ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/23

2012-11-24 07:58:01 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前中、再臨信仰の成立過程を調べる。1テサロニケ(49~50)には成立しているが、その聖書的根拠は薄弱。NTでの記述は殆ど事後記録。復活信仰の成立過程との絡みか。土岐健三氏からメールを頂く。『初期ユダヤ教の実像」の改訂版原稿を頂く。午後から『海賊と~~』下巻を続読。夜は「捜査地図の女」「ドクターX」を見て10時に就寝。今朝は5時半に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:45:36

#losungenj 11.23(fri)
神の言葉:わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。(Gen9:13)
posted at 06:08:26
#losungenj 11.23(fri) イエスは杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(Mark14:23-24)
posted at 06:08:54
#losungenj 私の黙想:
虹という現象には神秘性を感じる。確かに噴霧器があれば現象そのものは人間の手でも作り出せる。しかし大空にかかる「あの虹」は人間の手には負えない。作り出そうとしても作れない。無いようで有る。触ろうとして触れない。近づけば遠ざかるし、固定化することは不能である。それが「契約の徴」だという。神秘。
posted at 06:18:33

今日の名言:RT @meigenbot:
人類は戦争に終止符を打たなければならない。そうでなければ戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。 (John F. Kennedy)
<一言>この言葉によって、ケネディーは暗殺された。しかし人類はそれを彼の終止符にしてならない。この言葉は今も生きている。
posted at 06:33:23

今日のこころ旅は、広島県の4日目、まだ尾道にいる。来週も広島県だ。今日は竹原市のエデンの海が目的地。重井港からフェリーで三原港へ。操舵室にいれてもらう。本州に戻る。国道118号経由でエデンの海に到着。美しい海だ。
posted at 07:59:56

<FBより>
被爆という出来事を専門的に語ることができる唯一の医師の証言、短い文章に込められた魂の声をお聞きください。
Thinking of "the day when Hiroshima was extinct" in the summer of 2012. Short essay I wrote for my college alumni news letter. 2012年夏に思う「広島の消えた日」。大学同窓生組織のニューズレターに書きました。講演後の感想です。

「福島原発事故以後、国の原子力発電中心のエネルギー政策を転換するよう求める市民運動が、事故後の事後反応・反発の段階をとおりすぎ、細く長く確実に定着してきている。そのなかでの、肥田舜太郎氏の講演である。フクシマへの言及も数多くあるかと事前に想像したが、案に相違して、氏の体験した1945年8月6日についての静かな語りで2時間が過ぎていった。
 核兵器廃絶の運動家として世界的に知られる肥田舜太郎氏は、広島への原爆投下時、広島陸軍病院に軍医として配属されていた。氏は、自ら被爆しながらも、直後から市中で被爆者の救援・治療にあたり、その後も被爆者医療にたずさわってきた。同じように被爆し、ともに救援活動にあたった同僚医師らは、被ばくの後遺症や高齢で亡くなっていき、医師として原爆投下後の惨状、原爆被害の実相を知る者は、2012年現在、氏ひとりとなった。
 放射能と放射線被害についての情報がなかった当時、急性症状から晩発性の症状まで新奇な症例につぎつぎに遭遇し、氏は、ピカの人間破壊力をいやというほど知った。そして、氏の被爆者の生死に多く関わる人生は戦後も続き、臨床から被爆者救済運動、平和と核兵器廃絶運動へと進んでいったのである。
 日本は世界唯一の被爆国である。そのことは、日本の医療は原爆被害の知識を蓄積しているにちがいないという見込みを、一般の人々にもたせる。しかしながら、じっさいには、被爆者医療はそれほど発展しなかった。終戦直後の日本人医師らによる研究や臨床データはすべて占領軍に提供することを命じられ、その後、日本人による研究は禁止・制限されたのである。米国原爆傷害調査委員会が調査目的で設立した専門病院が、データをとるだけで被爆者に医療を提供しなかったことはよく知られている。情報の召し上げと研究の禁止は、日本の原子力政策にまで長く影響した。日本は唯一の被爆国でありながら、核の威力、その真の破壊性と暴力性を部分的にしか知らされなかったのである。
 生物兵器はその影響の深刻さから、国際法で使用が禁止されている。それなのに核兵器はなぜ禁止にならないのか。多くの人がこの疑問をもつであろう。地球上にすむ多くの人命と地球環境をかけてまで、軍事的な必要性、核の抑止力に拘泥する価値があるものなのだろうか。今だからこそ、ぜひ考えたいものである。(了)」

<補遺>
再臨信仰の成立過程について考えると根拠が薄弱である。基本的にはユダヤ教の終末論(メシア待望論)をイエスの復活という視点から再解釈したものであることは明らかである。再臨信仰が成立した頃のキリスト者(?)はシナゴーグに出入りするユダヤ教徒であったことは確実である。その頃のキリスト者とユダヤ教徒との相違点はイエスの復活を信じるか否かという点だけである。使徒言行録では1:10-11以外殆ど再臨信仰には触れられていない。この復活信仰と最後の審判思想との絡みの中から突然キリストの再臨論が発生したのではなかろうか。



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