ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 05/26

2017-05-28 08:21:13 | ツイッター
お早うございます。主の平和。少し強めの薬のせいか、痰・咳がかなりおさまってきた。しかし、その分かなり体力が弱っているようだ。昼食後1時間ほどタップリ熟睡。読書「神道の虚像と実像」、そもそも日本史についての基礎知識ゼロ状態だから難しい。夕食後、「警視庁捜査1課長」、「緊急取調室」、報ステを一寸見て10時半に就寝。6時15分起床。体温:36.3、血圧(151:79、82)、高域安定。体調:不調。チュンチュン

27 中尾香鶴子さん、佐藤 静代さん、他25人
コメント
久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはようございます😃。大阪は、まだ、晴れていません。今のところ、生活には、変化はありません。週末ですが、主なる神と主イエス・キリストにあって、聖日の礼拝に備えます。今日も、よろしく、お願いします。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。

川田信子 お早うございます。主イエスに守られ、健康が与えられますように、お祈りしてます。Amen❗

村田 多鶴子 おはようございます~♪体調が整えられますようにm(__)m
ご夫妻の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

文屋 善明
5月26日 6:36 ·
お目覚めの花。この季節、黄色い花が少ないように思う。(ストックから)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然

27 小貫 ツマさん、眞塩 ナナ子さん、他25人

文屋 善明
5月26日 7:00 ·
2017 日々の聖句 5月26日(金)
神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。神は北斗やオリオンをすばるや、南の星座を造られた。(ヨブ9:8~9)
天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。(黙示録14:7)
私の黙想:
「天を広げ」、なんという壮大さか。「海の高波を踏み砕かれる」、何故かもっと荒れそうな気がするが。近頃は、星座を見て神の創造を思うことが少なくなったような気がする。「南の星座」を口語訳は「南の密室」とあり、何か秘密めいている。フランシスコ会訳では、直訳では「南の部屋」であると解説しパレスチナ南方で見られる星座であろうという。新改訳は「南の天の室」、岩波訳では「南の密室」と訳し、南半球の星座のことと解説している。まぁ、どうでも大したことではない。
さて、何故ヨブはこんなことを縷々論じているのだろうか。面白いことは、9章の冒頭で「私だってそれぐらいのことは知っている」と述べて、その当時の森羅万象に関する科学的知識を長々と描写している。その意味では非常に興味深い章である。
日本人にとって、昔から、今でも、カミは必ずしも天地を創造された方である必要はないようだ。もっと身近で、現れたり消えたりするのがカミらしい。

23 小貫 ツマさん、植村 光郎さん、他21人
コメント
門叶 国泰門叶 国泰 何でこうも同じこと。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
5月26日 7:03 · 福岡県 宗像市 ·
去年の5月26日のローズンゲン、今日の5月26日のローズンゲンと比較すると面白い。
1年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明
2016年5月26日 ·
2016 日々の聖句 05月26日(木)
諸国の民に御業を示し、気高い御名を告げ知らせよ。(Isa.12:4)

イエスは弟子たちに言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(Mk.16:15)

私の黙想:
新共同訳において「気高い」という言葉は3回しか用いられていない。(Song.7:2、Ph.4:8)。口語訳ではゼロ。今日の聖句、口語訳では「そのみ名のあがむべきことを語りつげよ」となっている。フランシスコ会訳、新改訳では「その名が崇められていることを告げよ」。主の祈りでは「御名が崇められますように」(聖公会・カトリックでは「御名が聖とされますように」)。
「気高い御名」、なかなか含蓄のある表現である。中学3年の道徳の教科書に「人間の強さと気高さ、生きる喜び」という項目があるらしい。
「気高い御名」、なかなか含蓄のある表現である。気高さを英訳すると「nobleness, nobility, grandeur, magnanimousness 」。日本人である私にとって「気高い」といえば、富士山を想像する。

コメント1件シェア1件
25 播 稔さん、小貫 ツマさん、他23人

10 小貫 ツマさん、Izumi Naraさん、他8人

文屋 善明
5月26日 8:35 ·
今日の名言:@tsuredure_bot1
四季は決まった順番でやって来るが、死期はそうではない。死は自分の前に立って、見えているわけではないので、前もって予見したり準備したりはできない。死は、後ろから迫ってくるのである。(吉田兼好「徒然草」第155段)
<一言>こういう句が目に止まるとはどういうことか、ということはさておき、真理は単純である。この部分、原文ではこうなっている。「四季なほ定まれるについであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり」。

29 金井 由嗣さん、鎌野 健一さん、他27人
コメント

清水 行雄 徒然草、あまりに名文で現代語訳するのが、もったいないです。

文屋 善明 この段の最後の一句は、もっと凄い。<沖の干潟(ひかた)遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。>

