ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート12/17

2011-12-18 06:38:16 | ツイッター
お早うございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。昨晩は「医療捜査官」の途中でダウン、風呂に入って11時に就寝。今朝は5時半に起床。マルコ福音書の全体構造が中々見えにくい。何か「論理」がある筈だ。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:57:30

#losungen 今日のローズンゲン 12月17日(土): 民は、彼らが全き心をもって自ら進んで主にささげたことを喜んだ。(1歴代29:9)
posted at 06:04:18
#losungen : あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。(2コリント8:7)
posted at 06:05:17
#losungen 私の黙想: 国家権力の横暴さは、国民にボランティア精神を強要することにある。最もわかりやすい例は徴兵制度であるが、最も身近な例では税金がある。社会は相互扶助という善意(ボランティア精神)によって支えられているが、この善意を税金に置き換えるのが国家である。
posted at 06:32:17

今日の名言: RT @meigennavi:
いじめた子が悪い子で、いじめられた子が良い子ってどうしてわかるんだ。良い子がいじめて、悪い子がいじめられている場合だってあるんだぞ。(永六輔) 
<一言>そういうこともあるだろうな。ところで、君、その「良い子」、「悪い子」ってどういう意味なんだ。「悪い検事」もいるし「良い被疑者」もいる。「良い」「悪い」を判定する裁判官にも、「良い人」もいるし「悪い人」いるしな。
posted at 06:39:38

「昨日のツイート 12/16」をブログにアップしました。 http://t.co/gkNBPLkW
posted at 06:55:30

近くの宗像黙想の家に水(ラファエルの水)を汲みに行ったところ、クリスマスのクリッペが飾られていました。 http://t.co/ddEkxmba
posted at 14:57:40

<FBより>
文屋 善明
先ほど宗像黙想の家の「クリッペ」の写真を紹介いたしましたが、正確にはイタリア語で「プレゼピオ」と呼ぶべきでしょう。一般的には「クリスマスの馬小屋の飾り」と言われていますが、カトリック教会では「飾り」というレベルのものではなく、まさにクリスマスイブ礼拝で重要な役割をしている。おそらくプロテスタント諸教会ではそのことについてはほとんど理解されていません。それでブログ「ぶんやさんち」で私自身の驚きの体験として報告しています。ご参照まで。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/f2ec4d31d96533ee6d9979a02e5dc7a1
大浦天主堂での深夜ミサ - ぶんやさんち
blog.goo.ne.jp
今年のクリスマスイヴは、長年の念願がかなって、長崎の国宝大浦天主堂でのミサに参加してきました。 今までクリッペというものをクリスマスツリーと同じようにクリスマスの飾り付け程度にしか思っていませんでしたが、クリッペというものの意味が分かったような気がしました。

<補遺>マルコ福音書の13章までの部分と14章以下の部分との相異について学ぶ。学者たちの間でかなり論争のあるところ。あまり細かく見過ぎると、つまり近づきすぎると対立的な部分が大きく見るし、少し距離をおいて見ると一体に見える。同じ著者でも年齢によって、その時の問題意識によって、文体も論点も変化するのは当然ではないか。その変化が面白い。それと13章のいわゆる「小黙示録」の問題も同様であろう。この部分は、エルサレム崩壊後に「差し替えた」のではなかろうか。鍵を握るのは「いちじくの木の教訓」が2つある(11:20と13:28-30)。



最新の画像もっと見る