ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 11/5

2017-11-07 14:45:29 | ツイッター
お早うございます。主の平和。11月5日、日曜日。宗像市は気温11度、最高18度、快晴。ただ今室温20度。11時就寝、明け方まで一度も起きず、熟睡。6時起床。体温:36.4、血圧(121:79、76)。体調:快調。チュンチュン

30 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他28人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

久保和男 朝、冷え込むようになりました。おからだ大切に。

Mabune Tatsuo おはようございます。今日も主日礼拝を通して清められ、この1週間を襟を正して過ごせますように!アーメン。

東山 富昭 おはようございます😃。今、吹田市のホテルにいます。朝食を食べてから、教会に行きます。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。よろしく、お願いします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪寒い朝です(最低気温は10度で、昨日比-10度だそうです)浜松は晴れのち曇り、最高気温は20度の予報です。
熟睡出来て爽やかな目覚めだったでしょうか? Dr.日野原は、爽やかな目覚めは健康の証しと言っておられたと聞きましたが、よい一日の始まりでしょうと想います~♪(^^♪
礼拝が祝されます様に、また、先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられます様にm(__)m

文屋 善明
11月5日 6:19 ·
昨日の日誌
午前:佐々木君来訪。昼過ぎまでお喋り。
午後:1時半に佐々木君が帰り、2時間ほど昼寝。その後、ただぼんやり。
夕方:家内は散歩。朝日Beのクイズ数独。自力で解答。
よる:「寅さん」、その後野球を見て、ソフトバンクの勝利を確かめて11時に就寝。

21 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他19人

文屋 善明
11月5日 6:23 ·
お目覚めの花。「今日は聖霊降臨後第22主日(特定26)、今日は一日家でゆっくり過ごす予定」。いよいよ手元の花の写真がなくなってきたので数年前のストックから。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、屋外、自然

25 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他23人
コメント

若月 新一 おはようございます。

文屋 善明
11月5日 6:46 ·
2017 日々の聖句 11月5日(日)
あなたは罪を赦す神。恵みに満ち、憐れみ深く忍耐強く、慈しみに溢れ先祖を見捨てることはなさらなかった。(ネヘミヤ9:17)
主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。(コロサイ3:13)
私の黙想:
聖書における神認識の内、具体的で最も明解なのが「罪を赦す神」ということであろう。そしてその上で贖罪ということがイスラエル宗教の中心的儀式となった。ということで、今日の聖句を読み直す。
ここでの「赦す」ということは非常にハッキリした神に対する反抗(反乱)、失礼な行為があった。これなら神も怒るであろうと納得する。それが「彼らが牛の像を鋳て造りエジプトから救ってくれた神だと称し背信の大罪を犯したときも、まことに憐れみ深いあなたは彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった(9:18~19)。この出来事は、出エジプト以来の最初の「神に対する罪」である。そして、その罪はかなり厳しい罰によって精算された。しかし、このときの「民族的記憶」がその後のイスラエル史の原型となっているように思う。
聖書における神に対する罪は明解である。決して、ただ生まれたときから人間は罪人であるというようなキリスト教の「原罪論」などない。そして、その罪はその都度、精算されている。その意味では、イスラエル史において「赦す神」対「罪を犯す民」という固定的なパターンは正常ではない。従って、今日の聖句でいうと、「赦す神」ということではなく、「恵みに満ち、憐れみ深く忍耐強く、慈しみに溢れ先祖を見捨てることはなさらなかった」という点に強調点がある。一口で言うと「赦す神」よりも「慈しみ深い神」である。キリスト教も、この点をもっと強く、深く認識すべきではないだろうか。

20 山中 俊彦さん、安井 郁夫さん、他18人

文屋 善明
11月5日 6:54 ·
今日の名言:@Hegelbot
精神の本性は、その正反対のものである物質と対比する事で最もよく理解される。重力が物質の実体であるように、自由が精神の実体である。(ヘーゲル)
<一言>ヘーゲルの「精神論」の最もハッキリした特徴がここに出てくる。要するに、精神とは物質と「正反対のもの」ということである。その上で、精神の本質的特徴として「自由」を語る。あまりにも単純すぎて呆れてしまうほどである。

