ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 12/10

2016-12-12 06:39:49 | ツイッター
お早うございます。主の平和。二人で整骨院へ。断想をアップ。『旧約聖書と哲学』を読む。昼寝30分。預言者の一言イメージを考える。「泣き虫エレミヤ」「幻のエゼキエル」「ボヤキのヨナ」「妻に逃げられたホセア」「田舎もんアモス」「貧乏人ミカ」「内蔵を掴むゼファニア」「祭司嫌いのマラキ」「酔っ払いヨエル」等々。釣川堤防散策。船越英一郎主演「所轄刑事」を途中まで見て10時に就寝。5時半に起床。熟睡。体温:36.3、血圧(156:88、68)・体調、・快調、チュン、チュン。

36 小林 由紀子さん、佐藤 静代さん、他34人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪よく晴れた寒い朝です。
預言者の一言イメージを読んで、昨日の「ナイトでデイト」を思い出しながら(笑)、上手に表現しておられるなぁ~と感心しております。先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

文屋 善明 私の勉強の仕方がバレてしまいました。

東山 富昭 おはよう☀ございます。今日も、よろしく、お願いします。明日の聖日のために、心を整えます。

萩野 秀子 おはようございます。耳鼻科二人の子供をつれていきます。守られますようにお祈りします。


文屋 善明
12月10日 6:10 ·
お目覚めの花。「美味しそうな菊」「これ食べられるのかな」「食べてみてみ」「今日は土曜日ですよ。危ないことはよしな」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然

35 久保和男さん、藤木 冨士子さん、他33人
コメント

若月 新一 おはようございます。


文屋 善明
12月10日 6:32 ·
2016 日々の聖句 12月10日(土)
見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄えこの国に正義と恵みの業を行う。(エレミヤ23:5)
前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マルコ11:9~10)
私の黙想:
「ダビデのために正しい若枝を起こす」、この場合の「ダビデ」とは歴史的人物としての「ダビデ」というよりも、イスラエルのため全体を意味していることは明白である。彼らにとって「ダビデ」という場合、南北に分裂する以前のイスラエル、ユダとイスラエルに別れる以前のオール・イスラエルである。この分断は外敵によるというよりも、内部の勢力争いの結果であった。つまり、別れているということ自体が、神に対する罪であった。その意味では、この句に続く6節の預言は、統一国家の成立を意味する。それが彼らにとって救いだという。「彼の代にユダは救われイスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる」。その意味では、「ユダ」にとっても「イスラエル」にとっても「民族の再統一」が悲願であり、それが実現されないと、本当の「我らの救い」にならない。エレミヤという預言者は彼の目の前で北のイスラエル国が強大国アッシリアによって滅ぼされたのを見て来たのである。しかもそこに含まれた10支族がアッシリアによってどのような取り扱いを受けたかも見て来た。だから、この悲願は強烈であった。

27 藤木 冨士子さん、文屋 知明さん、他25人
コメント

清水 行雄 おはようございます。それがシオニズム運動であり、現在のイスラエル国家であると、いわゆるユダヤ人系の人たちは、解釈しているのでしょうか?

文屋 善明 そのようですね。でも、キリスト教がそれをイエス・キリストに当てはめたよりも、旧約聖書には即しています。ただ、現在のイスラエル共和国がそれに当てはめるのにもかなり無理があるようです。

清水 行雄 ローズンゲンでのヨシュアではありませんが、現在イスラエル国家を対外紛争の最中で維持しているイスラエルの人々は、自らをモーセやヨシュアになぞらえているのかもしれませんね。


文屋 善明
12月10日 6:47 ·
今日の名言:@Michael_Ende_jp
沈黙というのは言い淀んで黙ってしまうという方の黙るではなく、ある一定のものを表しておきながら、何かを意図的に語らないという意味です。そうしておいて読者の中にそれが湧いてくるのを待つのですね。そういう意味で私は文学は「沈黙」の芸術であって「語り」の芸術ではないと言いたいのです。(ミヒャエル・エンデ)
<一言>うーーーーーーーむ。

30 藤木 冨士子さん、文屋 知明さん、他28人
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コメント

播 稔 エンデはそういうのですか。 文学は文章の中に夢(想像)をみる。


文屋 善明
12月10日 6:48 ·
イミタチオ・クリスチ(332):
この世に属するものへの愛とは、愛していると思っているだけで実は幻想である。イエスヘの愛のみが真実であり永続する。この世の物への執着は、それがなくなってしまうと共になくなる。しかしイエスとの親密な関係は永遠である。だからイエスと親しくなりなさい。すべての友があなたを見捨てても、イエスだけはあなたを見捨てず、守られる。いずれあなたが望もうと望まないでも、この世の友とは別れなければならないのである。2:7:3~6

25 久保和男さん、藤木 冨士子さん、他23人


文屋 善明
12月10日 8:27 ·
今日の「折々のことば」。この時期、いや別にこの時期でなくても、この物語を思い出させて頂いて感謝です。いつでも、この物語を読むと、心が穏やかになる。「賢者の贈り物」、何が賢者の贈り物なのか、思い返させてくれます。この若い夫も、若い妻も、心からその贈り物を受け取り、どんなに気持ちが穏やかになったことでしょう。そうだ、この言葉がそれをすべて語っている。「あたし、髪が伸びるのが早いから」。これに対応する夫の言葉がないのも、なかなか良い。
自動代替テキストはありません。

