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ぶんやさんの記録

断想:降臨節第2主日(A年)の旧約聖書の言葉

2016-12-02 06:46:39 | 説教
断想:降臨節第2主日(A年)の旧約聖書の言葉
エッサイの根〜〜残れる者への希望〜〜  イザヤ11:1~10

<テキスト>
1 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、
2 その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。
3 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。
4 弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
5 正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。
6 狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。
7 牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。
9 わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。
10 その日が来れば、エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。

1. 日本聖公会聖歌集第72番「エサイの根より」(「讃美歌21」248番) はクリスマスには必ず歌われるの聖歌である。

エサイの根より生(お)いいでたる、くすしき花は咲き染めけり。
わが主イエスの生まれたまいし、このよき日よ。
イザヤの告げし救い主は、 聖き母より生まれましぬ。
主の誓いの今しもなれる、このよき日よ。
たえにとうときイエスのみ名の、香りはとおく世にあまねし。
いざや、ともに喜び祝え、このよき日を 。

この聖歌はドイツのライン地方に15世紀以前から伝えられている宗教民謡である。16世紀の聖歌編集者ミカエル・プラエトリウスによって取り上げられ、カトリック、プロテスタントを通じて全世界に広められ、クリスマスには必ず歌われるものとなった。この歌は元々聖母マリアを讚美した28節におよぶ長い歌であったが、プラエトリウスはこの歌の最初の2節「エサイの根より、生(お)いいでたる、くすしき花は咲き染めけり」だけを残して、幼児イエスを強調するものに編纂しなおしたといわれている。
冒頭の「エッサイの根」というのが面白くて子供の頃から好きな歌である。聖公会の歌詞では「エサイの根」になっているが、讃美歌21の方では「エッサイの根」となっておいる。「エッサイ」ってどんな野菜なんだろうと思って、いろいろ想像していたものである。子供ながらに、この聖歌によって「イザヤ」という預言者にも親しみを感じていた。

2. 「エサイの株」
資料的には11章は、誰が、いつ頃、これを書いたのか確定するのは、特に、9:1~6の「理想の王(メシア)の誕生」の預言言との関係について諸説あり、非常に難しい。 従って、ここではその問題に立ち入らないこととする。むしろ字句的に「エサイの株」という文学的表現について考えたい。エッサイとはダビデの父親の名前で、ダビデはエッサイから生まれたという意味である(ルツ4:22、1サムエル17:12、他)。旧約聖書において「エッサイの株」という表現はここだけである。10節には「エッサイの根」という言葉が出てくるが、「株」も「根」も同じである。「エサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」、なかなか美しい表現であるが、現実は非常に厳しい。根あるいは株から新芽が萌え出るということは、木=本体は切り倒され、「株」しかあるいは地下に「根」しか残っていない、イヤむしろ、株が辛うじて残っているということを示している。ダビデ王によって築かれたイスラエル王国は、ソロモン王に引き継がれ、ソロモン王の時代に南北に分裂し、北のイスラエル(10部族)は地上から完全に姿を消し、辛うじて南のユダ王国(2部族)だけが残っている。それももう時間の問題で風前のともしび状態である。「株」なのか「根」なのか。ダビデ王の全盛期から数えて300年、ダビデという木は辛うじて「株」だけが残っている。その「株」から「ひとつの芽」が萌え出でる、という。神の民イスラエルはダビデ時代に遡って、もう一度はじめからやり直しだ。そのような思いが「エサイの株」という表現に集約されている。

