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松村講演「生きる――復活の経験的理解について――」

2014-04-18 11:12:53 | 松村克己関係
松村講演「生きる――復活の経験的理解について――」
関西学院大学神学部教授 松村克己

この講演の主題「生きる」というのは、ヨハネ福音書第14章19節にある「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」からとったものです。同じ14章の6節に「わたしは道であり、真理であり、命である」というイエスのお言葉がありますが、この「わたしは道であり、真理であり、命である」という日本語の訳は間違いではありませんが、道、真理、命と3つの別々のことと理解するとちょっとはずれてくるのではないでしょうか。すぐれた英語の私訳をしているモファットは「わたしは真実で生ける道である(文屋注: I am the real and living way )」と訳しています。「わたしはまことの生きた道だ」という意味なのです。大切なのは道であるということです。その道はどういう道であるかと言えば、真理であり、命であるような道なのだというのです。それと関連して、もう一つ申し上げておきたいと思いますことは、この講演の主題は「生きる」ということなのですが、ほんとうは復活ということを話したいのです。しかし復活ということは正面から取り組んでも中々むつかしいので、裏側から、道としてのイエスということと真理に生きるということとを考えることによって、手がかりがつくのではないかというのが、わたしのこの講演を考えた時のもくろみだったのです。それが皆さんにうまく通じるかどうかは話が終ってみないとわからないし、今は何とも言えないのですが、復活というのは大きな問題なのです。
聖書学においても問題とされていることです。関西学院大学の神学部の大学院の学生たちや卒業した若い牧師諸君がこのことで論議しています。わたしはある時、彼らに笑いながら言ったことがあります。「君たちは復活ということを聖書で調べたり神学書を読んで研究したりするのもいいが、もっとてっとり早く復活ということが分る方法があるよ。それは椎名麟三の小説を読むことだ」。こういう言い方は少し不まじめに聞こえるかも知れませんが、椎名という小説作家は復活ということを真剣に考えてその作品に取り上げた人です。彼は赤岩栄牧師から洗礼を受けました。洗礼を受けたら聖霊が与えられ、生まれ変るという風に言われて信じて洗礼を受けたのですが、洗礼を受けても何かが起こったとは思えません。その後半年ぐらい小説も書けないし仕事も全然できません。毎日復活復活といいながら苦しい時をすごしました。やがてその苦しみがとけました。苦しみがとけたとはどういうことかと言うと、復活ということはいくらわかろうとしてもわからない、ということがわかったからでした。イエスがよみがえったということを見せて下さるというのが復活だということがわかったのです。わかったというよりもそういう経験をしたのです。その経験を小説にしたのが彼の「美しい人」という小説です。さらに、それを説明的に述べたのが「わたしの聖書物語」という本です。彼はこれを書いた直後にわたしたちのところにやって来て、そういう内輪ばなしをいくつか話もしてくれました。彼の小説はすべて復活ということをテーマにしているのです。それをひっくり返していうと自由ということです。キリスト教的にいえば復活、インテリ向きに言えば自由ということなのです。
ヨハネ福音書の8章31節にイエスの言葉として「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理はあなたがたに自由を得させるであろう」という言葉があります。椎名麟三という人は、これを単なる言葉としてではなしに、みずから苦しんで経験として受け取ったということなのです。わたしの話をお聞きになっても、ちっともわからないという感想を持たれる方が多いのではないかと思いますが、それでもいいのです。わたしは今はわからなくてもずっと後になってからひょっと思いだされることがあるかも知れない。それが大事なんだと思います。わたしの話がいつか皆さんが大事な問題をお考えになる時、何らかのきっかけになればありがたいと思います。そういうふうに願う以上にわたしには何も出来ないと思うのです。もし1回の講演を聞いて復活ということがはっきりわかったということがあったとしても安心しない方がいいと思います。1回や2回の話や説明ですぐわかるような真理は大した真理ではありません。むかしから人生の大きな問題などというものはめいめいそれぞれの仕方で苦しんで求めてきたものです。これを経験というのです。経験というものなしにほんとうのものは捉えられないのです。この苦しみとか探求とかということが生活が豊かになってくるにつけてだんだん無くなってくるのではないのでしょうか。この点をみなさんによく考えて欲しいと思います。
