ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

散歩道・釣川

2008-11-11 10:43:09 | ときのまにまに
散歩道・釣川
先に紹介した正木晃氏の『宗像大社・古代祭祀の原風景』(11月4日ブログ参照)に宗像氏が日本海を中心に果たした役割について、次のような論述がある。
先ず、ムナカタという名称の語源を探求し、「胸形」「胸肩」等からの展開で、もともとは海に生活の根拠を持つ「海人族」であったと推定し、その上で、下記のように述べる。
<もし、宗像氏が、潜水を中心とする漁労だけの海人集団に終始していたのなら、大きく成長することはなかっただろう。漁労につちかわれた優れた航海技術を積極的に駆使して、荒海で名高い玄界灘を越え、大陸との交易に乗り出したからこそ、他の海人集団には見られない大豪族に発展できたにちがいない。
その宗像氏にとって、釣川の流域に豊かな穀倉地帯を確保できたことは、大きな意味があった。歴史学では、港湾の背後に位置して、その港湾を支配する政治勢力の経済的支えとなる地域を「後背地」というが、釣川流域の穀倉地帯は、まさに宗像氏のかけがえのない後背地として機能した。
もともと、北九州一帯は、ご存じのとおり、稲作栽培の先進地帯である。当時の日本列島では、抜群の穀物生産能力をもっていたはずだ。その蓄積があってはじめて人間の集団は、おおきく発展できる。この点は、もはや世界史的な法則でといってもいい。(90頁)>
わたしたちは、今まさにその釣川流域に住み、釣川の土手を散歩道にし、この穀倉地帯で生産された穀物と玄界灘の魚介類をいただいて生活している。何か、それだけでもとても豊かな気持ちになる。福島園はまさに、そのど真ん中に位置している。

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