ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

誰が裁判員に選ばれるのか

2008-12-10 15:28:26 | ときのまにまに
わたしはすでに70歳を越えているので、選ばれる心配はない。だから裁判員制度が「平成の赤紙」と呼ばれようと、安心している。ところが、家内はまだ70歳になっていないので心配である。そのことを家内に言うと、「わたしは選ばれても行かない」、という。わたし、そういうわけには行かないだろう、と追い打ちをかけると、家内はあっさりと「罰金を払えばいいのでしょう」と答える。「あぁ、その手もあるのか」。
そこから、いろいろと疑問が湧いてくる。「平成の赤紙」とは言え、あるいは「裁判員制度は徴兵制である」と言っても、それを拒否したからといって、投獄されたり、死刑になることはないであろうが、罰金は覚悟しなければならない。ということは、その場合、裁判員拒否罪という「前科」になるのだろうか。それでも「仕方がない」とは思う。それなら、選ばれたと言うことは、とんでもない「とばっちり、不運」と諦めなければならないのか。ということは、それは重大な不公平である。
何か変な話だ。それならいっそうのこと、日本に住むすべての人(年齢による制限は生かす)に裁判員になるかどうかを聞き、拒否する意志が明白な人には「罰金」を先取りして、免除する制度を設ければいい。逆の「定額給付金」と思えばいい。
ところがである。初めから裁判員になれない「特権階級」の人たちがいる。これは「ずるい」。先ず国会議員、都道府県や市町村等の長、一定の行政機関の職員、すべての法曹関係者など、彼らは「特権階級」なのである。要するに、天下の悪法裁判員制度は、この深刻な事態から完全に「安全地帯」にいる人たちが、寄って集って制定したのである。
ついでに、もう少し「誰が選ばれないか」ということを考えると、面白い条文がある。裁判所が「不公平な裁判をする恐れがある」と認めた人たちも裁判員になれない(裁判員法第18条)。この条文は、それ以前に述べられているすべての条文を無意味化する威力がある。どれほど、裁判員になる条件が整っていても、この条文一つで、裁判員になりたくてもなれない。裏から言うと、裁判員にならなくて済む。
問題は、それをだれが判断するのか、ということである。裁判所は、その事件を「裁判員による裁判にするか否か」、あるいは「誰を裁判員にするか」も、すべて決める権限を持っている。一応、思想的な問題や、「前科」の問題は横に置くとして、面白い失礼がある。
イギリスの裁判で陪審員の一人が「被告人の星座占いをしたいので、誕生日を教えてくれ」と要求したことが原因で、陪審員を解任されたという。これは、なかなか参考になる。こういう手もあるのか。「星座占い」も憲法によって保障されている思想信仰の一つである。なんでも、よく勉強しておくと役に立つ。

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