ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

裁判員制度導入の意義について

2008-12-06 20:58:55 | ときのまにまに
アメリカ人弁護士コリン・ジョーンズ氏の『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』(平凡社新書)を読んでいて、呆れた発言があったので、報告しておきます。
この言葉は当時法務大臣であった鳩山邦夫さんの「お言葉」である。これが、日経新聞(2008.6.2)の「法務インサイド欄」に掲載されたため、わたしの目にとまらなかったようです。一般ににあまり知られなかったようで、ほとんど問題にされた節はないようです。ここで、鳩山法務大臣(当時)は裁判員制度導入に意義について、こう言っている。
「(これを導入することによって)、裁判が身近になる、あるいは国民の市民感覚とか常識を裁判に反映する効果もあるだろうけれども、最大の効果は犯罪を減らすのではないかと期待しています。裁判員になるかも知れないという気持ちがあると、順法意識が高まり、治安のいい国家ができるのではないか」。
日本国民は、裁判制度がよく分からないから犯罪が多いのでしょうか。裁判制度が悪いので、犯罪を犯す率が高いのでしょうか。あまりにも国民をばかにした発言に呆れてしまうます。
裁判員制度導入の最高責任者である法務大臣がこんなことを「期待」し、発言しているということを知って、まったく呆れてしまいます。裁判員になるかも知れないという意識が犯罪の抑止力になる。鳩山法務大臣が司法関係者であるかどうかということについては、大いに疑問がありますが、この言葉によって、司法関係者が、国民をまったく馬鹿にしているか、あるいは信用していないということをこの言葉は示している。裁判所に引き出され、裁判を受け、刑務所に入れられるかも知れないということは、確かに犯罪の抑止力になる、ということは言えるでしょう。しかし、裁判員になるかも知れない、ということが犯罪の抑止力になるという発想はどこから出てくるのでしょうか。むしろ、裁判員に選ばれないために犯罪を犯すという可能性の方がはるかに高いとさえ言えるのではないでしょうか。
しばしば、この度の裁判員制度と欧米における陪審員制度とが比較されますが、これら2つの制度は確かに似ている点はありますが、根本的に異なる制度です。ジョーンズ氏は「陪審員制度は個人を公権力から守る最後の砦であるのに対して、率直にいって、私が見る限り、裁判員制度は裁判官と国民が一緒になって悪い人のお仕置きをどうするか決めるための制度である」(前掲書10頁)と言っています。わたしも、ジョーンズ氏の意見に賛成です。むしろ、わたしなりに言えば、裁判員制度とは裁判官が発する判決に対して、世論がクレームを付けないための防衛制度でしょう。実際に実施されはじめたらわかるでしょうが、裁判員は決して被告の立場に立てないでしょう。むしろ、実際の裁判官の「指導」のもとに、裁判官の立場の弁護人にしかなれないでしょう。場合によっては、裁判官プラス5人の裁判員を相手に、空しい議論を繰り返さなければならなくなり、「どうでもいいや」という気持ちになってしまうのが関の山でしょう。わたしは、絶対にそんな立場になりたくない。

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