現代に生きる人の大きな問題は現代人にとって生きることが容易になってかえって生命の稀薄感に悩んでいるということです。生きているということ、しみじみと自分が生きているなあという感じが持てないということです。生ける験し(しるし)という言い方がありますが、そうした感じを現代人は持つことが出来ません。そうしたことの原因をある人は技術文化が発達して生活が一様に平均化されて個性というものがなくなったからだと言っています。そういうものも確かにあると思いますが、それだけでしょうか。
このごろ脚光を浴びてきた学問にエコロジーというのがあります。生態学と訳されていますが、動物生態学とか生物生態学とかというふうに使われています。生きているものはすべて環境に適応することによって生きています。環境に適応することができなくなると滅んで行きます。今日、人間が自らの環境を豊かにしようとして努力して来たことが、気が付いて見ると自分で自分の命を縮めるような環境を作っているのです。こうしたことの反省から生れて来た学問であります。この動物生態学が色々な実証的な観察研究から学んだことは生物というものはよりよい環境を求めて生きている、自らの生命を縮めてでもよりよい環境にしようとして次の世代のものがより生きやすくなるように戦いつつ苦しんで生きている。その生物にとってもっともよい環境が見出されたら繁昌するかというと逆なのであって、ひとつの種にとってもっともよい環境を見出した時にはその生物が滅亡に向う瞬間なのです。環境との闘い、あるいは順応の中で自分にとって都合のいい環境を作り出そうとする。しかしそのためには自分の方が環境に適応するという両方の働きをしなければならない訳ですが、そういう闘い、苦しみ、困難の中で生物というものはいつも成長して行くのです。そして最良の環境に到達した時にその生物は一番危険な時を迎える訳です。そういうふうにしてかって巨大な生物が地球上から姿を消して行ったのです。こういうのがエコロジーが示す一つの結論なのです。
わたしの旧制高校時代の友人で猿の研究をやっているのがおります。昔よく彼をひやかしたものです。「君の猿の話を聞いていると大変おもしろいけれども、必ず「ところで人間は…」とやり出す。人間のことにアナロジーを持ってこられるのは、どうもいただけないなあ」こう言ってひやかしながら不満を洩らしたのです。そうすると彼はすかさず言ったのです。「人間の問題は君みたいな哲学とか神学とかをやるものがやるべきだのに、うろうろして僕たちの問いに答えてくれないから、仕方なしに猿の研究をしているのだ。君たちがしっかりしなければしょうがないじゃないか」とやられたことがあるのです。考えてみますと学問というものはすべてそれぞれの専門のものをやりながら、それが互いに学問としては協力しています。一人の人間としても、どういう専門をやっていてもそれぞれの専門の学問のことが多少わかってくると、それがどこかであるきまった方向に協力して行けるということがないと学問をやればやるほど人間というものは分裂して行きます。ここれが今日の状況ではないかと思います。
第二のことは、現代人の特徴として希望がないということではないでしょうか。かつては低い希望であっても、あるいは小さな希望であっても学校に行くことに、あるいは学問をすることにまた仕事をすることに人は希望を持っていました。しかし今はどこを見ても希望がない。すべてのことが相対的にしか見られません。誰がなんと言ってもほんとうに善いなどというものはありはしない。みんな五十歩百歩だと思ってしまいます。そしてめいめい自分の好きなことをやればいいのだと勝手なことをやります。それも自分の好きなことで満足出来ればいいのですが、どうも満足出来ません。結局、ニヒリズムに走ってしまいます。無責任時代というのはそういうことなのです。「人のことなんか、かまっていられるか。自分の生活だけだっておもしろくないのだ」こういって暴れるわけです。暴れられるということが今日の民主主義の時代、自由の時代の一つのしるしなのですが、それは方向を見失った分裂と混乱以外の何ものでもありません。よく引かれることですが、ダンテの神曲の地獄篇の始めのところで、地獄の門には「この門に入るものは一切の希望を捨てよ」と書かれてあると言います。希望がないということは地獄の特徴的なことなのです。ダンテが今生きていたらとういう風に言うか知りませんが、豊かな社会と言われている現代は地獄であると言われても仕方がないのではなかろうかと思われます。こういう分裂と混乱の時代に方向を与え、生きがいを与えるものがあるとすれば、それは希望というものがどうしたら得られるかということです。
