ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 08/02

2017-08-04 10:53:23 | ツイッター
お早うございます。主の平和。8月2日、水曜日。宗像市は気温27度、最高32度、ただ今室温28度(エアコンなし)。快晴。涼しい朝。10時半に就寝、熟睡、6時起床。体温:35.2、血圧(108:69、68)。体調:快調。チュンチュン

33 松井 守さん、丹羽 一二さん、他31人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

小貫 ツマ お早うございます。主の平和!
今日は弟のレクイエムのため聖マーガレット教会へ行ってきます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
朝のウォーキング中に小雨が降りましたが、降りが足りないのか蒸し暑いです。
先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

東山 富昭 おはようございます😃。大阪は、早朝、暑くはなかったので、冷房をせずに、寝ていました。外に出るて、汗を💦かきます。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。

藤木 冨士子 こんばんは。

文屋 善明
8月2日 6:07 ·
昨日の日誌
午前:二人で整骨院へ。帰宅後、読書「精神現象学」、よく分かる。「まえがき」というタイトルの哲学概論として読む。
午後:昼寝30分。続いて読書。
夕方:釣川散策。出エジプト記32章の解釈、十戒を抱えて下山したモーセが見たもの。
夜:「林修の今でしょう」、墓参りについて。危険外来生物について。9時頃マンションの水道が一時的に断水状態。人びとの動きが面白い。すぐに回復したので、パニックは起こらなかった。報ステも見て10時半就寝。

25 丹羽 一二さん、中尾香鶴子さん、他23人

文屋 善明
8月2日 6:20 ·
お目覚めの花。「ちょっと出番が遅れましたが、主日礼拝での祭壇花。紫陽花って、いろいろ色があるけれど、最後はぜんぶ緑色になるようですね」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花

33 丹羽 一二さん、岩城 真紀子さん、他31人

文屋 善明
8月2日 6:56 ·
2017 日々の聖句 8月2日(水)
あなたの贖い主、あなたを母の胎内に形づくられた方、主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。(イザヤ44:24)
世界とその中の万物とを造られた(神が、その方です。この)神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。(使徒17:24~25)
私の黙想:
今日の聖句はいかにも第2イザヤの言葉らしく、堂々として内容が豊かである。ということで、今日は一寸重要ポイントを外して、「(自ら)独り地を踏み広げた」という言葉に焦点を合わせて考える。非常に面白い表現である。天地の創造者が「地」に関しては「独り地を踏み広げた」と言う。一体、これはどういう情景を思い浮かべたらいいのだろうか。神が四股を踏むようにして大地を固められたと言うことか。口語訳では単に「地をひらき」と訳した上で注釈のように「——だれがわたしと共にいたか——」という言葉を添えている。文語訳では「みずから地をひらき」、フランシスコ会訳では「地をうち広げた、誰かわたしと共にいたか」、新改訳では「わたしだけで、地を押し広げた」、岩波訳は「地を押し広げた者」と訳した上で、文章を改めて「誰かわたしと共にいたか」という言葉を付け加えている。全体の雰囲気では、「わたしは主、万物の造り主」という言葉を受けて、それを補う形で、天と地の創造者であると宣言する文脈となっている。それに対して口語訳やフランシスコ会訳では「わたし独り」という点が強調される文章となっている。
私の関心は、そこにはなく、ヤハウェの「地を踏み広げた」という行動である。
どこかで、そんなことを読んだ思いがあるが、「あなたが踏んだ場所があなたのものとなる」という思想。ここではそんな感じがする。うどんを作るとき、粉をこねた塊を足の下に置き、それを「踏む」ことによって「広げる」。そんな情景を思い浮かべる。天はともかく、地に関しては、たとえ一坪の地であれ、そこには神の足跡が残っている。というより、神の足が踏むことによって、そこが「地」となった。この新共同訳を読んで、そんなニュアンスを感じる。おそらく、これは私だけの勝手な思い込みにすぎないだろう。
私がよく口にする言葉で「あなたが掃除をした場所があなたのものになる」。聖堂は掃除をした人のものである。これは一寸言いすぎか。でも、掃除をしたこともない聖堂ではあなたはお客さんにすぎない、ということは言えるのではないだろうか。

25 丹羽 一二さん、齋藤篤さん、他23人
コメント

門叶 国泰 トルストイにありましたね!「日が落ちるまでに歩いた土地を上げる」と言われて、欲張りすぎて倒れた人の話が。今週は定例の「会堂清掃」に行ってきます。

文屋 善明 トルストイ民話集「イワンのばか」に収録されている「人にはどれだけの土地がいるか」(岩波文庫)にありました。ありがとうございます。

文屋 善明
8月2日 7:07 ·
今日の名言:昨日FBで見つけた友人の言葉
わたしが闘うことは、わたしだけのためではない。
わたしが闘うことは、わたし・たちのためなのだ。(牧師・谷本仰)
<一言>いい言葉なので頂いた。

