ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 12/5

2010-12-12 06:41:26 | ローズンゲン
12月5日(日)
口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。(箴言10:19)
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。(マタイ5:37)
私の黙想
今日のローズンゲンは「一言多い男」として反省。マタイの言葉は「然り、然り」だけではなく「否、否」もある。イエスマンにだけはなりたくない。

12月6日(月)
主の戒めは清らかで、目に光を与える。(詩19:9)
自分が学んで確信したことから離れてはなりません。(2テモテ3:14)
私の黙想
善人は幸せであり、悪人は不幸である。詩編のこの直接性がいい。詩編は一貫してこの姿勢を貫いている。イエスの幸福論(マタイ5:)のような逆接性はない。

12月7日(火)
人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中を測られる。(箴言21:2)
神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。(ロマ2:2)
私の黙想
今日のローズンゲンは名言である。悪と知っててその道を進む者はそれ程害はない。しかし自分の道は正しいと思い込んでいる人間がもたらす害は大きい。神は心の中を計られる。反省、反省。

12月8日(水)
わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。(イザヤ65:19)
わたしたちが神の子供であれば、神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。(ロマ8:17)
私の黙想
今もまだエルサレムの「泣く声」、「叫ぶ声」は止まない。神が「わたしの民」というのは誰のことか。

12月9日(木)
あなたはわたしの隠れが、わたしの盾、御言葉をわたしは待ち望みます。(詩119:114)
わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。(1テモテ4:10)
私の黙想
神からは隠れることができないが、神は隠れ家となる。

12月10日(金)
貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養ってください。(箴言30:8)
弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。(マタイ14:19-20)
私の黙想
振り返ってみると、まさにその通りになっている。

12月11日
わたしはあなたの道を教えます。罪人が御もとに立ち帰るように。(詩51:15)
洗礼者ヨハネが現れて、 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。(マタイ3:1-2)
私の黙想
昨日鹿児島での老夫妻殺人事件で裁判員裁判で初めての「無罪」判決が出た。この裁判では「量刑」が問題ではなく、殺人犯なのか否かということが問われた。つまり、冤罪か否か。またもや検察側の殺人ストーリーそのものが否定されたのである。推定無罪の原則が守られた。

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