15 Mabune Tatsuoさん、宮田 真也さん、他13人

文屋 善明
11月5日 7:00 ·
山口拓夢『短歌で読む哲学史』(9)
Ⅲ 中世神学
中世の神学は、それぞれ人によって特徴的なので、その句の背後にある神学者の名前を出すことにする。
38.それよりも偉大なものは何もない神は必ず実際に有る (p45)
議論し始めると難しい文章も短歌にすると理屈を越えて伝わる。ここが短歌の面白いところ。これは神の存在を課題としたアンセルムスの神学を凝縮化したもの。
39.各々の個々を離れた普遍とは唯の言葉か実のあるまことか (p46)
「実」を「み」と読んでも、字余り。最後の「か」を省いても良いのではないか。中世神学の共通課題は「普遍論争」。ロスケリヌスは普遍はただの音に過ぎないとし、シャンボーのギヨームは実念論の立場に立った。
40.普遍とは単なるものや音でなく知性の捉えた意味を表す (p47)
短歌の原型に従った素直な一句。アベラルドゥスは普遍論争に決定的な結論を打ち出した。
41.神学のもつれを理性で解き明かし体系的に過去をまとめる (p47)
「神学のもつれ」という言葉が面白い。これもアベラルドゥスの功績。
42.神の意に耳を傾け選び取る人の意図こそ行為を良くする (p47)
神学から倫理学への展開を見事に言い当てている見事な短歌。これもアベラルドゥスの功績。
(2017.11.5)

15 宮田 真也さん、岩城 真紀子さん、他13人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
11月5日 7:04 ·
去年の今日のローズンゲン。
1年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明
2016年11月5日 ·
016 日々の聖句 11月05日(土)
主の言葉:わたしの民がわたしに聞き従い(イスラエルがわたしの道に歩む)者であったなら。(詩81:14)

ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。(コロサイ1:23)

私の黙想:
今日の聖句では、何と言っても文頭の「主の言葉」が光っている。もちろんこれは聖書本文にはない言葉であるが、文脈から見て異存はない。これが主の言葉なのである。「あったなら」で結ばれているのも意味深長である。もっとも、この「あったなら」は次節へのつなぎで、文末ではないが、ローズンゲンとして、このように取り上げられていると、意味が深まる。ただ単なる条件文ではなく、ヤハウェの心情を示す言葉となる。これが口語訳になると、「(わが道に)歩むことを欲する」となり、それだけで完結文となら。もちろん、今日の聖句はヤハウェの願望である。だから「欲する」でもいいが、それではニュアンスがなくなる。欲しているし、そうあることを願っているが、それを強制しない。もちろん、全能のヤハウェのこと、欲すれば、そうできるし、願えばそうなる。しかし、あえて願望のままで留まる。そこに人間側の決断、自発的行動が期待されている。これが「主」と「主の民」との基本的関係だという。命令を願望の状態にとどめる、ここに神の愛がある。

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27 齋藤篤さん、佐藤 文俊さん、他25人

7 安井 郁夫さん、久保和男さん、他5人
コメント

瀧本 直子 こんばんは、文屋先生。
お加減はいかがでしょうか?お祈りしています🙏
一つ質問があるので、もしよらしかったらお答えください。
溝田先生へのコメントで、「こんな時はロザリオの祈りです」とおっしゃつておられましたが、そのことについてお尋ねしたいです。
ロザリオの祈りってプロテスタントがしてもいいのでしょうか?私は、一応ルター派ですが、大変ロザリオの祈りに興味があります。お祈りに、教派は関係ないと思うのですが…。アヴェマリアの祈りも暗記しています。短い言葉の繰り返しって、心がとても落ち着くものですね。それから数珠というのは祈っているということを支えてくれるような(私にとっては)とても良いものです。このような考えは、プロテスタントに受け入れられるものではないでしょうか?
もしよかったら、体調の良い時に、お返事ください。
明日はもっと寒くなるでしょうから、お体にお気をつけて。
おやすみなさい💤

