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ぶんやさんの記録

松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(04)<5:1~6:71>

2015-06-20 06:48:23 | 松村克己関係

松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(04)<5:1~6:71>

第5章

前段に続いて、舞台は再びエルサレムに移るが、病者の治癒の物語がもう一度語られる。それが安息日に当たっていたので、ユダヤ人たちは騒ぎ出した。ユダヤ人たちからの詰問に対する答えという形で、イエスは自分自身の使命を語り、読者に訴える。物語はこの説教を引き出すための糸口である。これがイエスとユダヤ人との間で公開の場でなされた第1の論争である。

1.ベテスダの池の辺り (1~9)

祭には多くの人々がエルサレムに集まるのでイエスの活動の舞台になる。この祭が過越の祭りとすれば、2:13と6:4と合わせてイエスの活動期間に少なくとも3回の過越の祭りがあったことになる。7:2には仮庵(かりいお)の祭りに言及されており、5章と6章との順序は逆になっていると見る人もいる(モファット等)が、そうするとこの祭は過越と仮庵の間にくるペンテコステの祭りであろうとも考えられる。しかし既に述べたようにヨハネ福音書の特徴として正確な時を算定することには無理がある。ヨハネ福音書はそういう点をほとんど無視して筆を進めている。
「羊門」とか「ベテスダの池」というような地名についての説明はここでは省略する。註(1)
慢性の病に悩む、絶望的なしかし諦め切れない人々の姿がここに描き出されている。イエスの憐れみの眼にとまったのは「38年病に悩む人」であった。「38」という数字になんらかの意味を考えると、それはイスラエルの民が約束の地を目指してカデシの荒野を放浪した年数であり、またユダヤ人の神学の中には彼らは38世紀の間メシヤを待つという思想があるとも言われている。「5つの廊」の5にモーセの5書を見、律法が悩む人々の避難所ではありえても、最終的には医されないということを描いていると見る人もいる。
イエスは多くの病者の中でとくに1人の人に目をとめ、「なおりたいのか」と声を掛けられた。イエスによる病気治癒においてはこの種の問いがしばしばなされる。それは相手の中に求めの切実さを自覚させ、神への祈りを促し、何を求めているのか、そうして欲しいのかと言うことをはっきりさせるためであると思われる。病人の答は、自分自身の不運を嘆き訴えて、すがりつくような弱さが見られるが、イエスの眼は彼に注がれたままで、祈りの呼吸の熟して発せられる時を待つ。イエスの言葉は彼の心を振るわせたに違いない。その瞬間、「起きろ! さあ床を払って歩くんだ!」弾かれたようにその声に応じて病人は立って歩んだ、癒ったのである、「すぐに」。

著者註:
(1) 「羊の門」の名はネヘミヤ3:1、32節、12:39に見え、神殿北側、東寄りの門である。今日「ステパノの門」とよばれるものの位置にあったと考えられ、ゼカリヤ14:10のベニヤミンの門と同一視する人もある。名の起源についてはこの付近に羊の市場があったからという説、東部から来る犠牲用の羊がこの門から入って来たからという説などがある。「ベテスダの池」の遺跡は確かめられていないが、エルサレム北方にある間歇泉「処女の泉」ではないかと考えられている。ここからシロアムの池まで水路が地下を通って導かれている。この名の読み方については写本によって異同があり、その差によって意義も「憐れみの家」「発出の家」「オリブの家」などとなる。

2.ユダヤ人の詰問、攻撃 (10~18)