2. 預言者イザヤについて
預言者イザヤがこの言葉を人々に語ったころ、ダビデ、ソロモン時代の栄光に輝くイスラエル王国は南のユダ国と北のイスラエル国とに分裂し、北のイスラエル国は滅亡の危機に直面していた。南のユダ国ではウジア(アマツヤ)王が治めており、外国勢力を追放し、辛うじて国内は安定していたものと思われる。しかし、イザヤが預言活動を始めたのは「ウジアが死んだとき」(イザヤ6:1、前773年)であり、その時点からどうも国内の様子は変わってきた。北のイスラエルがアッシリアにより滅ぼされたのはイザヤが活動を始めた10年ほど後(前722年)である。南のユダ国は滅亡の寸前であった。ウジア王の後継者たちはいずれもぼんくらばかりで、外国からの侵略を止めることができず、国勢は衰え始めていた。しかし、人々は過去の栄光、つまり「ダビデの栄光」を夢見、まさかユダ国は滅びないと信じ切っていた。預言者イザヤの使命は、彼らに「このままで行くと、国は滅びる」という危機を語ることであった。まだイザヤの時代には南のユダ国が残っていた。そこから民族がダビデの時代が回復される希望は残っていた(イザヤ1:8)。もし、これが残されなかったら、ソドム・ゴモラのようになるだろう(イザヤ1:9)。これがイザヤの「残れる者」(レムナント)の思想の出発点であった。後に、国は滅びるが国民が全部滅ぼされるのではなくごく少数の「本当の信仰者だけが残される」という思想へと発展した。イザヤが死んでも、この思想は残った。やがて、南のユダもバビロンによって滅ぼされた。それでもなお「残れる者」の思想は残った(イザヤ37:30~35)。この思想はパウロの神学に取り入れられている(ロマ9:27、11:4) 。
この思想を念頭に入れて、この部分を読むと、「切り株から萌え出る新芽」とは、神の裁きを乗り越えて、新しい時代を迎える希望がイメージされている。害虫に蝕まれた大木を神は切り倒されるが、その「切り株」から新しい芽が出てくる。この新芽に神の霊が注がれ、新しい時代を切り拓く。それは、今までのようにユダヤ人という民族の枠に縛られない、全ての諸民族を一つにし、もはや戦争も略奪もない、正義と公正に満ち、平和な社会が実現する。イザヤは実現すべき平和を次のように描く。「狼は羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛も等しく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず、滅ぼすこともない」(イザヤ11:6-9)。これが預言者イザヤの希望の預言であった。

3. エッサイの根
今日の預言者イザヤの言葉をパウロもロマ書で引用している。本日の使徒書でもある。パウロの時代では、神の民イスラエルは南も北もない。完全に滅ぼされ、消滅している。それはイザヤの時代とは根本的に異なっている。もう切株さえ残っていない。根が残っているのかどうかさえ確かではない。「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける」(ロマ15:12)。この文章とイザヤの言葉と比べて、パウロは何処を引用しているのか、すぐには見分けられないであろう。種明かしをすると、パウロは1節ではなく10節を引用しているのである。イザヤ書の方を見ると「その日が来ればエッサイの根はすべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」。イザヤ書の言葉での特徴的な単語「すべての民の旗印」という言葉がロマ書の方では「異邦人を治めるために立ち上がる」となっている。何となく、同じことを言っているようではある。イザヤ書の方では「すべての民」がロマ書の方では「異邦人」となっている。これは明らかにパウロの解釈である。と言うよりも、パウロ以前にヘブライ語聖書をギリシャ語に翻訳したいわゆる70人訳と呼ばれている聖書がそうなっているのである。つまり、ヘブライ語の聖書ではダビデの末裔にメシアが現れ、イスラエルの民がメシアによって復興し、他民族を支配するという預言である。それを70人訳では、「エッサイの根がある。そしてそこから生じる者が諸民族を支配する。諸民族は彼に望みをいだき、彼の居るところに栄光がある」と訳したのである。パウロはほぼそれを忠実に引用している。要するに、イスラエルの民から出て来た者が全世界の希望となる。「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を、望みにあふれさせてくださるように」(13節)という句が、実質的にローマの信徒への手紙の結びの言葉で、14節以下は、追記となる。つまりイザヤ書のこの言葉がパウロが述べている「希望」の聖書テキストである。
さて、初代教会の信徒たちはイエス・キリストの出来事を「この預言」の実現であると見た。イエスの周りに集う、この小さい群れが、古株から生え出た新芽であると信じた。「今はまだ小さい群れ」ではあるが、やがてこの新芽は大きく成長し、新しい時代を切り開き、世界へ平和を実現すると信じた。イエスは語る。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

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