文屋 善明 お祈りありがとうございます。考えてからご返事します。

文屋 善明 とりあえず、祈りについての私の考えを簡単にまとめたブログがあります。「自由祈祷と成文祈祷」、http://blog.goo.ne.jp/.../e/a2568ace6f8a370a84dfacaf610ac809 をお読みください。祈りについては教派や牧師によって、いろいろな考え方があります。従って、あなたを指導しておられる牧師と異なる考えの場合、混乱の許になりますので、多少、遠慮しなければならないでしょう。
ロザリオの祈りはもともとカトリックの特に修道院においてなされている一つの祈りの形で、かなり厳しい定めがあるようです。大きい珠のところで唱える祈り、小さな珠での祈り、そこから少し離れたところにある十字架のところの祈りなどなど。カトリック教会ではこの祈りは聖母マリアと深い関係にあり、聖母マリアの祈りを唱えるようです。最近では聖公会でも一部ロザリオの祈りを唱えることも始まっていますが、その場合に聖母マリアの祈りに変わって、主の祈りとキリエとを唱えます。しかし、基本はむしろ「唱える」ことよりも「沈黙の祈り」ということに重点があるように、私には思えます。ただ、沈黙での祈りは時にはそのまま寝てしまうことがありますので、眠気覚ましのために何かを唱えるのだと思います。何か祈りの課題がある場合、それを心の中で「思い」ながら珠を動かす。それなら何時間でも続けることができます。ロザリオの祈りの基本はそこにあるのでしょう。私はロザリオの祈りをしながら「寝込んでしまう」ことこそ理想的だと思っています。

自由祈祷と成文祈祷 - ぶんやさんち
自由祈祷と成文祈祷聖公会の礼拝では原則としていわゆる「自由祈祷」はなされない。定められた式文に従って、定…
BLOG.GOO.NE.JP

瀧本 直子 早速のお返事のコメント、ありがとうございます😊
実のところ、指導牧師に聞く勇気がありません。多分このことはご指摘されるだろうとは思っていたのですが…。
文屋先生のブログを読ませていただきます。
本当にありがとうございます😊
どうぞ、良い月曜日をお迎えください。
おやすみなさい💤

文屋 善明
11月5日 7:14 ·
トランプ大統領の危険な発言、許せない。これをおっちょこちょいのアベさんがどう受けとめるのか。
 【ワシントン共同】北朝鮮が8~9月に日本列島上空を通過する弾道ミサイルを発射した際、日本が破壊措置を取らなかったことについて、トランプ米大統領が東南アジア諸国の複数の首脳に「迎撃するべきだった」と語り、日本の判断に疑問を表明していたことが4日、分かった。複数の外交筋が明らかにした。
 安倍晋三首相は5日からのトランプ氏訪日で、日米の緊密な連携をアピールしたい考えだが、トランプ氏は日本に、より強力な対応を求める可能性がある。
 外交筋によると、トランプ氏は東南アジア諸国首脳らとの会談で「武士の国なのに理解できない」などと、不満を口にしていたという。

31 磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他29人
コメント

嶋津 雅彦 古賀茂明さんの8月のコメントから
「米国とともに日本が北朝鮮のミサイルを迎撃する事態になれば、これは北朝鮮への武力行使になるから、北朝鮮からみれば、日本と戦争状態に入ったことになり、東京がミサイル攻撃される可能性もある。」
こういうことですよね。...もっと見る

古賀茂明「グアムへの北朝鮮ミサイル迎撃すれば、戦争状態…
DOT.ASAHI.COM

Satoshi Tanaka 一方が、迎撃すべきだったと言い、かたや、それをしなかった、最高司令官として、トランプか、安倍のどちらかが重大な判断ミスをしたということで、どちらかが責任を取らなければなりません。ゴルフなんかをしている場合ではありません。