ところで希望を与えることが出来るものは何かというと、それが今日の話の主題である真理だと言えましょう。しかしこの真理というものに対してこの頃の人々は非常にスケプテイカルです。「真理だって、そんなものがあるのか」と言った調子です。わたしどもの学生時代には学校へ行くということ、勉強するということは真理の探求だと思っていました。ところが今は真理の探求だなんて本気で言えるのかと反問してくるわけです。ということは真理というものを知ることができないだけではなしに、真理というものを求める経験もないのですね。ですからそういう言葉が出るのも当然です。ところで真理というものを何か一つのものですべてを覆うことができると考えると、これはイデオロギーというものになるわけです。真理というものは決してただ一つではありません。沢山あるのです。哲学的な真理は芸術の真理と同じではないし、宗教の真理とも同じではありません。まして経済や自然科学の真理とも同じではない。わたしどもが学び研究する真理には色々な真理があるわけです。ですからある真理がほんとうだから他のものはみな嘘だとは言えません。ただその人が他の真理を知らないだけです。
本当に生きるために真理を求めるということが言われますが、ある意味では今日の豊かな時代には本当に生きようというような求めが出て来ない時代でもあるわけです。しかしまた逆にこの時代はただ食って生きるためには何の苦労もないけれども、ただそれだけで満足できない者にとっては真理は一体どこにあるのかということがすでに問題です。そこで古代の世界が中世に切り替って行く境目であった1500~1600年前の昔に生きたアウグスチヌスという人の言葉を思い起します。彼の時代はある意味で現代とよく似た時代であります。この疾風怒涛の時代に生きたアウグスチヌスは色々な真理と呼ばれるものの間で、一度懐疑主義におち入りやがてニヒリズムにまで転落しようとして、そこから当時の哲学新プラトン主義の考え方に導かれてキリスト教に接した人なのですが、この人がのちに監督にさせられて間もなく書いた書に「デ・マギストロ」(教師論)というのがあります。そこで彼は「内なる教師」ということを言っています。われわれが真理を求めるのは真理がわれわれに呼びかけてくるからです。われわれは自分が真理を求めているのだと意識しています。それは間違いではありません。しかしわれわれが真理を求めるということは真理がわれわれのうちにあって、われわれに呼びかけてくるからだと言うのです。色々の真理があります。しかし色々な真理があればあるはどそれらのすべての真理を一つにして生かすような真理そのものというふうなものがなければならないと言って、アウグスチヌスはそこで飛躍しますがそれがキリストであるというのです。われわれの内にあるキリストだというのです。すべての真理をすべておさめて、それぞれの真理をそれぞれの真理として生かすものはキリスト、内なるキリストだと言うのです。
アウグスチヌスが内なるキリストというのはヨハネ福音書第14章26節にある聖霊のことなのです。「助け主、すなわち父がわたしの名によってつかわされる聖霊」とあります。アウグスチヌスは自分が経験した聖霊を「内なるキリスト」と呼んでいるのです。ヨハネ福音書はその聖霊を「真理の御霊」と呼んでいます。わたしの話の結論は復活とは単なる言葉または概念ではなくて一つの事実であるということです。事実というのは経験することによってそれとぶっつかるよりほかはない。だから復活の経験とは何かと言えばそれは聖霊の経験なのです。それならばわれわれは復活という経験をどうしたらできるか。このことをこれからお話しして締めくくりとしたいと思います。
キリスト者はキリストに希望を見出しております。真理が希望を与える。キリストは希望を与える。だからキリストを真理と呼んでいるわけです。これは一体どういうことなのでしょう。みなさんの中で登山が好きで休暇になると山へ行くという人があると思いますが、わたしも中学の終り頃、いとこに連れられて山登りのごく初歩のことを経験しました。登山の経験ということはただ高い山に登っただけが重要なのではないのです。まず山に登る前に地図を見ながら色々な用意をします。それが楽しいのです。そこでは色々のイマジネーション(想像)が湧きます。そして山に登るわけです。想像したことが当ることもあるし、全然想像しなかったような目に会うこともあります。そして一歩一歩登って行く道はある意味で苦しいだけで楽しみなんかないものです。苦しみはエネルギーの消耗の一語につきると言っても間違いではない。経験というものはそういうものです。ところが幸いにして頂上に達した、そして帰って来ます。上手な山登りか下手な山登りかはどういう仕方で帰ってくるかでわかるといいます。