ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

半開きのドア

2010-03-04 13:10:41 | ときのまにまに
神戸女学院の哲学の教授、内田樹(たつる)さんのブログ(「マルクス本を書いてます」2月14日付)で、こんな文章に出会った<真に批評的な知性は「他者へのドア」がいつも半開きになっている。> この言葉は誰かの引用か、それとも内田さんのオリジナルか分らない。そんなことはどうでもいいが、この言葉自体は間違いなく真理である。
この言葉が語られた個人的事情には触れないように、その前後の文章はこうなっている。
<わが知識人たちは久しくその批評性の鋭さを「攻撃性」を指標として考量してきた。「非寛容である」ということと「批評的である」ということはぜんぜん意味が違うと思うのだが、どういうわけか、それを同義だと勘違いしている人がいる。どれほど無慈悲で切れ味のよい批評を他人に向けて行っていても、そうしているおのれ自身の判断に紛れ込んでいるイデオロギーやドクサを遡及的に吟味する「装置」を備えていない人間は「批評的」とは言えない。真に批評的な知性は「他者へのドア」がいつも半開きになっている。だから、年齢が違い、立場が違い、職種が違い、信教が違い、政治思想が違い、国籍が違い、言語が違うと人といっしょにいても楽しむことができる。>
この言葉を現代の国会における討議に当てはめると、よく分かる。自民党の議員の民主党への攻撃は酷い。
内田教授は政治の本質について、こうも言う。
<政治の本質は「あいつは敵だ、敵を殺せ」というものだと言われる。だが、私は政治の本質は「みんな仲間だ、仲良くしよう」でなければならないと思っている。いかにして共同体の統合を果たすかというのが政治闘争の究極目標である。その目標に向かう過程では「いかにして、できるだけ多くの人々を仲間に引き入れるか」、それだけが問題にされるべきである。そういうふうに考える人はきわめて少ないけれど、私はそう考えている。政治力とは「反対派を効果的に排除する能力」のことではなくて、「反対派と仲良くなってしまう能力」のことである。>
先日も参議院予算委員会において自民党の議員が鳩山首相を資金問題で言葉キタナク追い詰めていた。本人は得意そうであったが、これを見ている国民には逆効果であろう。先日も自民党の重鎮・与謝野議員がヤクザのような言葉遣いで鳩山批判をしていた。あれを見て、自民党もこれまでだと思った。


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