文屋 善明 というよりも、ヤクザの親分が子分に、「ヤッチマエ」と言っているようなもの。おっチョコチョイの子分は、「今度はやります」という図。

Satoshi Tanaka そりゃ、やばいですね。

Satoshi Tanaka 荒ぶる心が、今日の聖餐式で、静かに落ち着くことができますように。

水草 修治 北朝鮮のICBMは高度3700キロメートル程度くらいなのに対して、日本の迎撃ミサイルの最大射高は15キロメートル。…アホじゃないか。

文屋 善明
11月5日 8:42 · 福岡県 宗像市 ·
これ、役に立ちまっせ。

『アンちゃんの「土曜日和製英語講座」#9』
おはようございます!11月になったから、あと、もうちょっとでバリバリ寒い九州の冬が来るバイ。まぁ、外はそんなに寒くないけど、家の中は死ぬほど寒い。それについ…
AMEBLO.JP
https://ameblo.jp/annechan521/entry-12324931070.html

6 越山 香菜子さん、安井 郁夫さん、他4人

文屋 善明
11月5日 13:04 ·
みなさん、高齢者も若者たちも、みんなこれを読んでください。これが敗戦時に満州の北部で起こったことです。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、テキスト
田中 隆夫
11月5日 11:53 ·
◆旧満州 眠り続ける入植者

国に翻弄された命
 戦時中、兵庫県の旧高橋村(現豊岡市)から旧満州(現中国東北部)に入植した「大兵庫開拓団」が、終戦直後に川で集団自決を図り、298人が亡くなっていた--。その悲惨な歴史を私が知ったのは、兵庫県尼崎市で中国残留孤児向けの日本語教室を開いている宗景(むねかげ)正さん(70)を通じてだ。写真家でもある宗景さんは、夜間中学で日本語を学ぶ残留孤児を撮影したことを機に教室を始め、孤児たちが育った中国東北部の村や開拓団の跡地を撮り続けている。

 「300人が川に飛び込んだ豊岡の開拓団の跡地に寄ったら、当時を知る人がまだ生きとったんや」。宗景さんからそう聞かされたのは2015年夏。以来、旧高橋村に通って生存者の話を聞いたり、命日にある慰霊式を取材したりしてきた。不思議に思ったことがある。取材には応じてくれる生存者や遺族たちが、お互いに集団自決のことを話す場面をほとんど見ないのだ。この集落は悲劇を伝えたいのか、忘れようとしているのか。


 そんな時、宗景さんが、昨夏の慰霊式で知り合ったという石田拓男さん(69)、そのいとこの吉田俊夫さん(58)と大兵庫開拓団の跡地を訪ねると聞いた。私は疑問が解けるかもしれないと思い、同行することにした。

 旧高橋村は京都府に隣接し、府県境の山中を源流とする支流が谷間をぬうように流れ、円山川として日本海に注ぐ。住民たちは戦時中、わずかな平地の水田や棚田でコメを作り、炭焼きのほか、冬場は山を越えて灘で杜氏(とうじ)をするなどして収入を得ていた。当時の資料には1人当たりの年間所得が206円とあり、国民平均の450円と比べ「本村民の所得は半分にしか及ばない」と記されている。


 国は「二十カ年百万戸」を入植させるとうたった満蒙開拓事業を1937年から本格化させていた。食糧増産と、日本のかいらい政権だった旧満州国の防衛強化のためだった。兵庫県から入植戸数の目標が割り当てられた高橋村も開拓団を派遣する。43年9月、補助金などが交付される「皇国標準農村」に指定されたのと同じ日、村は見返りとして移民を送り出す決議をした。目標は200世帯。だが、寒くて不慣れな地に行きたがる人は少ない。誰が行くかで紛糾した。