帰りは楽ですからぴょんぴょんと急いでおりてくると足を痛めたり腰を痛めたりします。また帰ってきたら山登りは終ったかというと、そうではありません。山での経験を思いかえすのがまた楽しいのです。登山の楽しみというのはそういうふうに前と後とにあって頂上をきわめたということは必ずしも大きなことではありません。もし頂上をきわめるということだけならば飛行機かヘリコプターで行って頂上におろしてもらって、どこどこの頂上を踏んだということにすればいいのですが、それは山登りにはなりません。一歩一歩汗を流して道を上って行くことが山登りの経験です。そしてあとでなされる想いかえしということによって一つの山を知るということとともに、自分というものを知るのです。自分の体力なり精神力なりまたそこで動く感情の動きによって自分というものを知るわけです。そして一緒に登った人との人間関係を整理するわけです。以上登山ということを一つの例としたのですが、わたしどもが生きるということはいろいろな人たちと触れ合いながら何か事を共にするということです。共に生きる、すなわち共同生活ということです。そこではいつでもこういう想像と経験と想起と認識という4つの要素があると思います。
ところで今ここで考えている問題、聖霊の経験というのは何かということに返りますが、なぜ聖霊が真理のみ霊と呼ばれているかと言いますと、26節の「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」とありますが、この「また」というところにわたしは20~30年前に読んでひっかかったわけです。なぜ「また」なのだろうか。聖霊がすべてのことを教えるのならば、イエスが弟子たちに話しておいたことをことごとく思い起させるなどという必要がどこにあるのだろうか。この「また」とは何のことだろう。何か間違いがあるのではなかろうかと色々調べて見ました。しかし原典のギリシャ語では「カイ」であってその他の国語の翻訳も、いずれも英語の「アンド」に当る接続詞が用いられています。「また」と訳しても決して間違いではありません。
時はちょうど大戦の終り頃でしたが学生は勤労動員で出て行っていて授業が出来ません。工場に行かない時は研究室で時折りの空襲におびやかされながら勉強をしていました。窓から比叡山が見えます。それを見ながら考えたものです。朝出てあの山に登ると今ごろは帰り道にいるだろうが、わたしはここで朝から勉強しているがどれだけのことが出来たろう。そんなことを考えて山を見ていたのですが、また、あの「また」ということが気になり出しました。それで数日間は聖書のここばかり繰返して読んでいました。ところがある時にふと、ああと思い出したことがありました。それは以前プラトンの対話篇を読んだ時のことです。それはわたしが大学院の学生であった時でしたが、先生一人、学生はわたし一人になってしまいました。そこで先生が、君一人だったらわたしの家に来ないかと言われますので、「じゃあ、そうします」と言ってわたしの下宿の近くにあった先生の家へ行ってプラトンの講読を受けました。一年間、一対一で、ある意味ではいじめられたわけですが、その間にわたしはギリシア語というものの感覚が少しずつ分り出したように思います。そんな時、先生がこの「カイ」すなわち「アンド」に当る語をいつも同じように「そうして」とか「また」と言っても駄目だ。プラトンにはあることを言って、それを説明するために「すなわち」と言ってそれを説明する時にこの「カイ」という語をよく使っている。近代語ではこういう使い方が少なくなっているが、今だって無い訳ではない。少しくわしく書かれた文法書を見れば英語でも、ドイツ語でもそういう使い方の説明はある筈だと言われたことがあったのです。それはもう10年以上も前のことでしたが、それがふっと思い出されたのです。
聖霊はお前達にすべてのことを教える。すなわち、言いかえれば、わたしが話していたことをことごとく思い起させるという仕方ですべてのことを教えて下さるということなのです。「はあっ」と気がぬけたような気持でした。しかしわたしはうずうずするぐらいうれしくなりました。聖霊というものがイエスの死後どういうふうに弟子たちに経験されたか。先生と思って頼りにしていた人があっけなく敵の手につかまって殺されてしまった。敵の手につかまっただけではない。自分たちの仲間の中からユダという裏切り者が出て敵の手に渡されてしまったのです。ところがそのユダを先生は憎まなかった。ユダがもっともらしく「ラビ、安かれ」と言ってやって来たときイエスは「友よ」と呼びかけた。「友よ、そんなおおぎょうなことをしなくても、わたしのいる所をお前は知っているじゃないか。わたしはお前について行くよ」と言ってユダとともに行って敵の手に自分を渡されました。