ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/05 イースター

2015-04-07 08:25:13 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。志賀島のホテルで朝5時に目を覚まし、ローズンゲンを読み、朝風呂、8時朝食、10時にチェックアウト、博多に向かう。ヨドバシカメラで買い物、中央市場の魚辰で昼食、帰宅後、iPodにDA移動、iMacのHDの交換。11時に就寝、5時半起床。体調・快調、チュン、チュン。

Luke Etsuzou Nomahさん、細谷 民子さん、植村 光郎さん、他23人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。happy Easter!

望月 克仁 イースター おめでとうございます。

鈴木 くるみ Fröhliche Ostern

萩野 秀子 おはようございます。イースターおめでとうございます。長男が洗礼を受けます。祝された時となりますように。お祈りします。

望月 克仁 二重のお喜びの上に祝福を祈ります。おめでとうございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ Happy Easter! イースター礼拝が祝されます様にm(__)m
posted at 06:02:27


文屋 善明
4月5日 6:50 ·
今日の名言:RT @Michael_Ende_jp:
ユーモアは子どもたちに、人は失敗するし失敗してもいいんだと語ってくれるからです。いやそればかりか、私たちには足りないところがあるから、だからこそ愛されるのだと教えてくれます。(『エンデのメモ箱』)
<一言>大丈夫、まだ取り戻せる。

竹本 耕造さん、西堀 俊和さん、細谷 民子さん、他16人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 もうひとつ。人を褒めることもあります。
posted at 06:49:38

「昨日のツイート 04/02 娘と孫息子との来訪」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/8f9f01be1fb5f30208f50e562d73826…
posted at 08:17:37

「昨日のツイート 04/03」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/6593044e069eda67198a63081d12bf8…
posted at 08:33:35

「今週のローズンゲン 2015/03/29~04/04」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/23de99be3173d6fe848b547049e4711…
posted at 08:41:20


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
4月5日 6:44 ·
お目覚めの花。「イースター、おめでとうございます」「今年の復活日は、なぜかどんよりしています」「墓石を吹き飛ばすような勢いがありません」何ででしょう」「復活という言葉が、何か嫌なものの復活を思わせるからでしょう」「新しい生命の復活というより、死への勢力の復活を思わせるからでしょう」。
文屋 善明さんの写真

森内 幸春さん、Luke Etsuzou Nomahさん、竹本 耕造さん、他34人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 おはようございます。生きとし生ける者たちへの花の写真でしょうか?

文屋 善明 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主、主の栄光は天地に満つと。
栄光ある使徒の組み、誉れある預言者の群れ、白い衣の殉教者の隊、主をほめたたえる」(祈祷書「賛美の歌」より)

清水 行雄 今は桜の季節なので、西行の歌を引用します(^_^) 「春風の花をちらすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり」

Satoshi Mizota サンクトゥスは読み方ひとつ違うだけで不気味に思います

植村 光郎 ほろぶるものをあがなうために。ハモリが素晴らしい。


文屋 善明
4月5日 6:35 ·
2015日々の聖句 04月05日(日)
わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。(イザヤ43:21)
イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。(ルカ10:21)
私の黙想:
イースターの朝から変なことにひっかかる。「栄誉を語らねばならない」。この「ねばならない」は強制ではないのか。強制された賛美など賛美ではない。変なことを思い出す。「大政翼賛会」、これこそが強制された「翼賛」である。という訳で口語訳を見る。「この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造ったものである」。意味することがぜんぜん異なる。この訳では「ねばならない」がない。むしろ造り主の意図が述べられている。
親子関係において強制的な愛情の交流はありえない。親の方では「意図・目的」さえない。子の方にも強制もなければ、孝行の義務さえない。親の方にあるのは子の成長と子の幸福感だけであり、子の方にも親の喜ぶ顔であり、親の幸せである。「強制」という言葉がそこに入ってくると、全てがぶち壊しになる。親子関係の破綻、それは子が親を「疎んじる」(22節口語訳)こと、子が親を「重荷」に感じること(22節新共同訳)。
かつて日本では「忠孝の思想」が強制された。「忠」には強制の香りがする。しかし「孝」には強制はなじまない。その相矛盾する「忠」と「孝」とを組み合わせることによって、「忠」のもつ強制性を薄める。逆に「忠」と組み合わされた「孝」はこの本質を破壊する。ある意味で、それが戦後日本の家族関係を破壊した遠因ではないだろうか。「忠」の破棄と共に「孝」まで破棄してしまった。
イースターに相応しくない「黙想」で失礼しました。

Luke Etsuzou Nomahさん、竹本 耕造さん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、他20人が「いいね!」と言っています。
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門叶 国泰 原文は強調(Piel.)の3人称・複数・未完了(Jussive),Let them・・・程度でいいのでしょうね。

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