21 Izumi Naraさん、小貫 ツマさん、他19人

文屋 善明
8月2日 8:47 ·
現代文イミタチオ・クリスチ
第4章 聖餐に与るのは多いほどいい(A)
キリスト教徒:
主なる神よ、あなたが人類の救いのためにご準備くださった喜びの宴会に与るために私はみもとにまいりました。私の救い、希望、力、誇りがすべてここにあります。あなたの下僕に聖餐に与る喜びを十分に味合わせてください。
私の魂は、あなたの御顔を仰ぎ見ます。私の心は、あなたの恵みに与りたいと願っています。私はザアカイのようにあなたを私の家にお迎えし、あなたの祝福を受け、アブラハムの子らの中に数えられるにふさわしい者になりたいのです。(3:4:1~4)

16 福澤浩子さん、安井 郁夫さん、他14人

文屋 善明さんが竹花 京子さんの投稿をシェアしました。
8月2日 10:27 ·
ホントだね。ここから見えてくる人間と社会の関係、無視できないね。どうしたらええんや。

竹花 京子
8月2日 1:27 ·
一読の価値、おおいにあり。

通信602「マスメディアが書けない籠池家の実像」 : 大袈裟太郎の大袈裟通信
ひょんなことから、ここ一週間、大阪は豊中の籠池さん宅に居候している。太郎さん、玄関はいといてくれるか?とか、太郎くん、そうめんのネギこうてきてくれへん?とか、玄関前に半年以上マスコミが張り続け、どこへ行くにも追い回される、完全にプライバシーを失ったご夫妻
BLOG.LIVEDOOR.JP
http://blog.livedoor.jp/oogesataro/archives/2921303.html

8 内田 智子さん、Hajime Kawamukaiさん、他6人

文屋 善明さんがBuddhist Visionさんの動画をシェアしました。
8月2日 10:30 ·
面白い逆説だ。英語の勉強にもなるよ。

再生
-0:25
その他の視覚設定[再生&スクロール]モードで見るフルスクリーン表示 ミュートを解除
再生9,949,074回
Buddhist Visionさんが動画を追加しました。いいね!
6月15日 ·
https://www.facebook.com/yoshiaki.bunya

20 丹羽 一二さん、Richard Bakerさん、他18人
コメント

文屋 善明 closed mind と open mouth との対比(パラドックス)。
Mizota Michael Satoshi おっと、いいねをしない主義でした。いいですね。

文屋 善明 この場合、open mouth とは、お喋りで欲張りで口を閉じる暇がないということでしょう。

Mizota Michael Satoshi まあ、口が開いたままふさがらない沈黙というのもありますけどね。。。

谷本 仰 Listen!

文屋 善明
8月2日 10:49 ·
7月30日の「折々のことば」で紹介されていた本です。考えて見ると、私は今まで朝鮮人の書いた本を読んだことがないことに気付き、これではいけないと思い、早速注文いたしました。今日届きましたの、読み始めます。
自動代替テキストはありません。

28 丹羽 一二さん、岩城 真紀子さん、他26人
コメント

杉浦 紀明 「腹話術師」という言葉に反応してしまいました。どういう本なのか知らないのでコメントはいたしませぬが。。。

文屋 善明 さすがに杉浦さん、私もこの「腹話術師」という言葉にはクエスッションマークを付けて買いました。そして、本書をてにして「訳者あとがき」を読んで、納得しました。「原題」では、「複話術師」であるが、著者と訳者が話し合った上で「腹話術師」としても、そのメタファーは十分に通用しているとのことで書き換えたとのことです。「複話術師」という場合は複数言語の世界生きている作家たちという意味(メタファー)です。この点一つにをとっても、「腹話術師」という言葉しか思いつかない人たちと、複数言語で生きざるをえない植民地の人びとの原語に対するコンプレックスが現れると思います。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
8月2日 13:36 ·
去年の思い出、やっぱりバルトはスゴーイ。
1年前
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文屋 善明
2016年8月2日 ·
<昨日の読書から>(宮田光雄『カール・バルト』読了)

バルト神学におけるユーモア(226~228頁)

