったのが「はじける」ということであろう。どうも、私には詩人の言葉が分からない。旧約聖書の詩編ならよくわかるのに。ヒョッとすると、あれは「詩」ではないのかもしれない。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=888181234592672&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=1&theater

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清水 晴好 私は「はじかれる」を「除外される」と受け取って、「頭ではなく心に染み渡ってくる」と読んだのですがいかが?

文屋 善明 「言葉が除外される」、つまり言葉がなくなる、あるいは言葉が言葉としての機能を失う。お経という言葉が、もう言葉でなくなる。かなり分かってきましたが、そこでは意味を失った言葉は何の意味もないということですね。お経ってそんなモノなんですか。また一つ疑問が増えました。疑問が増えたら、頭で考えます。

門叶 国泰 「お経はそんなモノではない」でしょうね。私の場合は;若い時に覚えた「般若心経」や「修証義(曹洞宗の経典)」は今でも口をついて出てきますが、それなりに、その折々に、考えさせられます。逆に言うと、何かを考えるときに出てくるのでしょうね。暗記したもの、メモをとったもの、はすべてこの類でしょう。(般若心経は漢字の羅列ですから、注釈書を用いないと意味が分かりませんが、修証義などは活字で読むとそのまま心に染み込みます。読経を聞くだけではチンプンカンプンですが)
いいね!を取り消す · 返信 · 2 · 8月28日 9:06 · 編集済み

文屋 善明 門叶さん、ありがとう。お経にも言葉としての意味がある。その意味は頭で理解するもの。


水草 修治 不立文字とかいうのではないでしょうか。「悟りは文字や言葉によることなく、修行を積んで、心から心へ伝えるものだということ。悟りは言葉で表せるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけないということ。」goo辞書

文屋 善明 分からない言葉は何回繰り返してもわかる筈がない。何回か繰り返している内に「分かる」ことがあるとしたら、それはあくまでもその言葉に含まれていた言葉である。そうでないとしたら、お経を唱える人間の言葉の響きとか一種のリズムによる幻想的経験であると私は思う。だからそれは「身体の奥まで染み込んでくる」という表現となる。これを書きながら、私という人間がいかに「俗物」であるかということを意識している。これは神は人間の言葉では表現できないという種類あるいはレベルとは異なることだと思う。

吉岡 卓 “わかる”ということのなかには、いわゆる“理解”するということのほかに、むしろ言語によって“理解”するということを拒むような領域がある、ということではないでしょうか。
つまり、“わかる”ということのなかには、“理解”するのではなく、先生がおっしゃったように、身体の奥底でそれを受け止めるのでなければわからない領域がある、という意味だと、わたしは思います。

播 稔 吉岡兄のおっしゃることにも、おおいに同意いたします。

文屋 善明

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Eiji Tsunakawa · 共通の友達: 林 巌雄さん、他3人
念仏者です。『お経』が話題に入っていますので僭越ながらひと言。仏教徒にとって『言葉』は『方便』です。『分かる』も『理解する』もあてはまりません。ただ『知らしめられる』のみです。その時『言葉』は『光』として立ち現れます。言葉の意味を理解するのではなく、『仏陀の言葉を光として聞く』という体験が私の信仰の原点です。『光を聞く』という否定神学的な表現に違和感を感じられたら、観音様の『観音』(音を観る)に思いを馳せていただければと思います。 合掌

文屋 善明 一つだけ質問。念仏は唱えるものですか、聞くものですか。

Eiji Tsunakawa · 共通の友達: 江見 卓司さん、他3人
おっしゃるような二者択一的なとらえ方は難しいですけれど、とても乱暴なまとめ方をしてしまえば、『念仏』(口称念仏)は、私が称えている(発声している)ことに間違いありませんが、実は私の生物学的な発声器官をお使いになって仏陀が称えられている、そして私は仏陀の『念仏』を聞いているのであって、私どもではこの体験を『聞名』(もんみょう)と名付けて、ひとつの信仰の到達点として大事にしております。

文屋 善明 成る程、何か分かるような気がします。ありがとうございます。

Eiji Tsunakawa · 共通の友達: 江見 卓司さん、他3人
こちらこそ、ありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。 合掌


