ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

裁判員制度の本音・・・・意見の強制

2008-12-13 17:26:37 | ときのまにまに
もともと裁判員制度に反対の立場にある者が、強制的に裁判員に任命され、裁判に関わらされた場合、取り得る対抗手段は、絶対に、イエスとかノートか意見を言わないことで、「わたしはよく分かりません」とか、「ああとも言えるし、こうとも言える」ということしかにと考えていた。
ところがである。まさにところが、よっぽど頭のいい人間がこの法律を作ったらしく、そういう手段がとれなく規定されている。裁判員法第66条に、「(裁判員は)意見を言わなければならない」とある。ところが、少なくとも条文上では裁判官にはそういう規定はない。裁判官は意見を言うのが当たり前であるから、という説明らしいが、アメリカ人弁護士コリン・ジョーンズ氏は、「裁判官が意見を述べないで評決が出るということは制度上あり得る」(169頁)という。特に量刑を決める際に、裁判員の意見を全部聞いた上で「よし、それでいこう」という評決もあり得るわけである、と言う。確かに、そうであろう。最悪のケースを想定するならば、たとえば冤罪事件が起きて、無実の人が処刑されるようなことが起きた場合、担当の裁判官は「わたしは終身刑でもいいと思っていたが、裁判員全員が死刑という意見だったので、あえて反対しなかった」と言い訳することができる。もちろん、そんなことは守秘義務違反になるので、公にはできないが、少なくとも裁判所内では言える。どうやら、この辺のところに、裁判員制度の本音がありそうな気がする。要するに世間の世論を裁判所に持ち込み、裁判官としての責任を逃れる官僚的発想である。これは実に国民にとって恐ろしい制度である。
このあたりの議論は、コリン・ジョーンズ氏の「アメリカ人弁護士から見た裁判員制度」(平凡社新書)の168頁に詳しく論じられており、その他にも、裁判所における「事実認定」の問題点など重要な「欠点」が指摘されている。

最新の画像もっと見る