ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 3/16

2012-03-17 06:18:26 | ツイッター
↑ あんずの里のあんずの花(去年)

お早ようございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。昨夜は「最高の人生の終わり方」を見て10時半就寝。6時起床。葬儀の最後に「行ってらっしゃい」という。墓とは異世界への入り口、この世では空虚な空洞、それは愛する者を失ったときの心象風景だ。体調快調。チュン、チュン
posted at 06:24:43

#losungenj 03.16(fri) わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ。(Pro23:26)
posted at 06:30:44
#losungenj イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 (Mak10:21)
posted at 06:31:06
#losungenj 私の黙想: 今日の箴言は平凡に訳しすぎている。文語訳の「わが子よ、汝の心を我に与え、汝の目に我が途を楽しめ」の方がはるかに趣がある。これは格言であるからそれらしく訳さねばほとんど無意味になる。私には「主の道は道楽(趣味)である」と聞こえる。いい意味で。
posted at 06:37:25

「昨日のツイート 3/15」をブログにアップしました。 http://t.co/mNjzILk9
posted at 07:04:08

今日の名言: RT @Einstein_ja:
偶然の一致だけれども、何かの縁があって起きたように思えるようなことや、同時発生というのは、神様がご自分の業だと知られないようになされている業なのです。 
<一言>アインシュタインにはこういう言葉もあるのだという驚き。少し危ない言葉。
posted at 08:26:08

金井 由嗣 科学論で言うシンクロニシティの問題ですね。これだけ強調すると危険でしょうが、超一級の科学者が人智を超えた存在を認めているところがいいですね。

文屋 善明 ユングに影響を受けた河合隼雄先生もシンクロについてはいろいろ述べておられますが、そうかも知れない、そうでないかも知れないという非科学的な面があることも否めません。しかし私はここで「危ない」と言っている意味は、現在の地震や災害の多発を単純に人間の罪の問題と結びつけることです。

金井 由嗣 単純に「神の裁き」とか「警告」とかまとめてしまう危険が、確かにありますね。特にその経験を共有していない部外者が意味付けすることは決してしてはいけないことと自戒します。

文屋 善明 そう思う権利があるのは当事者だけで、それも一種の反省としてという限定付きです。

三浦 三千春 >ここで「危ない」と言っている意味は  ユダヤ教のラビでH.S.クシュナーという方が、自著「ふたたび勇気をいだいて 悲嘆からの出発」(日野原重明訳)に、同様の意味合いのこと書いておられました。そんななかで、どんな司牧をするのか、と。
 しかし、私自身は「祈りましょう。祈れば何かをして下さる」と言わざるを得ないし、私を含む庶民は、逆に、そうでないと救われないとも思います。

文屋 善明 だからこそ、この言葉を名言として紹介したのであり、全面否定ではなく「用法、場所、関係」等をよく考えた上で用いることを提言しているのです。

三浦 三千春 >関係  なるほど、そうですね。

金井 由嗣 クシュナーのように、まさに苦難の渦中にあって神との関係で苦難の意味を認める経験をした人に学ぶ必要がありますね。ヨブ記の学びをしていた時、『なぜ私だけが苦しむのか』を読んで、深い感銘を受けました。

三浦 三千春  人生謎だらけのヨブ、歌にしてしまう詩篇、正論の箴言、疑念を投げかけるコヘレトが並んでいるかたちで聖書が私たちに与えられてるのは、「神さま、私らのこと分かってくれてますやん」という気もします。

文屋 善明 私はクシュなーを読んだことはありません。

三浦 三千春  「著者クシュナーの息子アーロンは、幼くして死の宣告を受けた。日々、死に近づいていく息子との十余年を生きながら、ラビである父親は、人生の痛みと涙を体験する。そして、悲しむ人の慰めとなることを願って、この本を書いた」と、版元のダイヤモンド社の編集者さんによる紹介です。

文屋 善明 感謝!

三浦 三千春  「正論」ばかり吐く若き司牧者が、もっと深みを増すように、という強い願いを、読んで、感じました。
 85年出版で、訳者(日本への紹介者なのでしょうか?)が日野原さんというのも興味深いところです。


12時30分、予約していたiPad到着。とりあえず開封。
posted at 12:36:12

孫息子が新しいiPadの初期設定を済ませて、大忙しでJRに飛び乗り西宮に向かった。
posted at 14:19:48

<補遺>常に足腰が弱り、耳目が不自由になったときの「心の自由」、「世界の中の自己」のことを考えている。要するに後期高齢者の生き甲斐の問題である。その時、いかにして外部からの情報を得、内部からの情報を発信するか。そのために可能な限りの準備をしておかなくてはならない。

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