 当時、石田拓男さんは生まれていないが、祖母や父ら一家7人が開拓団へ参加した。参加は息子を軍隊に出していない世帯から求められ、8人きょうだいの1人が海軍に志願していた石田家は必ずしも応じる義務がなかった。しかし参加に応じたのは100世帯ほどしかなく、辞退者も出ていた。拓男さんの父義雄さん(11年死去)は農学校出身で、当時は北京に渡って技術指導に当たっていたため、参加を強く求められた。開拓団の募集係は義雄さんの妻孝子さんの実家でもあった。「義雄さんは、自分のせいで家族が満州に行かされたと思っていたのかもしれない」。拓男さんの叔母で、開拓団に参加した多美枝さん(88)は振り返る。多美枝さんの母ゆかさんは「行きたくないけれど、だれもうちの満州行きに反対してくれん」と漏らしていたという。

 高橋村の103戸476人が、満州の浜江省蘭西県北安村(現・黒竜江省隆安村)に入ったのは44年3月。省都ハルビンから約70キロ北の寒村だったが、現地の住民と良好な関係を築き、北京にいた義雄さんも途中から合流して平穏に過ごしていた。しかし戦局が悪化すると、開拓団を守るはずの関東軍は東南アジアの南方に転戦。義雄さんら開拓団の男性たちも次々と召集された。

 ソ連が対日参戦し、取り残された女性や子供たちは8月14日未明、開拓団本部から別の町に向かうよう命じられる。その日のうちに到着したが、頼みの関東軍はいない。さらにハルビンへ逃れようとしたが、日本の降伏を知って暴徒化した現地住民らに襲われ途中で断念。昼夜歩き続けて16日深夜、元の村に戻ったが、夜が明けると村は暴徒に囲まれていた。

 打つ手はなく、開拓団の班長会議で「無残に殺されるよりは」と集団自決が決まった。武器も毒薬もなく、村はずれの丘から、長雨で増水した川に入水することになった。

 なぜ死なないといけないの。16歳だった多美枝さんには理解できなかった。でも大人たちが決めた以上、口にはできない。生き残ることがないよう、幼い子から先に死なせる指示があった。多美枝さんの末弟、輝雄さんは当時8歳。「お母ちゃんは絶対できひん。あんたがやってくれ」。ゆかさんに言われ、多美枝さんは目をつぶって両手で弟の首を絞めた。「ごめんね。お姉ちゃんもすぐ逝くからね」。わんぱくな弟だったが、ゆかさんや多美枝さんから「お父ちゃん、おじいちゃんとこ行くんやで」と聞かされたせいか、暴れもせずに息を引き取った。

 続いてゆかさん(当時51歳)、妹の道枝さん(当時10歳)、義雄さんの妻孝子さん(当時22歳)、多美枝さんの4人が腰ひもで互いの体を縛り付け、歩いて川の中に入っていった。孝子さんは妊娠していたという。

 水の中に沈むと、多美枝さんはあまりの苦しさにもがいた。いつの間にかひもが切れ、自分だけ浮き上がった。周りを見ると、暴徒たちは遺体から金品や衣服を奪っていたが、生存者を襲うことはなかった。当時は何も考えられなかったが、時がたつにつれ、思うようになった。(暴徒たちは)物が欲しかっただけだったんだ。死ななくてもよかった--。

 軍に召集されていた義雄さんと弟は、敗戦の混乱の中からかろうじて引き揚げてきた。多美枝さんも他の生存者らとハルビンの収容所で1年を過ごし、46年10月に帰郷。ただ、知人に管理を任せていたはずの石田家の家屋や畑は人手に渡っていた。

 私たちが開拓団の跡地に向かったのは今年6月下旬。ハルビンから車でロシア国境へ続く国道を走る。「いよいよ来たんやな」。吉田さんが窓の外を見つめた。

 目的地に着くと、日用品を扱う小さな商店の壁に「隆安村」と看板が掲げられていた。日中国交回復後の82年と87年、高橋村から旧開拓団員らが現地に足を運んでおり、村からの訪問者は30年ぶりという。双方の高齢化で交流は途絶えがちだったが、近年は宗景さんが毎年のように訪れている。自宅で迎えてくれた王東国さん(89)は開拓団がいたころの村長の息子で、30年前は村長として訪問団を迎えた。