先生はおめおめと敵の手に殺されまいと思っていたのだけれども、あっけなく死んでしまわれたのです。弟子たちにはすべてが夢の様でした。彼らは敵の手をのがれて、それぞれのところへそっと帰って行ったのです。ところがガリラヤの海に一度棄てた網と船とをとって漁をしていたペテロやそのほかの弟子たちのところへイエスが現われ給うたのです。現われただけではない、語られるのです。そして先生だとわかると見えなくなってしまう。そういう経験を何回か繰返しました。エルサレムからイエスの処刑ののちひそかに逃げて行く弟子達がエマオという村への途上で見知らぬ旅人に会って宿で一緒に食事をします。その時パンを裂く手つきで、ああ先生だと思ったら、見えなくなってしまった。また他の弟子たちがエルサレムに帰ってきて先生のうわさを話し合っていると、そこにイエスが現われ給うた。そして「平安、汝にあれ」と祝福して、色々と語り出された。弟子たちがイエスの生前、イエスと共に生活していたときイエスが語られた言葉またイエスがなされたことは、その時、何故あのように言われるか、何故あのようにされるかよくわからなかったのが、今、イエスの口から語られる時、ああそういうことだったのかと、思わず顔を見合せるようなことがありました。そして気がついて見るとイエスの姿はもうありません。つまり彼らがイエスの思い出を語り合っているところにイエスが自らを現して語りかけられる。これが聖霊の経験なのです。そしてそれが復活の経験なのです。聖霊はすべてのことをお前たちに教える。どういう仕方でかというと、わたしが話しておいたことをことごとく思い出させるという仕方ですべてのことをお前たちに教える。そういう経験にだんだん深まって行ったのです。その弟子たちの経験の深まりがやがてペンテコステという祭りの日が来たとき、処々方々からエルサレムに集まってきた人々に、わたしたちの先生は約束された救い主であったのです。その証拠をわれわれは見た。復活というのはそれなのです。もしうそだと思うならわたしたちと一緒に生活して見なさい。そうすれば分るでしょう。こういうふうな呼びかけに応じて彼らの群に加わった人々によって初代教会というものが成立しました。そしてその初代教会の経験というものが、形を変えてではあるが今日まで生き続けて来ているのです。復活という経験は一度すればそれで終りというものではありません。経験を重ねて行くにつれてだんだんと深められて行くものなのです。それも自分ひとりでじっと考えこんでいて得られるというものではなくて、人と共に生き、苦しみ、共にこれに与るという形を通して、その経験を他の人とわかち合って、かえって自分の経験が深められる,確かめられてくるのです。
歴史の世界では宗教などというものは長い経過と共にどうしても説明ということが重んじられてきて、説明してもらえれば分ると思い勝ちですが、説明が分ったからとて事がらが分るというものではないのです。経験したことがない人にいくら説明しても分らないのです。生まれながら目の見えない人に色とか光とかをいくら説明してもわかりません。
今日のわれわれは説明ということを聞きすぎています。そして言葉というものがだんだん死語になって来ている。先般、ある詩人と話しました。「詩人というのは一口に言えばどういうものでしょうか」と私は聞いたのです。これはほんとうに失礼な質問だったと後で気がついて顔を赤くした訳です。「あなたは哲学をやっているそうだが哲学者って一口に言って何ですか」ときかれたらわたしはどう答えるだろうと顔が赤くなりました。ところがこの詩人はすかさず答えてくれました。「言葉を復活させることが出来るものでしょうな。それが出来なければ詩人ではないですよ」というのが彼の答えでした。言葉を復活させることのできる人間。累累として死んだ言葉を生き生きと経験できる人間、これが詩人だというのです。
キリストの名によって建てられた学校あるいは施設、それをあえて教会と言わなくてもそこにはキリストの生命がどこかに生きています。それに人々が触れる機会があればいいなあと思うわけです。そしてすこし心して見ますと、なんでもないと思ったものにそのしるしが見えてます。「目ありて見うるものは幸いなり。耳ありて聞きうるものは幸いなり」とイエスが言われたのはそういうことであろうと思うのです。

附記、昭和46年11月16日に行われた大阪女学院短期大学の伝道週間の講演を録音にもとづいて筆録したものです。原稿作成には山崎睦子講師の協力を得ました。ご多忙中原稿を校閲して下さいました松村教授に感謝します。大阪女学院短期大学紀要第4号(1972)収録。句読点、文章、用語その他多少文屋によって書き改められた部分があります。

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