ヨハネ福音書はイエスの敵をすべて「ユダヤ人」という名で総称しているが、この場合サンヘドリンの議員、律法学者(ラビ)、パリサイ派の人、サドカイ派の人などが考えられている。律法は安息日に物を運ぶことを禁じている(民数15:32以下、エレミヤ17:15)。彼らは先ず癒された病人が床を運ぶのを見て詰問した。彼は当惑しつつも、これを命じた人がいると告げた。ユダヤ人の攻撃はそこでイエスに向けられ、安息日違反の罪はむしろ彼にあると。イエスの答は非常に明解であった。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」と。病人を癒したのは本当はイエスの力ではない、父(神)の恵みの働きに他ならない。律法は神の人間への呼びかけであって、人間は律法の下に立つが神は律法に縛られない。実際に安息日に病人が癒されたという事実は、神が安息日にも働いておられるという証拠ではないか。父の働いておられるなら、子もまた働くは当然である。人間が律法を重んじるのはそれが神の律法であるからで、律法が神を仰ぐのを妨げたげたり、躓きとなってはならない。律法を通して律法の主(神)が仰がれねばならないのであって、律法の個々の条文ではなく、この主のこころ、意志こそ人間の行為の基準でなければならない(マタイ5:48)。この確信とそれに基づく神への従順ということから考えると、「安息日は人のためあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は安息日にもまた主なのである」(マルコ2:27)という権威ある言葉が語れた。
この物語は、救い主は新しい生命の付与者であり、古い律法の拘束から悩める人々を解放するという真理を示すものである。しかしユダヤ人たちはこの恵みの事実に眼を開かれず、いな眼を蔽うて安息日を破ることのみを問題とする。そしてイエスの答を「神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいもの」とし、神に対するとんでもない冒涜だと考え、イエスを死に当たるものとして「イエスを殺そうと計るようになった」。共観福音書と違ってヨハネ福音書ではイエスの活動の当初からユダヤ人の敵意と殺意とは一貫して彼に向けられていたことを示している。

14節
注意すべきことは、イエスが癒された病人と出会い、その病気が癒されたことの意味(神の恵み)を確認し、これからの生き方について述べられていることである。「その人に出会ったので」という言葉は「見つけ出して」とも訳される。1:43、9:35にも見られるように、ある目的をもって探して会うという意味である。「宮で」とは律法の規定に従って、感謝の供え物を携えて来たところと思われる。
「もう罪を犯してはいけない」、癒された人々に向かってイエスは何回か同じ言葉を述べている。病は罪の結果であり、癒しは許しの証拠である。このことが確実に自覚されなければ、いいことをして幸せだったというだけで癒しはその人(魂)の救いの機会にならない。そうでないと、かえって神をなめてしまい、恵みに慣れて救いから遠ざかって罪に近付くという結果となる。救いに至るためには実際に自分に起こった出来事を正しく受け止め、その恵みに相応しい悔改めに基づいて救への道を確保しなくてはならない。イエスのこの追求と確認と警告こそ伝道者が守るべき重要な課題である。

3.イエスの反撃と神の子たるの証 (19~47)