門叶 国泰 「遙か」でもない、となると。

文屋 善明
5月26日 8:47 ·
現代文イミタチオ・クリスチ
第42章 最後まで戦う者(B)
キリスト:
愛する者よ、火が燃えるときは焔と煙が上に昇る。同じように君の祈りも、燃え上がるときは、その祈りはこの地の誘惑から離れて上に向かって燃える。だから君がこの世に縛られている限り、いくら熱心そうに見えても、それは純粋な祈りではない。君の祈りあその程度のものじゃないかな。自己中心的な祈りで純粋完璧なものはあり得ない。
君にとって都合の良いことを願わず、私の意に適い、私の栄光に役立つことを求めなさい。君の判断が正しければ、君は君自身の願いや君が求めているものにまさって、私の指図を喜ぶはずである。私は君の願いと嘆きとを確かに聞いた。君は神の子たちの光栄ある自由を求め、永遠の住まいを願い、私の父の国とを求めている。しかし、その時はまだ来ていない。今はまさその時ではなく、戦いと労苦と試練との時なのである。 (2:42:4~10)

24 小貫 ツマさん、福澤浩子さん、他22人

文屋 善明
5月26日 9:23 ·
「昨日のFB 05/23」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 文屋 知明さん、久保和男さん、他9人

文屋 善明
5月26日 9:45 ·
「昨日のFB 05/24」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

9 文屋 知明さん、小貫 ツマさん、他7人

文屋 善明
5月26日 10:25 ·
「断想:復活節第7主日の旧約聖書(2017.5.28)」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

9 望月 克仁さん、久保和男さん、他7人

文屋 善明
5月26日 16:57 ·
今日の宇良の対戦相手は元気な勢、ああーあ、宇良が転がされた。これが宇良の弱点。10勝3敗。

13 望月 克仁さん、佐藤 静代さん、他11人
コメント

加藤 佑三 10勝もしただけで痛快、大男を負かすのが醍醐味じゃないですか。まさか大関・横綱まで応援しますか?

文屋 善明 もちろん、宇良が横綱になるときには、化粧まわしの一部を寄付したいと思って貯金を始めました。

加藤 佑三 凄いですねぇ-。

鎌野 健一 あと1勝はしてほしいですね。
文屋 善明 そうですね。でも、あまり早く上に上がるのは、良いことではありません。身体と技とを少しづつ身につけながら上に上がるのが良いですね。

文屋 善明さんが気になることを動画で伝えるさんの動画をシェアしました。
5月26日 17:48 ·
前川さんの部下、寺脇さんが語る、前川氏
https://www.facebook.com/yoshiaki.bunya

再生
-15:15
その他の視覚設定[再生&スクロール]モードで見るフルスクリーン表示 ミュートを解除
再生16,588回
気になることを動画で伝えるさんが動画を追加しました。いいね!
5月26日 13:46 ·
「地位に恋々としがみつき・・・怪文書みたい」と
菅官房長官による前川元次官への猛烈批判のお粗末
寺脇研元文部省官僚が語る「事務次官とは?そして前川事務次官のすごさ」
5/26羽鳥慎モーニングショーより抜粋
以下のリンクからも視聴できます
http://www.dailymotion.com/video/x5nvoy3

14 久保和男さん、望月 克仁さん、他12人

文屋 善明
5月26日 22:15 ·
ここで紹介されたのでした。これで喉に刺さった骨がやっととれました。

Mizota Michael Satoshiさんがグループ「『「福音書」解読』分科会/キリスト教社会工学研究機構」でリンクをシェアしました。
5月20日 17:22 ·
東大の清水哲郎先生から『パウロの言語哲学』を随分前にご恵贈いただいていたのでようやく読みました。深い洞察だなあと思いました。現在の分析哲学者と結びつけて議論が深まればよかったのではないか(いやそれが今後の課題かもしれない)と思った次第です。
聖書を読むときに「疑ってはならない」という固定観念で読む人がいますが、「何を疑ってはならないのか」を明確にし、「何を疑わなければならないのか」をきちんと分けて考えておきたいと思います。

以下は、清水先生の本のようです。

>>たくさんのふしぎは小学2年の時、学級文庫にあったのでよく読みました。河童の話やシャボン玉の話も好きでしたが、
一番印象に残っているのが、この「うたがいのつかいみち」です。何回も読んで、深く考えさせられました。はじめて哲学にふれて(その時は哲学という言葉を知りませんでしたが)
「こんなふうに考えればいいのか」と思ったのをを覚えています。今大学生ですが、最近ふと思い出して、もう一度読みたい。手元に置いておきたい。と思い購入しました。絵も含めて、私の大好きな本です。


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