ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 1/22

2011-02-02 06:52:52 | ローズンゲン
1月23日(日)
ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。(サムエル上30:6)
信じます。信仰のないわたしをお助けください。(マルコ9:24)
私の黙想
そうだ。この経験があるかないか。それが問題。ダビデも彼の兵士たちも「ついに泣く力もなくなった」状態の中で彼の兵士たちはダビデを殺そうとした。そういう状況の中での経験である。ダビデの真の強さの秘密はここにあった。

1月24日(月)
遠方からも人々が来て、主の神殿の建築に携わる。(ゼカリア6:15)
パウロの手紙:もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤ3:28)
私の黙想
主の神殿建築への人々の情熱。わたしたちに教会形成への情熱がどれだけあるのか。既に出来上がっている教会で、ぬくぬくと居眠りしているだけではないのだろうか。いや、「ぬくぬく」でもない、「ひややかさの中で」寝たふりをしている。なんて、偉そうにいっちゃって。反省。

1月25日(火)
主はわたしを遣わして、シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせる。(イザヤ61:1,3)
わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。(ヨハネ16:22)
私の黙想
これは神のなさること。私たちが自力でできることではない。「暗い心に代えて賛美の衣をまとわせる」とはいい言葉だ。

1月26日(水)
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。(ゼカリア12:10)
人々はペトロの説教を聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。(使徒言行録2:37)
私の黙想
ここでいう「憐れみと祈りの霊」とは反省と悔い改めの霊であろう。文脈が混乱しているのか。

1月27日(木)
サムエルは民に言った。「あなたたちはこのような悪を行ったが、わたしはあなたたちのために祈ることをやめない。」(サムエル上12:20,23)
わたしたちの負い目を赦してください。(マタイ6:12)
私の黙想
だからこそ、預言者サムエルは民から尊敬され、信頼され、愛された。民のリーダーの模範。元祖キング・メーカー。

1月28日(金)
主なる神、あなたは、あなたの優れた霊を授けて彼らに悟りを与えられた。(ネヘミヤ9:20)
キリストの言葉:わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。(ヨハネ15:26)
私の黙想
「あなたの優れた霊」という表現は珍しい。罪を追求し、悔い改めを迫る、断罪の霊ではない。静かに、優しく罪を悟らせる霊である。父親に叱られ、食事抜きで部屋に閉じこもる息子に、そっとおにぎりを差し入れる母親をイメージする。

1月29日(土)
大海のどよめき、波のどよめき、諸国の民の騒ぎを鎮める方。(詩65:8)
あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。(フィリピ4:7)
私の黙想
「沈黙して神に向かう人」(2節)と「騒ぐ人びと」とが鋭く対比されている。静かな山々とどよめく大海。なぜか、聖公会の祈祷書では2節の「沈黙して」という言葉が省かれている。沈黙がこの詩の鍵なのに。

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