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断想:大斎節第2主日の旧約聖書(2017.3.12)

2017-03-10 06:52:08 | 説教
断想:大斎節第2主日の旧約聖書(2017.3.12)
 
父の家を離れ  創世記 12:1-8

<テキスト>
1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」
4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。


1. テラからアブラハムへ
旧約聖書がイスラエルの歴史を語ったものであるとしたら、創世記は第12章から本文に入ることになる。いわば、ここまでの物語は明らかに「神話の世界」である。もちろん、12章以下のアブラハムから始まるヨセフ物語までも「神話」ではないとは言えない。言い換えるとかなり歴史化された神話といえるであろう。ともかく、イスラエル史の始まりはアブラハムからである。実は、ここで、「あなたは生まれ故郷、父の家」といわれている所は必ずしもアブラハムが生まれたところではない。創世記でアブラハムの名前が最初に出てくるのは、11:26でそこではこう記されている。「テラが70歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた」。ここでアブラムと呼ばれているのが後のアブラハムである。アブラハムの父親はテラで3人の息子をもうけ、アブラハムはその長男であり、彼らは「カルデアのウル」で生活していた。カルデアは南バビロンで、現在のイランである。10進法などが発明された所で(現在のイラン)かなり繁栄した都市であったと思われる。恐らく彼らはカルデア人、つまりバビロン人であった。テラは一族を引き連れて、「カナンの地」(11:31)を目指してウルから出立した。ここで注目すべき点は彼らの最終目的地がカナンの地であったということである。
創世記9章のノア伝説によると、酒に酔って裸になって寝ているノアの姿を三男ハムが見たということで呪われたという(9:20~27)話がある。そのハムの末息子の名前が「カナン」で、カナン族は呪われた民族とされた。つまりカナンという地域は創世記では呪われた民族の土地ということになる。何故、そこを目指してウルの地を脱出したのか、その理由は明記されていない。ウルからカナンまで直線距離にして約1500キロ、日本列島をほとんど縦断するような距離である。さすがに、彼らはその途中で力尽きたか、ハランというところで旅は中断され、彼らはハランに定住することになった。父テラはハランで死んだとされる。その生涯は享年205歳だったという。アブラハムが生まれたのが父テラが70歳の時だと推定される。アブラハムがハランを出たのが75歳の時だとされるので(12:4)、かなり長期間ハランで生活していたものと思われる。彼らはすっかりハランの人間になっていたのであろう。
そのハランの地で、アブラハムは神からの命令を受ける。創世記では「わたしの示す地に行きなさい」と書かれているが、実はアブラハムにとっては決して知らない地ではない。もちろん、そこでどういう生活が待っているかは知らないし、そこにはすでに原住民、「神から呪われたカナン人」が住んでいる。しかし、そこに行くことは、父テラの願いの実現ということだったのだと思われる。

2.アブラハムの信仰
通常、アブラハムのことを「信仰の父」という。このことを巡ってヨハネ福音書では面白い議論がなされている。いろいろなことがあってイエスがユダヤ人たちを批判したとき、彼らは「私たちの父はアブラハムだ」という。その時、イエスがそれならアブラハムの子どもらしく、アブラハムのような生き方をせよ、という。つまり、アブラハムの子どもということは、単に民族問題ではなく、「生き方」の問題だという。このときの結論は、イエスはあなたたちはサタンの子どもだという(ヨハネ8:31~44)。イエスもきついことをいうものである。その上で、イエスは「私はアブラハムより前にいた」と訳の分からないことを言い出す(ヨハネ8:48以下)。この議論は面白いが今日の主題とは離れるので、ここまでとしておく。
実はアブラハムを「信仰の父」とするのはユダヤ教だけではなく、イスラム教もキリスト教も同じようにアブラハムを信仰の父と呼ぶ。
そのアブラハムの信仰の核心とは何か。ヘブライ書では「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(11:8)と述べている。これが今日のテキストである。