42 久保和男さん、木下 海龍さん、他40人


文屋 善明
12月10日 9:07 ·
「昨日のFB 12/08」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

10 久保和男さん、北村 良輔さん、他8人


文屋 善明
12月10日 9:31 ·
「今週のローズンゲン 2016/12/04~12/10」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

13 久保和男さん、藤木 冨士子さん、他11人


文屋 善明
12月10日 15:55 ·
事柄が深刻すぎて、しかも大局的なので、この事実を突き付けられても、どう対処したらいいのか、分からない。分からないまま、ズルズルと坂道を下がっている。個人が「守りの姿勢」に入ってしまうと、この坂道は予想以上に急坂になる。ここに戦争という要因が加わると、若者人口はますます減少する。あ〜、どうしたら良いんだ。とりあえず、このデータをシェアしておく。

服部 弘一郎さんがWordPressで記事を公開しました。
12月10日 11:41 ·
WordPress
·
東洋経済オンラインに、「日本人は「人口急減の恐怖」を知らなすぎる」という記事が載っている。ここに紹介されているグラフは、人口問題に興味を持つ人にとっては見慣れたものだ。  人口推移の予測というのは「今年生まれた子供は20年後には二十歳になる」とか、「現在二十歳の人達は50年後には70歳だが、それに死亡率を掛け合わせると生きている人はこのぐらい」というバカみたいに簡単な仕組みで作られているので、不確定要素が少なくてきわめて精度が高いのだ。このグラフの形を見て「極端すぎる」「いくらなんでも」と思う人は多いと思うが、たぶん日本の未来はこのグラフを正確にトレースしていくことになるだろう。  僕自身は人口減少で日本は壊滅的なダメージを受けると考えているのだが、人口減少に対して楽観的な人達は「そもそも日本は人口が多すぎたのだから減ったって構わない」などと言う。「日本の人口が1億人前後だった昭和40年代に、日本は高度経済成長のまっただ中だったではないか。人口が減ったところで経済とは無関係だ」という人たちもいる。  まったくバカな人達だ。問題は人口そのものではなく、人口構成の変化にあることがわかっていらっしゃらない。  一昔前のベストセラーにあやかって、「日本がもし100人の村だったら」と考えてみればいい。人口1億人弱の1965年と、将来予測で同じ程度の人口になる2050年を比較してみよう。  1965年の日本は、村民100人のうち68人が生産年齢人口と呼ばれる15歳から64歳までの働き手で占められていた。14歳未満の子供は26人。65歳以上の老人はたった6人だ。  2050年の日本村を見てみよう(参照)。人口100人のうち、生産年齢人口は51人に減っている。子供の数は10人に減った。残り39人が老人だ。  同じ人口でも、全体の7割が働き手で残り3割を支える社会(1965年)と、人口の半分が働き手として残り半分を支える社会(2050年)とを比較すれば、どちらがより豊かだろうか?  人口が増えている社会というのは、年をとって死ぬ人よりも、生まれる人の数が上回っている社会だ。そこでは若年人口が増える。働き手の多い活気のある社会になる。  一方で人口が減っていく社会というのは、年をとって死ぬ人の方が、生まれてくる人の数を上回っている社会だ。それは年寄りが多いという意味であり、若者の少ない活気のない社会になる。  急激に人口が増加する社会は、全体の中で若者人口の比率が高くなって活気がある。1965年というのは、まさに日本にとってそういう時期だった。戦後生まれの団塊の世代が、生産年齢人口に達したのがちょうどこの時期だ。このあとも昭和20年代のベビーブーム世代が続々と社会の中で働き手の側に回り、生産と消費の中心として日本経済の推進役になったのだ。  日本は既に人口減少期に入っている。現在の出生率では人口増は望めず、人口減少は加速度を増していくだろう。社会は高齢化と人口減少に最適化して行き、子供を生み育てる少数者にとっては生きにくいものになるだろう。そしてますます少子化は進行していく。  日本の人口はどこで底を打つのだろうか? 政府は人口予想グラフに抗って、「8千万人〜1億人ぐらいで静止人口にしたい」と考えているようだ。しかしどうすればそうできるのか、方法はまったく見つからない。とりあえず目先の対策としての少子化対策や子育て支援策は必要だが、そんなものは今後の急激な人口減少の前には焼け石に水。まず間違いなく、政府の目標は達成できないまま人口は減り続けるだろう。  人口長期推移の予想グラフでは、2100年時点で日本の人口は現在の半分になるという。2100年はそれほど遠い未来ではない。今年生まれた子供が、まだ80歳代のうちにその未来はやって来る。それは人口増加時代しか知らない我々にとって、予想もできないとんでもない未来になっているに違いない。

https://eigajournal.wordpress.com/…/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%8…


日本は破滅的な人口激減期に入る
東洋経済オンラインに、「日本人は「人口急減の恐怖」を知らなすぎる」という記事が載っている。ここに紹介されてい…
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