ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

聖職の報酬問題

2009-02-03 17:53:47 | ときのまにまに
先日、次週の<講釈>「聖職報酬問題」を友人たちにお送りする際に、次のようなことを書き添えました。(参照:ブログ「落ち穂拾い」)
<宗教改革以後、つまり「万人祭司主義」がプロテスタントの標準的な神学となって以後、聖職論はいわば神学の「裏問題」になってしまったきらいがあります。一方において聖職者と一般信徒との違いは限りなくゼロになりながら、他方において近代的な職業観によって聖職者の給料の問題とか生活保障の問題などが「非神学的」に論じられるようになりました。ある意味では、この問題は聖職者側からも信徒側からも「何か引っかかるもの」を感じながら、正面切って論じられることに難しさを感じます。聖職者が受け取る生活資金は労働への対価として賃金なのか、あるいは信徒たちからの感謝の気持ちの表れなのか、もちろんそれをスパッと割り切ることは出来ませんが、少なくとも考え、論じる必要のある問題です。>
そのメールに対して早速日本キリスト教団の友人からレスポンスがありました。その内容は、追って検討し論じたいと思いますが、そのメールの中で「スタイペンド(stipend)」という言葉が紹介されていました。この言葉は、労働者に支払われる賃金(Salary、Wage)と区別して、牧師に対する支給金、ボランティアや研修生に対する支給金などを示す場合に用いられます。もともとの意味は兵士への恩給に由来すると言われています。現在では一般的に、奨学金、給費、手当、年金など定期的に支払われる資金を示します。子どものお小遣いもこの中に入るのかも。
かつてロッキード事件を担当したこともある元東京地検特捜部検事・堀田力(ほったつとむ)氏は、現在は弁護士をしながら同時に、「さわやか福祉財団」理事長兼任されていますが、堀田氏はボランティア活動に対して支払われる手当を意味する言葉として「スタイペンド」を提唱し、サラリーと区別して非課税とすべきだと主張しておられるとのことです。一般的にスタイペンドはサラリー(市場価値の基準)より少し低く抑えられており、一時間当たり600円程度ということになっているようです。
このメールの発信者は間違いなく聖職ですが、あえて「職業としての牧師」の道を選ばず、一人の英語教師として定年まで貫いた方です。その視点から、学校の教師の給与について述べている部分だけを紹介しておきます。もちろん、彼は聖職の給与についてもはっきりと意見を述べています。
<かつて、学校の先生は自分が「聖職」という自覚を持っていました。したがって、その「聖職」たる先生が、賃上げのためにデモ行進・座り込み・ストライキをしたりするというようなことは、恥ずかしいことであり、教え子や親たちに対する背信行為であると考える教師もいました。しかし、今や教師は完全にサラリーマン化してしまい、教師自身が「聖職」という名を捨ててしまっています。教師に対して「聖職」などと言おうものなら、「清貧を押し付けるのか」、「人間扱いしていない」などと教師の側から攻撃されかねません。世間も、教師によるいろんな犯罪が報道されている現在、教師を「聖職」だと考える人はまれになってきています。>

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