ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/13 棕櫚の主日

2014-04-15 09:58:56 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『ユートピア』は昨日と今日とはお休み。昨日は過去に書いたいろいろな原稿の整理。手書きの原稿「今日生きる聖公会」のデジタル化。夕方、なまず公園散策。夜は、高嶋政伸主演の「東京駅忘れ物預かり所」を見て11時に就寝。5時起床。体調快調、チュン、チュン。

野間 悦三さん、こーる のりこさん、濱 和弘さん、他20人が「いいね!」と言っています。

山口 貴志 おはようございます。

清水 行雄 先生、おはようございます。今日が良き安息日でありますことを(^^)

萩野 秀子 おはようございます。礼拝に出席します。雨の予報です。祝されますように。お祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます。棕櫚の主日の礼拝が祝されますようにm(__)m
posted at 05:12:25

文屋 善明
今日の名言:RT @Bonhoeffer_jp:
我々の教会が再び祈ることを学ぶということに、一切をかける必要がある。まことに、ルターが倦まず語り続けたように、教会の祈りこそ、教会の力、集い、一致のための主要源泉である。(ボンヘッファー『聖徒の交わり』)
<一言>「教会の祈り」からしか社会変革は始まらない。

野間 悦三さん、キタモト ユウコさん、小平 牧生さん、他23人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:23:35

「昨日のツイート 04/11 STAP細胞問題の考え方について」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/55089314cc1650ff3dd340dee0c9b3e…
posted at 07:50:27

今週のローズンゲン 2014/04/06~04/12をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/ebac61c3978cd1504217c9a42396f77…
posted at 09:32:19

「2008年復活前主日講釈「真実は必ず明らかになる」」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/4705e98f3f310c11eef80a59d746044…
posted at 16:27:13

文屋 善明
お目覚めの花。「あれっ!今日はお花はないの」「今日はお花はないよ、じゃこの写真は何よ」「ただ、道だよ。真っ赤な葉っぱの貴方たちが見ている道だよ」「教会では棕櫚の日っていうんだってね」「でも、私は赤目の葉っぱが今日にふさわしいと思う」「この道は何処に続くの」「あっちだよ」
写真: お目覚めの花。「あれっ!今日はお花はないの」「今日はお花はないよ、じゃこの写真は何よ」「ただ、道だよ。真っ赤な葉っぱの貴方たちが見ている道だよ」「教会では棕櫚の日っていうんだってね」「でも、私は赤目の葉っぱが今日にふさわしいと思う」「この道は何処に続くの」「あっちだよ」

野間 悦三さん、Yoshiyuki Sakaeさん、野口 富隆さん、他34人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 やっぱり、花がほしい? それじゃこれをどうぞ。
文屋 善明さんの写真

村田 多鶴子 花たちの会話の中の「あっち」を想いながら、棕櫚の日の礼拝に参りますm(__)m

文屋 善明
2014日々の聖句 04月13日(日)
真実をわたしの口から奪わないでください。(詩119:43)
群衆は、イエスの前に行く者も後の従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マタイ21:9)
私の黙想:
私の口から真実を奪う者は神ではない。神が真実を奪うはずがない。人間である。私が真実を語ることを最も怖れているのは人間である。しかも「権力」を持つ人間である。権力者は自分の利のために真実を歪め、虚偽の真実を作り出す。
42節、43節の場面は真実の言葉の戦いの場である「裁判の場」をイメージしている。ここには「私を辱めた者の(言葉)」と「私の言葉」と「神の言葉」とが交錯している。42節で「私を辱めた者」に反論させてほしいと言う。岩波版ではここの部分を「私は言葉を返そう」と訳している。この言葉こそ「私の口から真実を奪う者」の言葉である。弱い立場にある「私」にとって「神の真実」こそが頼りである。私から真実を奪う者に対抗し、私の口から真実を語らせるのは神の真実のみである。
今日はいわゆる「棕櫚の日曜日」(パームサンディ)である。私にとって、受難週の最初の主日が「棕櫚の日」であることには非常な違和感がある。今週の金曜日のことを思うとき、今日の主日の「ホサナ」の歌声は虚しく響く。棕櫚を手にして「ホサナ、ホサナ」と歓迎の声を挙げる群衆の「お祭り騒ぎ」、これは一体何なんだろう。この群衆の騒ぎの背後に蠢くイエス殺害の企て。この企てを知りつつ、群衆の歓呼の声に応えるイエスの態度。勝利(棕櫚)の祝いの声で始まる受難の物語、この大きなギャップにおいて喜劇化された人類の悲劇が提示されている。