 「日本人には、冬にはまきを貸して、代わりに馬や車を借りたりして仲良く暮らしていた。家や畑を明け渡したが、その分、お金ももらっていたからもめごともなかった」。王さんは言った。入植地では現地住民から半強制的に安く土地を買い取り、反発されるケースが目立ったが、比較的良好な関係を保てた場合もあった。王さんは終戦時、開拓団員が早朝に食事をし、家財をまとめているのを見た。王さんの父は親しい日本人から「必ず帰るから家を見守っていてください」と頼まれたが、3日後、集団自決があったという話が広まった。王さんは怖くて現場に行けなかったが、1年ほど後、友人とその丘の下に向かうと、沼地の泥の上にいくつもの骨が見えたという。

 「骨は、骨はどうなりましたか」。拓男さんが問うと、王さんは「命令もなく勝手に埋めることはできなかった。今も土の下に残っているだろう」と答え、こう続けた。「捕まったら恥と思う日本人の気持ちは知っていたが、なぜみんなで死ななければならないのか、理解できない。助け合って暮らしてきたのに」

 翌日、村人の案内で、集団自決の現場を訪ねた。30年前は沼地だったが、現在はトウモロコシ畑になっていた。「無残や。ぞっとするわ。下に骨があるんやもん。誰が悪いんや」。つぶやいた拓男さんに吉田さんが応じた。「当時の国やろう。農民を盾にしたんや。この光景を目に焼きつけんと」

誰かを責めたくない

慰霊式に参列した(左から)石田拓男さん、多美枝さん、吉田俊夫さん=兵庫県豊岡市で8月17日
 私たちが開拓団の跡地を訪ねてから1カ月半後の8月17日。今年も旧高橋村で慰霊式があった。

 生存者や遺族ら約30人が「殉難者之碑」に花を手向けた後、近くの集会所で拓男さんが宗景さんと訪中の報告をした。現地の写真を見せ「みなさんの苦労を伝えていきたい」と述べてから、義雄さんが自分に言い残した「お前はいつか中国に行くやろうな」という言葉を紹介し、こう締めくくった。

 「『自分で歩いて確かめて、見て来いよ。戦争がこういう悲劇を生む。絶対に戦争をしてはいけないよ』と言いたかったんじゃないか」

 今年の慰霊式も、生存者同士が当時を話し合う場面は見られなかった。多美枝さんが言った。「死んだ輝雄と同世代で、無事戻った人に『命令されたはずなのに、あなたはなぜ』と聞きたくなってしまう。でも聞けない」。引き揚げる参列者を見送りながら宗景さんがつぶやく。「ずっと村の人たちを撮ってきたけれど、当事者だからこそ、語り継いでいくって難しいことなんやなあ……」

 殉難者之碑は53年に有志によって建てられ、自決した人も含め、故郷の地を再び踏めなかった346人の名が刻まれている。高さ3メートルの碑を見上げると、300人近くが命を絶った事実の重さ、他国の土地を奪って村人たちを半強制的に入植させ、そして見捨てた国策の罪深さを思わずにはいられない。

 10月下旬。拓男さんは初めて、義雄さんが書き残した約20冊の日記を開いてみた。今までは父の内面に土足で踏み込むようで見る気持ちになれなかったが、どうしても心の内を知りたくなった。

 妊娠していた妻孝子さんを集団自決で亡くした義雄さんは帰国後、義子さん(93)と再婚。拓男さんら3人の子をもうけた。拓男さんによると、石田家は8月のお盆に墓参りをしていたが、義雄さんだけは別の墓にも手を合わせていた。17日には正装し、1人でどこかに出かけて行った。「当時は何でか分からんかった。今になって、孝子さんの家のお墓や慰霊式だったんやなって」。日記にも毎年8月17日に慰霊式の短い記述があり、孝子さんの兄弟の名前を挙げて<全員で墓参り>などと書いている年もあった。

