ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/14

2015-09-16 06:20:33 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、教会の礼拝。昼食、謝々、帰宅後、DVD「ハンナ・アーレント」鑑賞。10時半就寝。5時半起床、体調・快調。チュン、チュン。
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大野 泰男さん、小貫 ツマさん、藤井 衞さん、他18人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 先生ご夫妻が、守られて、穏やかなよい時間をお過ごしになれれますようにm(__)m

藤木 冨士子 おはようございます。

文屋 善明 穏やかというより、おろおろしています。
posted at 06:22:05


文屋 善明
9月14日 6:57 ·
今日の名言:@HelenKeller_bot
この世で一番哀れな人は、目は見えていても未来への夢が見えていない人だ。(ヘレン・ケラー)
<一言>この人から、こう言われたら、一言もありません。
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安永 玲子さん、西堀 俊和さん、藤井 衞さん、他24人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 シェアします。
いいね! · 返信 · 9月14日 7:33

播 稔 たしかに。
posted at 06:57:13

「昨日のツイート 09/12 「Times」がNHKの内部文書を暴露」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/c348a5f18bf267d0f075137c292310d…
posted at 08:28:43


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
9月14日 6:55 ·
お目覚めの花。「教会の庭に咲く、白い彼岸花です」「あなたは眩しい光の中よりも、ちょっと暗い日陰の方が美しく輝いていますね」「はい、光は暗闇の中で輝いています」。
文屋 善明さんの写真

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大野 泰男さん、堀 俊子さん、藤井 衞さん、他37人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 闇は光に打ち勝たなかった。


文屋 善明
9月14日 6:50 ·
2015日々の聖句 09月14日(月)
あなたはわたしを陰府に捨ておかれない。(詩16:10、口語訳)
パウロの手紙:わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。(ロマ7:24~25)
私の黙想:
今日の聖句は口語訳からのようである。新共同訳では「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく」で、「捨ておく」と「渡す」とではかなり違う。フランシスコ会訳と新改訳とは「わたしの魂をよみに捨て置かれず」と「魂」を入れてより丁寧に、ここでも、新共同訳だけが一寸違う。「陰府(よみ)」とは簡単に「地獄」とでも解釈してしておけばいい。特に、この場合は、私は「ゴミ箱」というイメージが一番ピッタリする。私は「ゴミ箱に捨ておかれる」のか、それとも「ゴミ箱に掘り込まれる」のか、言葉ほど大差はない。その点、コンピューターの世界では、不要になったデーターを「ゴミ箱」に入れておき、時々、そのゴミ箱を点検して、あるいは一旦はゴミ箱にほり込んだが、後で必要になったら取り出すことが出来る。そして、最終的に不要だと判断されたら、完全に消してしまう。神さまは、私、あるいは私の魂をゴミ箱にほり込み、そのままほっとかれるのか、否、やっぱり必要だとして取り出して下さるのか。微妙なところである。この詩の詩人は、今、ゴミ箱の中に居る。そのまま、ほっとかれれば、それまで。しかし、神は絶対にそんなことを為されない。必ず、ここから取り出してくださると信じている。実は、この句は新約聖書において、イエスの死と復活に当てはめられた。それも教会がこの世界に登場した最初の日の使徒ペトロの大説教の中で、引用された(使徒言行録2:27、30)。だから、私たちイエスを信じる者も「陰府に捨ておかれない」と確信する。
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鈴木 ゴリ 宣仁さん、藤井 衞さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他21人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 シェアします。

門叶 国泰 パソコンの「ゴミ箱」のイメージは「頂き」ます。私は、このゴミ箱も気になって「から」にしてしまいますが、それでも専門家が再生しようと思えば元に戻る、のですね。

橘 智 パソコンの消去データも、復元ソフトで大抵は元どおりに。復活、でしょうか(^^;


文屋 善明
9月14日 8:56 · 編集済み ·
「お斎」について
FBで親しくさせて頂いている僧侶の方の投稿で「お斎」という言葉が出て来ました。クリスチャンホーム2代目半の私にとって初めての言葉でした。何のことかと調べてみてとても教えられましたので、私自身のためにノートしておきます。
「お斎」とは「おとき」と読むそうです。
お斎とは、年忌法要などの仏事が終わった後に頂く食事のことで、本来は寺院で生活する僧侶の食事のことを斎(とき)と読んでおたとのこと。内容は基本的に精進料理でしょう。
ここからが重要です。「斎」という言葉には「正しい」「慎み」という意味があり、古来より日本仏教では、斎(とき)という言葉で、「正しく慎み深い僧侶の食事」(=精進料理)を表してきたとのこと。
キリスト者である私には、よい教えでした。キリスト教でも「大斎節」という季節がありますが、昔、キリスト教が日本に入ってきた頃、欧米語で「レント」といわれるこの季節を「大斎節」と翻訳した人々の教養の高さを思わされました。
僧侶の食事を表す斎(とき)という言葉が、やがた仏事の後の食事を表す言葉となったそうです。
 
