ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 2016/02/07~02/13

2016-02-13 19:47:30 | ローズンゲン
今週のローズンゲン 2016/02/07~02/13

2016 日々の聖句 02月07日(日)
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(Pro.3:5~6)

キリストの言葉:わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。(Jh.15:4)

私の黙想:
「自分の分別に頼らず」、口語訳では「自分の知識」、フランシスコ会訳では「自分の聡明さ」、新改訳は「自分の悟り」、文語訳は「おもれの聡明(さとり)」、これだけ似ているが異なる内容の言葉が並ぶと、もうどうでもいいという気になってしまう。むしろ分別でも知識でも聡明さでもいいが、重点は「自分の」ということに移る。要するに「自分に頼るな」。自分自身の自信のなさ、足元がふらついている自身、よく考えてみると足元のふらつきの原因は自分自身ではなく地震だった。ちょっと大きな地震が来たらガタガタになってしまう国、何を土台にしてものを考え生きているのか。「自身」か「地震」か。地震は人間の想定を越えて起こる。地震を想定すること自体が無意味になる。常に「主を覚え(想定し)て、私の道を歩く。そうすれば主はあなたの足のふらつきを守ってくださる。

2016 日々の聖句 02月08日(月)
民は、主がその僕ダビデとその民イスラエルになさったすべての恵みの御業を喜び祝った。(1King.8:66)

すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。(2Cor.4:15)

私の黙想:
神殿が竣工し、神の筺も安置され、大いなる祝賀会が催された。祝いは14日間も続いたという。その8日目、民はそれぞれ満足して帰宅した。その最後の情景が今日のローズンゲンからははずされているが、そちらの言葉の方が魅力的である。「心晴れやかに自分の天幕へと帰って行った」。豪華な宮殿は先代のダビデ王の時完成しており、今度はソロモン王によって輝く神殿も完成した。王も民も大喜びであった。ところが民が帰っていく民の家は「天幕」であった。
これが中央集権の現実である。国は栄えるが、国民の生活は貧しい。王は世界各国に資金をばらまき、世界から称賛され、貢ぎ物も結構集まる。しかし民は、砂漠の放浪時代のまま天幕で生活している。豪華な食事、豪華な祝会、夢のような8日間をすごし、「心晴れやかに」帰宅しても、そこは天幕。周辺諸民族と比べて、どれ程豪華な天幕であれ、天幕は天幕。後の時代、彼らがそれぞれ天幕生活から脱してまともな生活が営まれるようになったとき、彼らは昔の生活を忘れないように、天幕での生活がどれ程苦しかったのか、子孫に語り伝えるために、仮庵祭では「8日間」天幕で生活したという。

2016 日々の聖句 02月09日(火)
もの皆があなたに目を注いで待ち望むと、あなたはときに応じて食べ物をくださいます。すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます。(Ps.145:15~16)

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(Mt.6:26)

私の黙想:
巣の中の雛鳥が口を大きく開いて親鳥を見つめ、エサを貰っているイメージ。親鳥は外から雛鳥たちのエサになるものを口にいっぱい詰め込んで巣に戻り、すべの雛の口に平等に入れていく。
詩145を特徴づける言葉は「すべて」(7回)で、「皆」「数えよ」「数え切れない」など数えると「豊かさ」「満足」が基調になっている。この神に従っていけば、必ず満足が得られる。貧乏することはない。

2016 日々の聖句 02月10日(水)
主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て、あなたを仰ぎ望みます。(Ps.5:4)

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(Mk.1:35)

私の黙想:
若い頃は、この「朝ごとに」が苦手でした。神学校でも早天祈祷会(午前6時から)をサボりまくりました。でも、この歳になると朝寝ているのが苦痛になって来ます。だから、若い人よ、安心して朝寝をしたらいいよ。朝早くからおきて「あなたを仰ぎ見る」のが必ずしも立派な訳じゃありません。その人にはその人の、その年齢にはその年齢の「敬虔」というカタチがあります。
ただ、朝早く起きたときのメリットは美しい「夜明け」「日の出」を見ることが出来ることです。そのとき、小さな自分に気付かされます。写真は今朝6時半の日の出前。

2016 日々の聖句 02月11日(木)
主に向かって歌います、「主はわたしに報いてくださった」と。(Ps.13:6)

そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」(Lk.1:46~47)

私の黙想:
この詩を読むと、まだ、報いられていないように思う。まだ、敵に囲まれ、主の顔は隠れている。身には危険が迫っている。そのような状況の中で詩人(ダビデ)は祈っている。この何ともない、平凡な聖句にはそういう状況が凝縮されている。詩人はあたかも、もう既に「報いられている」かのように、歌う。勝利の歌を。

2016 日々の聖句 02月12日(金)
彼らは「あなたたちは、ロ・アンミ(わが民でない者)」と、言われるかわりに、「生ける神の子ら」と言われるようになる。(Hos.2:1)

言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。(Jh.1:12)

私の黙想:
今日の聖句はややこしい。1:9で、主から「その子をロ・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。あなたたちはわたしの民ではなくわたしはあなたたちの神ではないからだ」と言われたその民が2:1では、こう言われている。つまり、生まれたとき父親から「あの子は私の子ではない」と宣言された子供が、後に「私の子だ」と言われるようになる。つまりヤハウェはイスラエルの民を一度は突き放したが、後になって「私の民」だと言われるようになる。これがホセア書全体の壮大なテーマである。

2016 日々の聖句 02月13日(土)
正しい裁きは再び確立し、心のまっすぐな人は皆、それに従うでしょう。(Ps.94:15)

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。(Mt.5:6)

私の黙想:
詩94、こんな詩があったのだ。非常に新鮮である。こんな詩が詩編の中にあるんだ。「主よ、報復の神として、報復の神として顕現し」(1)てください。「主よ、逆らう者はいつまで、逆らう者はいつまで、勝ち誇るのでしょうか」(3)。これが問題だ!この「逆らう者」を抑えることが出来るのは、あなただけです、と詩人はいう。逆らう者が滅ぼされるとき、大混乱が起こる。経済は破綻し、戦争が始まり、殺戮が日常化する。そこまで放っておいたのは「誰だ」。「民の愚かな者よ、気づくがよい。無知な者よ、いつになったら目覚めるのか」(8)。無責任なアンケートに騙されて、逆らう連中の思うままにされているのだ「誰だ」。
神が立ち上がり、「神に逆らう者には、滅びの穴が掘られ」(13)るとき、私たちにも「苦難が襲う」(13)が、私たちは「静かに待つ」(13)。
まさに現在の日本の状況そのものではないか。こんな詩があったのだ。私たちは、今、「報復の神」を待ち望む。

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