ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

理由なき殺意

2008-03-30 16:33:20 | ときのまにまに
わたしがまだ高校生の頃、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」という映画がかなり話題になりました。その頃のわたしは映画好きの高校生でしたので、もちろん見に出かけました。確か、2~3回は見たと思います。ちょっと小柄で、はにかみ加減に上目を使うジェームス・ディーンの風貌が、「アメリカ的でない」のが魅力でした。
ジェームス・ディーンが出ている作品で日本で封切られたのは「エデンの東」、「ジャイアンツ」と「理由なき反抗」の3つだけで、結局、「ジャイアンツ」の撮影中、自分の出演シーンを撮り終えた数日後に自動車事故であっけなくこの世を去ってしまいました。非常にショックを受けましたが、いかにもディーンらしい最期だと思ったことが印象に残っています。わたし自身は「エデンの東」という作品が最も印象的で、その後何回も機会がある度に見てきました。エンターテイメントとしては「ジャイアンツ」が一番面白いと思いました。「理由なき反抗」は当時のアメリカの高校生の風俗映画という以上の印象はありません。ただ、この作品の中で、「チキンレース」というオンボロ自動車で崖っぷちまで疾走し、ぎりぎりの所で自動車から飛び出し、どちらが後まで乗り続けていたのかという肝試しゲームのシーンを今でも覚えています。この映画で「チキン」という言葉の隠語も覚えました。当時、日本では中古車でもかなり高価でしたので、アメリカという国の豊かさだけが印象的でした。同じ高校生活といってもその差が大きすぎて、わたしたちの問題とはかけ離れすぎていました。それで、あまり筋書きやメッセージは覚えていませんが、ただ「理由なき反抗」という題名だけは非常に印象的で、当時、流行語にもなったように思います。
最近、実際に起こった2つの殺人事件で、犯人たちは共通して「ただ、人を殺してみたかっただけです」と言い、「誰でもよかった」という言葉を平然と口に出したとのこと。殺人そのものは、カインとアベルの時代から繰り返されてきたことではありますが、犯人のこの言葉にはショックを受けます。まさに「理由なき殺意」です。この事件をどう受け止めたらいいのか判断に苦しみます。これが異常な事件なのか、これからも繰り返される「普通のこと」なのか。こんなことが本当に「殺意」という動機として成立するのか。「理由なき反抗」では、「理由」はかなり明白でした。経済成長に驀進する大人たちの社会に対する、青年たちの「やりきれなさ」が「反抗」という形で爆発したのでしょう。それでは、現在の日本での「理由なき殺人」にも同じような「理由」が考え得るのでしょうか。「命を大切にしよう」とか、「他人の痛みを理解しよう」、というようなレベルの事柄ではないように思われます。何かもっと根源的な問題性があるように思われます。現実とバーチャルとの混同、繰り返し可能なバーチャル世界の現実世界への侵入というような、人間が今までの歴史において経験したことのないような現実が始まっていると思われます。

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