3.信仰の出発点
本日のテキストには深い思い出がある。思い出というか、むしろ今日の私という人間の出発点がここにある。従って、ただ単に過去の「思い出」ではなく、現在もここに立って生きているという出発点である。
高校生のころ、将来をいろいろ夢見ていた頃、私には「牧師という職業」が頭の中を駆け巡っていた。牧師にならねばならないという思いと、牧師にはなりたくないという思いが交錯していた。「ならねばならない」という思いの中には「父を助けること」「両親を喜ばせる」という思いが重なっていた。しかしまた同時に、「なりたくない」という思いの中には、牧師という職業の「うさんくささ」「わけのわからなさ」、この思いは当時の私の家を訪れる多くの牧師たちとの出会いの中から形成されたように思う。ともかく、私の中には牧師という職業に対する複雑な思いがあった。別に牧師にならなくても、信仰者として生きるということも大切だという思いもあった。教会というところを現実的に考えてみると、信仰に熱心な人が皆牧師になってしまったら、牧師に給料を出すのは誰だ、ということも考えた。従って、牧師になるよりも実業家になって教会を経済的に支えることも一つの生き方だとも考えた。しかし、私にとって、牧師になるということと信仰者として生きるということとは切っても切れない関係があると予感していた。
今、考えてみると、私の両親は表だって私に「牧師になれ」と言ったことは一度もなかったと思うが、当時の私には両親のその様な願いが重石のようにかかっていたように思う。しかし、このような両親の思いをそのまま受けて牧師になっていいものなのか。牧師になるということは、むしろ「両親に逆らって」なるものなのではないのか。そういう意味では、私にとって、牧師にならないで信仰を全うする方がはるかに信仰的であるとも考えていた。
そういう思いの中で、ある牧師の説教を聴いた。細かいことは全部忘れてしまったが、そのときの聖書の言葉が創世記12章の1節。「汝の国を出で、汝の親族に別れ、汝の父の家を離れ」(文語訳)という言葉であった。本当なら、私は「家出」をしなければならないようなメッセージであったが、その時、私は牧師になるということを決心した。両親を喜ばせるためにではなく、両親とは無関係に「私の問題」として牧師になることを決心した。そのときの私の心の中を反省的に分析すると、牧師になるということと、両親を喜ばせるということとが、あまりにも固く引っ付きすぎていたように思う。実は、「父の家を離れ」という意味は、その固執からの解放を意味していた。

4. 親族に別れ
皮肉なことに、神学校を卒業して、最初に派遣された教会は、父が主任牧師であった。私の心の中は非常に複雑であった。「父の家」を出たはずなのに、父の家に「派遣されてしまった」。しかし、これはまた非常に幸いな生活であった。両親のもとで副牧師を勤めながら、これ幸いと、さらに上級の神学校に行き、8年間も神学の勉強を続けることが出来た。いよいよ、大学院での神学の学びを終えたとき、またあの言葉「父の家を離れ」というメッセージが私に響き始めた。私は今度こそ本当に、「両親に逆らって」「家を出て」「見知らぬ地(アカデミー)」に向かうということになってしまった。このアカデミーという場所は、それまでの日本の教会にはなかった種類の活動拠点であった。まさに、私にとって「見知らない」だけでなく、日本の教会にとっても「見知らない場所」であり、私はそこの最初の主事となった。
基本的には信仰者の生き方というものは、安住の地に平穏に暮らすということを否定する、放浪への方向性がある。これは生き方というよりも「心の在り様」の問題である。つまり「棄てる」とか、「離れる」とか、「出て行く」とかという「執着心の否定」が信仰の核心にある。こういうものがなくなってしまったら、信仰はもはや信仰ではない。

5. 教会へ
10年以上も、一つのところで仕事をしていると、そこがまた安住の地になる。ここは、本当に私のいるべき場所なのか。私が本当に打ち込むべき場所は、教会ではないのか。アカデミーで8年過ぎた頃から、そういう問題が私の内部に起こってきた。このことについては、大斎節前主日の断想ですでに語ったので省略する。勤続11年で、アカデミーでの仕事を終え、私は再び教会の牧師となった。日本聖公会の聖職として28年牧会生活を送り、10年前の2007年3月に定年で退職した。普通、定年退職者は所属教区において嘱託として数年間、勤務する。しかし私はあえて住み慣れた教区を離れ、遠い九州に来て、知らない人たちの間で生きることを選択した。今度は九州教区の主教さんにわがままを言わせて頂いて、特定の教会に定着しないように主日ごとに異なった教会での礼拝奉仕をさせて頂いた。つまり、私の希望とする「放浪牧師」である。
考えてみると、本日のテキストはわたしの人生に取り憑き、わたしを追い立ててきたように思う。しかし、今それを振り返るとき、家族たちには多くの苦労をかけてきたが、わたし自身の人生としては幸せであったと思う。
ヘブライ書の著者は、信仰の父アブラハムについて、このように総括している。「信仰によって、アブラハムは自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐものであるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」(ヘブライ11:8-10)。引用が少し長くなったが、わたしがこの言葉を引用したのは、アブラハムにとって彼の人生の設計者、建設者は彼自身ではなく、神であるという点を引用したかったからである。わたし自身、このことを強く感じている。わたし自身はわたしの人生がどこに向かうのか、先のことはよく分からないが、ただ一つはっきりしている点は、神がわたしの人生を設計し、建設しているということである。そのためには、常に現時点に定着し、安定するのではなく、何時でも神の示しに従って、前に進むことが大切である。

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