ついでにと言っては失礼ですが、仏教における「食」ということも教えられました。
ものの本に、こんな説明がありました。
(以下引用)
何で食事を頂く前に合掌し「いただきます」、食事を頂いた後に合掌し「ごちそうさま」と言うんでしょう?。「いただきます」「ごちそうさま」って誰に対して言ってるんでしょう?。
よく言われることとして「作ってくれた人」に対して言う。・・・間違いじゃないけど、それだけ?。
そもそもです、食べ物とは何なのか。肉というモノ、魚というモノ、野菜というモノ、米というモノが初めからあったのではない。食べ物とは「いのち」なんです。しかも、人間に食べられるために生まれて生きている「いのち」など存在しません。ですから「食べる」ということには「殺」ということが常にあるわけです。しかしながら、私たちも食べないと生きられないですよね。そこで、「食べないと生きられないんだから他の生き物を殺したっていい」となるのか。それとも「殺」の「罪」をしっかりと見極めるのか。これは人間としての生き方が問われるような問題なんです。
 
古来より日本人は、食べ物を食する前と後に合掌してきた。これは「いのち」を頂くんだ、頂いたんだということを確かめていたんですよね。更に「いのち」を頂かねば生きていけないことへの「罪」を懺悔し、「いのち」を頂き自らの「いのち」を生かさせてもらっていることに対して「感謝」していたんでしょう。
<中略>
(現代社会では)食べ物は「いのち」なんだ、食べ物には「殺」ということがあるんだということが見えにくくなっています。これはある意味で大問題なんですよね。
<以下省略>
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三田 清次さん、松沢 直樹さん、小貫 ツマさん、他47人が「いいね!」と言っています。
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有澤 慎一 なるほど。勉強になりました。ありがとうございます!

松木田 博 クリスチャン三代目の私は、この手の事は全く知らないんです。すごく勉強になりました。ありがとうございました。

福田 のぞみ 夫の親戚が仏教なので、おとき、の音は聞いたことありましたが、この字は初めて見ました。
大斉節の呼び名は聖公会独特の呼び名でしょうか?私は無知で、聖公会の方から聞くまで、受難節の呼び名しか知りませんでした。おときと同じ語源とは、なかなか深いですね。
また、食前に手を合わせること、クリスチャンでも手を組むのでなく合掌してから食べる人を見たことがありました。合掌というと仏様のイメージが強く、それを見た時は驚きましたが、合掌の行為の深い意味を理解させていただきました。

萩野 秀子 今の現代は学校給食で頂きますは言わない。なぜなら給食費払っているから当たり前。普通感謝するのが当たり前なのに

齋藤篤 おときとは、久しぶりに聞きました。

福田 のぞみ 給食費払ってるから…とは唖然ですね!そんな問題なのかな~。今の学校教育がそこまでとは…(--;)

播 稔 こういう字を書くのですね。

藤木 冨士子 クリスチャン何代目でなくても、全然知りませんでした。教えていただいてありがとうございます。


文屋 善明さんが株式会社ヨベル yobel, Inc.さんの投稿をシェアしました。

株式会社ヨベル yobel, Inc.さんの写真

キリスト新聞2015.9.19号
門叶国泰著『説教聴聞録 ローマの信徒への手紙』の紹介記事掲載!!

小さな波紋が続いています本書の持つ魅力。信徒神学としての「聴聞学」是非店頭で手に取ってみてください・・・
ヨベル新書・304頁・1000円+税
978-4-907486-24-2

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藤井 衞さん、藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他9人が「いいね!」と言っています。

株式会社ヨベル yobel, Inc. シェアしていただきありがとうございます。

文屋 善明 あまりにも完璧すぎて「批判」の余地がありません。ただ、推薦するだけです。

村田 多鶴子 私も、友人へおくるものを含めて三冊買い求めました。

文屋 善明 この本は、基本的には、そういう買い方、そういう使い方、そういう読み方をする本ですね。

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