ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 08/26~09/01

2012-09-03 06:00:34 | ローズンゲン
losungenj 2012.08.26(sun)
人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは、神の賜物である。(Ecc3:13)
彼らは毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をしていた。(Act:2:46)
私の黙想:
ここには魂とか永遠の命とか霊の糧等「形而上的なもの」は視野に入っていない。徹底的な「天の下」主義である。その意味では徹底したニヒリズムであるが、そこでの充足した人生が謳歌されている。この、私の、「今、ここの」人生そのものが神の賜物であるという。「明るいニヒリズム」というべきか。

losungenj 2012.08.27(mon)
主の中の主に感謝せよ。ただひとり驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(Ps136:3,4)
良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。(Jam1:17)
私の黙想:
礼拝における交唱。「慈しみはとこしえに」という言葉はたった2語である。この言葉の前に「なぜならば」とか「まことに」を意味する「キー」という接続詞が入る。先導者の「感謝せよ」を受けて会衆は声を揃えて「キー レオラム ハスドー」という。そこに共同体の一体感が生まれ、神との永遠の契約が固められる。

losungenj 2012.08.28(tue)
わたしはいと高き神をたたえ、永遠に生きるお方をほめたたえた。その支配は永遠に続き、その国は代々に及ぶ。すべて地に住む者は無に等しい。(Dan4:31-32) 
わたしたちは、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の弱さは人よりも強いからです。(1Cor1:24,25)
私の黙想:
「全て地に住むもの」をカッコに入れてその前にゼロを置く。カッコの中がどれ程プラスであってもマイナスであってもカッコを開くとゼロになる。それが「存在(=実存)」のリアリティ。これほど厳しいニヒリズムはあるだろうか。全ては神においてのみ実存する。旧約聖書の存在論を言語化するとこうなる。彼らはバビロニアの繁栄を見て、世界の栄枯盛衰を見て、この認識(諸行無常)に至ったのであろう。

losungenj 2012.08.29(wed)
神を知らぬ者は心に言う「神などない」と。(Ps14:1)
神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選ばれた。(1Cor1:27)
私の黙想:
黙想する前に、先ず気になったこと。私の記憶では冒頭の言葉は「愚かな者」であったはず。それで手元の全ての邦訳を見ると全部「愚かな者」になっている。なぜ新共同訳だけが「神を知らぬ者」と訳したのか。神を知らぬ者が「神などいない」というのは当然すぎる。また「知らぬ」という言葉は口語ではない。「神など」の「など」という言葉は何を意味するのだろうか。「神なんかない」という意味か、あるいは「神々」か「神等々」か、明白でない。元もとない言葉なら、書き加えない方がいい。「神はいない」でスッキリするではないか。また、「心に」も変だ。新共同訳に関わった多くの日本人は、この訳で納得したのだろうか。「馬鹿は心の中で『神はいない』という」で、スッキリ。

門叶 国泰 同意! 最近、頓に文屋先生と同じ個所が気になるようです。

門叶 国泰 神:マソラ原文は「エロヒーム」です。よって、「gods」「God」どちらにも取れます。「エーン=not」は単・複両用です。

文屋 善明 問題はエロヒームが単数か複数かではなく、「神など」という場合の「など」という日本語の問題です。

losungenj 2012.08.30(thu)
主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。(Ps6:2)
キリストはすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。(2Cor5:15)
私の黙想:
「叱る」とか、「懲らしめる」ということは非常に難しい。優しい顔で叱るわけにもいかず、怒った形相で叱ったら相手を脅かすだけになる。鬼のような形相で、しかし内面に愛を秘めて叱る。その土台にあるものは、叱る者と叱られる者との信頼関係であろう。

文屋 善明 旧約聖書には「叱る」という概念はあったのだろうか。

門叶 国泰 「ガアール」をどう訳すかですね。BDBの訳は「rebuke」の一語です。新共同訳は創世記37:10は「叱る」と訳していますが、詩篇9:6では「叱咤する」詩篇119:21では「とがめる」と訳し変えています。新改訳は何時もの通り忠実に全部「叱る」。箴言3:12もマソラ原文は「ガアール」です。そのまま忠実に訳すと「rebuke:叱る」になるのですが!?

文屋 善明 ありがとう御座います。非常に参考になりました。先ほどA-Bibleで検索しましたが、口語訳しか検索ができず発見できませんでした。やはり、ヘブル語からの検索でなければいけませんね。私はここの「責める」という言葉を「叱る」と解釈しました。

losungenj 2012.08.31(fri)
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(Isa9:1)
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。(Eph5:8)
私の黙想:
預言者イザヤは、当時の世界において支配的であった「光と闇」の二元論を、イスラエルの文脈に取り入れ、終末論的な希望を語る。非常にダイナミックな発想。現世界を支配している闇はやがて(近いうちに)「大いなる光(=ヤハウェ)」にのみ込まれる運命にある。

losungenj 2012.09.01(sat)
優れた会衆の中であなたに感謝をささげ、偉大な民の中であなたを賛美できますように。(Ps35:18)
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(Mat5:16)
私の黙想:
今日の聖句には反転した心情がうかがえる。自分たちを既に「優れた会衆」、「偉大な民」だと思っている。しかし周辺の諸民族はそれを認めてくれない。その結果、彼らには捻くれた僻み根性が感じられる。だから、神よ、連中にそれを分からせて下さいと祈る。

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