文屋 善明
8月28日 14:43 · 朝日新聞デジタル ·
この人、どこに埋められてた化石なの。ああ、これが鹿児島県の知事だって。鹿児島県人は恥ずかしくないのですかね。「ちょっと口が滑った」って、やっぱりこの人の頭の中「化石」じゃないか。

女子教育「コサイン教えて何になる」 鹿児島知事、撤回:朝日新聞デジタル
鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、27日に開かれた県の総合教育会議で、女性の高校教育のあり方について、「高校でサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になる...
ASAHI.COM

http://digital.asahi.com/articles/ASH8X3J26H8XTLTB005.html

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Luke Etsuzou Nomahさん、木下 海龍さん、播 稔さん、他58人が「いいね!」と言っています。
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文屋 善明 あまりにも呆れて「ちょっと口が滑ってしまいました」。ホンネです。

橋 和廣 本人が三角関数に恨みがあるのかもしれませんね。

文屋 善明 私が推測するに、知事の執務室で秘書や職員の前でこれを言ったとき「受けた」と思ったんだと思う。部下立ちはまさか面と向かって知事にそういうことを言うものではありませんとは言いませんからね。

橋 和廣 取り巻きのヨイショを勘違い。

文屋 善明

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小糸 健介 高校の先輩の恥ずかしい発言申し訳ありません。男子校育ちの悪い部分がこんなところに現れてしまいます。

文屋 善明 ということは「ラサール」ですか。じゃぁ、サイン、コサインはお手のもとですね。

Sinsam Lee · 共通の友達: 呉 光現さん、他1人
女性でも物理学者や数学者、化学者、医者、エンジニアなどになってる人は沢山いますよね。。。。
アホらし

藤木 冨士子 江戸時代の人?

Daniel Corl <鹿児島県人は恥ずかしくないのですかね> いやぁ、これが精一杯なんでしょう。もっともっと恥ずかしいはからが輩がそでにいくらでもいるようで。

Kensaku Tadokoro · 共通の友達: 齋藤篤さん、他3人
妹が高校生の頃、親父の頼みで数学を教えたことがあった。その時、妹はsin、cosine、tanを学んでいた頃だった。妹曰、「何でこんなもん勉強せないかんの?」
私「そうやなぁ、土木の測量なんかに役立つよ」で、妹が言い放ったのが、「私そんな職業にならんもん」
と切り返してきた。我が妹ながら、中々言うなと褒めてつかわした。
「でも数学って、将来使う使わないを別として、論理的な考え方を学ぶってことにおいては、大切なんだ」と伝えると、更に妹はこう言った。「屁理屈好きのお兄ちゃんが数学好きな訳がよう分かった」結構論理的な応答のオチでチャンチャン。

進士 善啓 人のことは言えないが、三平方の定理くらいちゃんと教えないとダメといいたい!

糸原 由美子 口がすべった、って思っているからですよね。今時女子のほうがよく勉強してるのにね!っていうと逆差別かしらん?

渡辺 高士 · 共通の友達: 金井 望さん、他1人
教養の数学は、沈着冷静や忍耐力を教えているんですよ。良妻賢母に好適。

文屋 善明 数学が忍耐力を教えるという点には抵抗を感じます。数学って面白いというのが数学教育の原点だと思います。

荒井 仁 · 共通の友達: 林 巌雄さん、他27人
「九州男児」らしいですね。今でもいるとは、考古学的な価値があるかもしれません・・・・でも、21世紀ですから。

文屋 善明 そんなこと言ったら、ほかの「九州男児」が怒りますよ。

藤木 冨士子 忍耐力なら編み物を教えた方がいいかも。男子にも。

文屋 善明 それは言える。

磯道義典 女だけでなく男もサイン、コサインは使わない人間多いだろう。この知事も使わないんじゃないの?

文屋 善明 それを言ったら、問題点がすり替えられる。
いいね! · 返信 · 2 · 8月28日 18:43
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文屋 善明
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林 隆生 · 共通の友達: 片柳 弘史さん、他1人
確かに男の私でも三角関数は無駄でしたけどね、と皮肉を。

播 稔 数学は文系、理系は問わず必要。幾何学は考える力の元。

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