ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 03/09

2014-03-11 08:01:55 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『ユダヤ教の福音書』読了。ノートの整理とブログにアップ。エラスムスの『痴愚神礼讃』を読み始める。翻訳文が読みやすい。夜はハーモニカ練習。教則本が必要。草剛・南果歩共演「スペシャリスト2」を途中まで見て10時にダウン、就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。

立部 瑞真さん、石田 聖実さん、金井 由嗣さん、他19人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。礼拝に行きます。良き日となりますように。お祈りいたします。
posted at 05:00:48

文屋 善明
今日の名言:RT @VEbot1:
悩む人ほど健康で人間的である。悩む能力が麻痺していないからだ。(フランクル)
<一言>悩むことはいいことだ。多少はグチってもいいじゃないか。愚痴ることによって同じ悩みを持つ人と出会い、連帯し、悩みの種を克服する力が与えられるかもしれない。

村瀬 汎昭さん、立部 瑞真さん、西堀 俊和さん、他19人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 愚痴れ、愚痴れ、もっと愚痴れ。YHさんは愚痴らなすぎる。
posted at 06:32:20

「今週のローズンゲン 2014/03/02~03/08」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/5006fad80306a3a191416b3755f5b0d…
posted at 07:45:10

今日もバイトか?RT @ptkoike: 起きれた。
posted at 07:45:59

「昨日のツイート 03/07」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/b4c757a9f4f898bf733fa8bf25434fd…
posted at 08:19:56

文屋 善明
お目覚めの花。「さぁ、今日は大斎節第1主日です」「それで?」「いや、ただそれだけですよ」「大斎節の『桜』って似合う?」「ええ、大斎節でも主日は祝日なんですよ」「むかし、ある司祭さんが大斎節の期間に禁煙しておられましたが、大斎節の節制が免除されるということで煙草をスパスパ美味しそうに。大斎節の40日間からは日曜日を除いているでしょう」「へ~、いいかげんなものなのね」。 (写真4枚)
写真

村瀬 汎昭さん、松永 健治さん、細谷 民子さん、他33人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 文屋先生、Selamat pagi ! 今日の日曜日が 皆さんに とって 恵み豊かな 一日となりますように
Grace for today on Sunday morning, will be rich one day and Have a Nice BeautifulSunday! & Goodrack!Mesesu de la Esperanza!

文屋 善明
2014日々の聖句 03月09日(日)
わたしの救いと栄えは神にかかっている。(詩62:8)
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。(1テモテ1:15)
私の黙想:
詩62の形は美しい。A(2節~4節前半)とB(6節~8節前半)とが美しいシンメトリーを作っている。内容的にもAとBとは対照的である。フランシスコ会訳では更に緻密に対比されている。それだけに、2節の「ただ神に向かう」と6節の「ただ神に向かえ」の文型の違いが際立つ(口語訳、新改訳は同型)。フランシスコ会訳では「ただ神のうちにあって安らぐ」と「ただ神のうちにあって安らげ」。内容的にも、2節の「救い」に対して6節は「希望」である。つまり、Aは現在の詩人であり、Bは将来の詩人である。その上で、本日の聖句と4節の「お前たちはいつまで人に襲いかかるのか」という言葉の対比が注目される。現在、詩人は人々から「亡き者」とされようとしている。しかし私の将来、あるいは「将来の私」は「神にかかっている」という。
この詩は、それで終わらない。この個人的な経験と信念、つまり「 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう」という生き方が「民全体」のものにならねばならないと唄う。これを背景として10節~11節の警告が現実的になってくる。

村瀬 汎昭さん、Yoshiyuki Sakaeさん、西堀 俊和さん、他20人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 有難うございます。良く分かりました。

清水 行雄 先生、おはようございます。詩編は正直どう読んでいいのかわからないので、先生の黙想に従って断片的によむばかりです(^^;)

文屋 善明 その「断片的」ってどういう意味ですか。詩篇に含まれている詩は原則的にはそれぞれ独立した詩の集まりなので、断片的に読むのが正解です。そのまま読めばいいのです。最も手っ取り早い読み方は、フランシスコ会訳で読むと、それぞれの詩に解説が付いているので便利です。

清水 行雄 いや、旧約の歴史的背景が頭に入っていないので、取り付く島がないということです(^^;)

清水 行雄 それと詩編は長いので、僕のものぐさ癖が頭をもたげるといった方が正解でしょうか(^^)

文屋 善明 それなら、一つも読まなくても何にも困りません。旧約聖書の中でも詩篇は特別です。私も1年間、詩篇からだけ「説教」をしたことがありますが、それはとてもいい経験でした。面白かったです。要するに「面白がれば」いいのです。

文屋 善明
今朝の朝日新聞の読書欄に面白い書評を発見
そのまま、引用するのは申し訳ないが、宣伝になると思うので、お許し頂きたい。

『〈そうだったんだ!日本語〉 じゃっで方言なおもしとか』 木部暢子〈著〉

◇人と人との距離感を縮める

書名をぱっと理解できる人は日本語話者でも少数派だろう。方言を研究する著者の拠点となってきた鹿児島で「だから方言はおもしろい」の意。
著者が鹿児島で経験した自動車免許の学科試験の話が秀逸だ。例えば「軌道敷内を通行してはいけない」という○×問題に「×」と答えてしまい(正解は○)、何度も試験に落ちる人がいる。否定の表現を含む質問に対して、標準語的には「いいえ~肯定、はい~否定」だが、鹿児島弁では、英語の「YES~肯定、NO~否定」と同じ発想で、つまり、試験問題に正答すると間違いになってしまうのだ! この種類の方言は、鹿児島だけでなく各地にあるという。
さらに、質問文の文末を下げる方言(よその人には質問なのか分かりにくい)、「お目にかかりません」を意味する言葉が「おはようございます」になる方言、「わたしたち」と言う時に、話をしている相手が入るかどうかで違う単語を使う方言、等々、本当に方言は多様だ。「おもしろい」というのはその多様性を肯定的に捉える態度からくる。
かつて、方言は抑圧され、学校教育でも排斥された。方言を使うと「方言札」なるものを首から提げさせられた地域もある。しかし、今、方言の価値を再評価するべきだという。「方言はその地域の人々を和ませ、人と人との距離感を縮める」からだ。その一方で、そのことが他者の排斥に繋(つな)がる可能性にも言及し、「言語を絶対視」することの危険性も説く。これまでの方言軽視が、標準語の絶対視から来ているなら、この危険性について我々は学習済みだとも。
なお、日本語の方言のいくつかは、独立言語の国際基準を満たし、かつ「消滅危機」を危惧されている。世界中で起きている言語の消滅の問題など、昨今の方言や少数派言語をめぐる議論の背景を知ることもできる。日々、我々が使う、ことば、について考える契機となるだろう。<評・川端裕人(作家)>

岩波書店・1785円。

玉城 豊さん、菊池 光徳さん、望月 克仁さん、他15人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 九州のどこか、長崎?でそちらへ行くという意味のことを来るというとか、たとえば2時18分のことを2時20分前というところがあると聞きました。どうしても行き違う現象がおきますよね。

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