バーゼル大学の教室で
これらの章を読み進むにつれて、私には、バーゼル大学の教室の雰囲気がまざまざと思い出され、バルトの肉声や表情までよみがえってきた。とくに「地霊たち」を論じたくだりは忘れがたい。
政治・経済・思想の権力についで何が出てくるか——聴講者の意表をついて、『地霊」具体例として「流行(モード)」があげられたとき、教室中には軽いざわめきが起こった。やがて女性の衣装から男性のひげ——「カイゼルひげは、なかんずく威厳にみちています」——にいたるまで「自由世界においては」流行遅れになることは不可能である、といった諧謔まじりの講義に、教室はしばしば爆笑に包まれた。さらに「特別な地霊の遊び場」としてスボーツがあげられ、スウェーデンで開かれたサッカーのワールドカップをめぐる国際的な熱狂ぶりが詳細に説明される。 「大神学者」とすぐには結びつき難い蘊蓄の程に聴講者一同が感心していると「これは、最近、小さなサッカーの本で読んだのです」と種明かしをして、その悪戯っぽい微笑が一同の笑いをさそうという調子。
ちなみに、これらの引用は、残念ながら講義の遣稿には載っていないアドリブのユーモアであった。
バルト神学におけるユーモアの重要性に改めて注目させられる思いがした。実際、「御国を来たらせたまえ」の祈りをめぐって、バルトが再三にわたり「神の笑い」(詩2:4、註:「天に座するものは笑い、主は彼らを嘲られる」)について言及しているのは偶然ではない。バルトが「相対的可能性」の領域において、われわれ人間が「まったくの安らぎと晴朗さにおいて、自分たちのことを行なうように解放されている」というとき、バルトのユーモアのもつ政治的射程の大きさを、あらためて考えさせられるだろう。
バルトの諭文や著書を読んだだけでは、彼の活き活きした表情(ミミーク)に表われる発想の豊かさやその魅力は、十分に伝わってこないのかもしれない。これは、若き日にボンヘッファーやハインツ・E・テート教授がバルトの講義やゼミに参加したときに、すでに感知されていたものだ。「バルト本人は、その著書を超えている」と。
『和解論』の最終講義でも、全体としてみたとき、バルトが、じっに自由に、のびのびと語っているという印象を受ける。あたかも福音の喜びを語る説教のように。ここには、教義学という言葉にたいして抱かされる固さや謹厳すぎる悲壮惑といったものが、まったく認められない。それは、彼が別のところで語っている通りではなかろうか。「キリスト者は、根本的に言って、彼が喜びをもち、じっさい、自分の仕事にユーモアをもつときにのみ、よい神学を営むことができるのです。ただ不機嫌でない神学者が! ただ退屈でない神学を!」と(『公開書簡1945~1968年)。(宮田光雄『カール・バルト』228頁)

『カール・バルト』しめくくり

私の友人ゴットホルト・ミューラー(ヴュルツブルグ大学教授・故人)から、かつてバルト最晩年の面白いユーモア話を伝える手紙を貰ったことがある。彼は、当時、バーゼル大学神学部の若手講師として、いわばバルトの同僚になっていたのだ。それは、バルトが亡くなる2、3週間前のこと、ブルーダーホルツのバルト邸を最後に訪問した際に聞かされた話だという。
「私は、もうまもなくこの世を去ることになるだろうと思う。私は、いまから、こんな場面を想像できるのです。私が干し草を運搬する荷車を引いて天国の門に到着すると、例のペトロが笑いながらこう問いかけてくる。『カールさん、あなたのその荷車の上に何を載せているのかね』。私が自分の書いた『教会教義学』ですと答えると、ぺトロは腹をかかえて大笑いする。そのときの様子が今からわかるのですよ」。
これは、むろん、バルト特有の自巳アイロニーにほかならない。10数巻に及ぶ彼の「神学大全(スンマ)」の中で、バルトが心を砕いてきたのは、いっさいの人間の側からの自己主張的言説を——むろん バルト自身のものもふくめて——断固として退け、ただ神の恵みと栄光をのみ賛美するということではなかったのか。バルトは、未完こ終わったこのライフワークに打ち込んできた自分の生涯全体を笑いとばしているのだ。
すでに引いた『教会教義学』の『創造諭』の中で、「摂理」について論じた冒頭には、こう記されていた。 「信じると言うことは、福音書の意味では、疑いもなく、徹頭徹尾、まったくの子どもらしさと直接性の中で、神の摂理を堅く保持して手放すことなく、神の摂理を喜び、神の摂理に従うことを意味している」と。
神学者および同時代人としてのバルトの生涯を支えていたのは、この「子どもらしい」素直な神信頼にほかならなかったと言うことができるだろう。(宮田光雄『カール・バルト』、265頁)

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18 佐藤 彰子さん、久保和男さん、他16人

10 佐藤 彰子さん、丹羽 一二さん、他8人

文屋 善明さんが津田 大介さんの投稿をシェアしました。
8月2日 16:03 ·
高校教科書選定の裏話。酷い圧力です。サンケイも酷い。

津田 大介フォローする
8月2日 14:39 ·
Buffer
·
灘校の校長が歴史教科書採用を巡って同校に有形無形の「圧力」がかかっていることを具体的に開示、かつ極めて冷静に分析し、いまこの国で起きている「歴史情報戦」がどのような段階にあるのかわかる声明文。全国民必読の文章では。立派な校長だと思う。

buff.ly
TOI.OUPS.AC.JP
http://toi.oups.ac.jp/16-2wada.pdf?utm_content=buffer5936c&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

12 文屋 知明さん、佐藤 彰子さん、他10人

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