野間 悦三さん、濱 和弘さん、鈴木 宏昌さん、他17人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
聖ザビエル聖堂での受難の主日(枝の主日)に参加して来ました。ミサは先ず入口の横にある小部屋に集まり、それぞれ棕櫚の枝を与えられ、それをもって入堂するという手順でした。例によって福音書は非常に長いので、司式司祭を含めて4人で役割を割り振りして読んでいました。10時半から12時近くまで長いミサになりました。
写真: 聖ザビエル聖堂での受難の主日(枝の主日)に参加して来ました。ミサは先ず入口の横にある小部屋に集まり、それぞれ棕櫚の枝を与えられ、それをもって入堂するという手順でした。例によって福音書は非常に長いので、司式司祭を含めて4人で役割を割り振りして読んでいました。10時半から12時近くまで長いミサになりました。

野間 悦三さん、塩澤 紀子さん、こーる のりこさん、他35人が「いいね!」と言っています。

溝田 悟士 聖公会は棕櫚ですけど、カトリックはソテツの葉ですね。


文屋 善明 気が付きませんでしたが、確かにそうですね。何故だろう。ここだけのことなのか、ここの修道院の神父たちが間違ったのか。重大な謎ですね。

溝田 悟士 かなり前に東京の聖マリア大聖堂でもらったときに気が付きました。

>> 日本でも、温暖な西南日本のカトリック教会では、葉の形状がナツメヤシと似ており、かつよく生育するソテツの葉を用いるところが多い。ソテツの生育できない北日本では、北欧の教会や、東欧の正教会などと同様に、ネコヤナギを用いるところもある。・・・もっと見る

枝の主日 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
枝の主日(えだのしゅじつ)は、キリスト教の移動祝日で、復活祭の一週間前の日曜日にあたる。聖週間の初日となる。「枝の主日」はカトリック教会・ルーテル教会での呼び名であるが[1]、正教会でもこの名称を用いることがある[2]。

溝田 悟士 寒い英国の「本場」の聖公会でも、やはり棕櫚ではないのかしら、と思ったりします。日本の聖公会だけなのかしら。

文屋 善明 今日実際にこれを手に持って振り回してみて、これは「パーム」というより「剣」だと思いました。

溝田 悟士 これが枯れてきたら、腰が曲がった老婆のようになるんですよねえ。。。

文屋 善明
今日は朝食後、教会に出かける前の一時、昨日買ってきた、八朔5個と甘夏4個の皮を向き、マーマレードの下準備をしました。礼拝から帰って、昼食後早速煮込み始め、先ほど美味しいマーマレードが出来上がりました。約2.8キロの八朔と甘夏で約2.2キロの出来上がり、手前左側のものはついでに作ったキンカンの砂糖煮です。
写真: 今日は朝食後、教会に出かける前の一時、昨日買ってきた、八朔5個と甘夏4個の皮を向き、マーマレードの下準備をしました。礼拝から帰って、昼食後早速煮込み始め、先ほど美味しいマーマレードが出来上がりました。約2.8キロの八朔と甘夏で約2.2キロの出来上がり、手前左側のものはついでに作ったキンカンの砂糖煮です。

野間 悦三さん、播 稔さん、こーる のりこさん、他46人が「いいね!」と言っています。

齋藤 篤 文屋先生のマーマレード、いつも美しい照りですね!賞味してみたいです。

文屋 善明 照りの美しさに誤魔化されてはいけません。写真の「照り」はライティングでどうにでもなるものです。先ほど味見した甘さと苦味とが口の中に残り、自分ながらよく出来たと満足しています。

齋藤 篤 写真では味が分かりませんから、照りからでしか判断できない限界がありますね。もどかしい気持ちです!先生の満足された言葉を、イメージしたいと思います。

文屋 善明 この甘さと苦さとの微妙なバランス、これを固いライ麦のドイツパン、特別に薄く切ったパンの上に乗せて、苦味の利いたコヒーを片手の食べると、最高でしょうね。そうそう、それに付け合せに、ブルーチーズが一切れあれば、もう完全に大人の世界。これが「言葉」表現できる限界です。

齋藤 篤 十分です! ああ、よだれが止まりませんよ、文屋先生!こちらで簡単に、そして安く手に入る、とても美味しいブルーチーズと組み合わせれば、なお至高の味わいになることでしょう!

萩野 秀子 美味しそうですね。

神本 恭子 素敵私も今から甘夏マーマレードを作るところです💕😊

清水 行雄 これは素晴らしいです(^^)

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