 帰国後の義雄さんは紡績会社で羊毛技師として勤務し、退職後は村に戻り酪農を営んだ。幸せな日々だったと言える。国家に翻弄(ほんろう)された戦中の影を、戦後の家族たちには残すまいと心に誓っていたのかもしれない。拓男さんは言う。「あの丘に行って感じたのは、集団自決がなければ、父は孝子さんとおなかの子と、別の戦後があったということ。つまり僕は生まれなかった。口を閉ざし続けたのは、僕をそんな不安な気持ちにさせたくなかったからだろう」

 多美枝さんによると、集団自決で家族を失った村民が、その後に新しい家族を得たケースはほかにもあるという。

 村は市町村合併により但東(たんとう)町、そして豊岡市と移り変わった。だが、悲劇は今なお遺族の胸にのしかかる。多美枝さんは時折、輝雄さんの幼顔を目に浮かべる。「どうして、あの子まで」。でも誰かを問い詰めたり、責めたりしたくはない。それぞれの家族にどんな事情があったか、その家族しか分からないとも思うからだ。

 忘れてはならない歴史もあれば、そっとしまっておきたい記憶もある。拓男さんが父の日記を再び閉じると、この悲劇を追い続けた私の取材も、一つの区切りを迎えた気がした。

 ◆今回のストーリーの取材は

田辺佑介(たなべ・ゆうすけ)(大阪社会部阪神支局)

阪神支局で執筆中の田辺記者=高尾具成撮影
 2004年入社。鳥取、京都支局、大阪社会部を経て15年4月から現職。満蒙開拓団のほかに、JR福知山線脱線事故や在日コリアン、平和と安全保障問題をテーマに取材をしている。今回は写真も担当した。

13 文屋惠さん、佐藤 彰子さん、他11人

文屋 善明
11月5日 17:23 ·
溝田さんの紹介文を読んで面白そうだったので、早速注文しました。ただ今、配達されました。むかし、ある著名な新約聖書学者とキリスト教は宗教か、どうかということで、議論したことがありました。その頃、彼は宗教ではないといっていましたが、最近は「宗教的」になってきました。というわけで、もう一度、「それでも、キリスト教は宗教である」と呟いて読み始めます。
この著者の代表的な著作に『無神論』というB5判で300頁に及ぶものがありますが、それも非常に有益な本です。
自動代替テキストはありません。

36 Mabune Tatsuoさん、宮田 真也さん、他34人
コメント

長倉 崇宣 面白そうと手に取りましたが、そっと書架に戻しました。

糸原 由美子 ぜひ感想をお聞かせください!買うかどうか、読むかどうか決めたいので。

文屋 善明 キリスト教は「宗教」ではなく福音だ、という言い方はもはや古典的になったカール・バルトの主張ですが、彼女がいう意味はそれとは違った意味のようです。

文屋 善明
11月5日 17:31 ·
今日は午前中、りんごジャム作りをいたしました。
自動代替テキストはありません。

64 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他62人
コメント

糸原 由美子 今年もいい色ですね!

矢野 寛子 紅玉それも、皮つきのままですか?私はクリーム色になりますが。

文屋 善明 紅玉ではありません。サン・フジでした。

矢野 寛子 川付きならこんなに赤くなるのですか?食欲そそりますね。

文屋 善明 皮はむいて、茶袋に入れて、一緒に煮るのです。そして色が出たところで袋を取り出します。その後でポッカレモンを投入するのです。

糸原 由美子 なるほど!どう煮たらこんなにきれいな色になるのかと思っていました。質問された矢野さんにも感謝!

岩城 真紀子 ありがとうございます😊

文屋 善明
11月5日 21:38 ·
「昨日のFB 10/3」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

10 文屋惠さん、岩城 真紀子さん、他8人

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