ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/19

2012-09-20 06:04:33 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。エレミヤ35章にレカブ人(ケニ族の分家、カインの子孫)の五戒が紹介されている。アブラハムの生き方に似ている。これが砂漠で生きる部族の基本的なルールであり、十戒の原型か? 夜は「息もできない夏」(最終回)を見た。「自立するとは何か」を考える。10時に就寝。4時半に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:04:18

臼田 宣弘 レカブ人のメッセージが、今日に何を語るのか?・・一考してみると面白いのかもしれません。

門叶 国泰 「天幕に住む」を黙想!天幕とは、祭壇が何時も共にある、ことを示唆。アブラハムは天幕に住んでいた。ロトは町に入って、「戸」がある家に住んだ。祭壇から離れた!

文屋 善明 レカブ族は禁酒であったが、私はアブラハムは酒を嗜んだのではなかろうか。酒も飲めない男があれだけの大仕事ができるはずがないと思っています。どう思われますか。創世記18:8の「凝乳」というの怪しいと睨んでいます。後は門叶さんにお任せです。

losungenj 2012.09.19(wed)
主なるわたしは告げる言葉を告げ、それを実現させる。(Ezek12:25)
百人隊長はイエスに言った。「主よ、ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」(Mat8:8)
posted at 05:20:17
#losungenj 私の黙想:
バビロニア捕囚についての最終的な宣言。必ず捕囚は行われる。しかし必ず解放する。神が語る全ての言葉は必ず実現する。ここで注意。神の言葉はこれから起こることを予告しているのではなく、神自身が行おうとしていることを予め告げている。つまりそこには神の意志がある。この違いは小さくない。
posted at 05:35:43

今日の名言:RT @Bonhoeffer_jp:
どのような神学的思惟も、神自身を把握することはできない。(『行為と存在』『選集II』89頁)
<一言>そうなんだ、まさにそうなんだ。そこに神学をする人間の焦燥がある。思惟の対象が把握できない学問の悲劇だ。神学がそうなら、まして哲学はカミの「カ」にも至らない。
posted at 06:20:50

「昨日のツイート 09/18」をブログにアップしました。 http://t.co/MOXkeIjh
posted at 06:53:28

「今週のローズンゲン 09/09~09/15」をブログにアップしました。 http://t.co/CcOf1LHA
posted at 08:22:09

<FBより>
お目覚めの花。温和しそうで内に秘めた情熱。派手ではないが、キチンとしている。飾りのようで主役でもある。ただ見ているだけで、何となくいいでしょう。家内のお気に入り。

文屋 知明 欧米のフラワー・アレンジと違って、最少の面と線で生きた花を生ける(花を生ける:更に生かす)は。桂離宮の「美」や音楽では、武満徹(たけみつ・とおる)に通じる。「日本の心」だ。空手の「形」もこれだ!日本の形(型)が分からなければ、日本の精神性は理解出来ないでしょう!最近これが分からない宗教の指導的立場の方の言葉に、唖然とした。深さや感性がない、だから、自分以外の意見を相手の「心」を考えず平気で非難する。「礼」精神もなかった。困ったものだ!

文屋 善明 広くて緑色の葉の裏に、何かもう一つの世界が隠れている。この作品は表すと隠すの二つの作用が見事に一体化している。ように思う。

文屋 知明 そうですね!隠れたもの、見えないものが全体を支える。また、角度によっては見える。それも均整よく。それが、見えないものを大切にする精神だ!

FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』014(42頁)

誰しも太陽を持て! 自らを照らす太陽を創り出すのだ。
『悦ばしき知識』第4書「聖なる一月」第289節

FB<閑暇閑話015>徒然草 2012.09.19

徒然草にこんな言葉がある。「身死して財残る事は、智者のせざる処なり」。私は別に知者だとは思っていないが、「財を残す」ということだけはハッキリ否定できる。その代わり、財産の変わりというのも変な話であるが、「迷惑」だけは確実に残す。それは書籍類である。九州に転居した時に半分は処分したが、その後にもまた大分増えてしまった。というわけで、今日は第140段を紹介しよう。

徒然草第140段
子孫に美田を残すのは、まともな人間のすることではない。下らぬ物を貯め込むのは恥であり、高価な物に心を奪われるのは情けない。何より遺品が多いのは、傍迷惑である。「私が貰っておきましょう」などと名乗り出る者が現れ、醜い骨肉の争いが勃発するだけだ。死後に誰かに譲ろうと思っている物があるならば、生きているうちにくれてやれば良い。生活必需品を持つだけで、後は何も持たない方が良いのである。(吉田兼好著・吾妻利秋訳)

<補遺>十戒についての基本的な問題はほぼ分かった。さぁ、次の説教(10月7日)の準備の方に戻らなくっちゃ。テキストはマルコ10:2-9、「モーセは何を命じたか」。イエスの思考は常に原点指向だ。方向が分からなくなったら元のところの戻れ。


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