19節
ユダヤ人の眼にはイエスは自分を神と等し者とする(18節)不届者・冒涜者と映るのであるが、これは彼らが神を知らない、その「み声を聞いたこともない」(37節)からである。いや、むしろ神を知ろうとしない、その声を聞こうともしないからである。イエスにおいては「自分からは何事もすることができない」(19,30節)「父のなさることを見て」(19節)、その通りにするのである。この両者の食い違いに悲劇の原因があり、その間の緊張を明らかにしようとするのが、ヨハネ福音書の一つの目的である。
そしてイエスの行為と言葉とを上に述べたような意識において解釈すると、それが彼の信仰の告白であり、この服従と従順こそ神の子であることの証しである。著者はここにイエスの人格の独自性を見、彼の事実、その言行のいわば神学的基礎を明らかにしようとする。「することができない」とは人格的思い(感懐)における内的精神的必然性を示している。その根拠は父の子に対する「愛」であり、愛に基づく不断の交通・交わりである。「父は子を愛して」いるからこそ、「みずからなさること」を「すべて子にお示しになる」のである。この絶対無比な人格的共同の深さが人々を更に驚かせる。「それによって、(人々が更に)不思議に思うためである」(20節)。イエスが病気の人、罪人を求めて、彼らを医し活かそうとなさるのは、父がそれをするからである。「そのこころにかなう人々」(21節)とは、選んだ人々という意味である。ちょうど、ベテスダの池で、多くの人々の中から38年間病に悩んでいる人を選んだように。神の恵みは現実には常に選びという形で現われる。その意味では、恵みという現実は、審判という現実も伴っている。
神の慈愛(なさけ)と峻厳(きびしさ)とが同時に見られる。そして峻厳さは不信によって折られ、倒れた者に、慈愛は信仰によって立ち、慈愛に留まる者にある(ロマ11:20,22)。子に対して人々はどのような態度・決定をするのか、それが信と不信との分かれ目で、それによってその人の生か死かという運命が決定される。人を活かし世を救うために神の子イエスは世に来たのであるが(3:16以下)、彼が世に来た結果は彼に聞き従い、信じる者と、これを拒んで信じない者とに2分されてしまう。それが裁きである。従って、父の裁きとは現実的には「父はだれをもさばかない」(22節)のであり、その裁きは「子にゆだねられた」と言わなくてはならない。その意味では子としてのイエスと父としての神とは一体の関係にある(23節)。この関係を見ることが出来るか、どうかが救いのかなめである。イエスの言葉を聞いて、イエスと神との一体性を信じる者には永遠の生命が与えられ、裁かれることなく、「死から命へ移っている」(24節)のである。そのことが今既にここに実現している。この命こそ父がご自身の中に持っている命であり、父はその命をもつ権利を子にもお与えになった。この命とは「さばきを行う権威」である。

28節
子としてのイエスに裁きの権威が与えられているということは驚くことではない。「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を」聞くときが来る。その時には、善を行った人々は、生命を受けるために、悪を行った人々は裁きを受けるために甦る。

30節
神の子として世に来たイエスの地上における存在とその言葉とが、世の終わりにおける救いと審判とを現在のこととした点が、ヨハネ福音書の特色ある思想の一つである。しかもこれはイエスが自分自身の意図や意志によって行うのではなく、ただ父なる神の意志を求め、それに聞き従うことによる結果である。
イエスはこのこと語るが、自己証言のみでは不十分であるかも知れないとして、「他」にも証しするものがあることを指示する。それは洗礼者ヨハネ(1:19~34、3:27~36)と、神によりて行なわれたイエスの業(36節以下)とである。そしてその「あかしがほんとうであること」(32節)ことを更に自らの良心に照らして証言する。ヨハネは神よりの「燃えて輝くあかり」(35節)として活躍し、しばらくの間、暗黒の谷に住む人々を照らし、人々の知らぬ罪を明らかにして悔い改めを教えた。しかしユダヤ人たちは単なる興味半分で彼を見、自分の心を満足させようとしただけで、真剣に悔い改め、自分自身の責任について考えようとはしなかった。彼らのこの態度は「もっと力あるあかし」、つまり「父がわたしの成就させようとしてお与えになったわざ」(36節)を見ても、それが「父がわたしをつかわされたこと」のあかしであることを理解しない。第3に最大の証人として神御自身が挙げられている。
彼らが「聖書の中に永遠の生命があると思って調べている」ことは正しい。しかし聖書の言葉そのものが生命なのではなく、聖書の言葉は生命あるものを指し示し、生きる道を示すものである。それが指し示している命とはわたしのことであるが、わたしのところに来ようともしない(40節)。
論語読みの論語知らずで、彼ら律法学者たちやパリサイ派の人々がいくら聖書を一所懸命読んでもその生命に到達できない。それは彼らの「うちに神を愛する愛がない」からである。もし神を大切に思いそのみ心を絶えず思う者であるならば、たとえ偽物であるにしても少なくとも「神の名によりて来た者」に注意を払わず、これを無視することはないだろう。彼らが「彼」に耳を傾けず、受けいれないのは、彼が「人からのの誉れを受けることをしない」で(41節)、ひたすらに「ただひとりの神からの誉れを求め」ているからである。だから「もし、ほかの人が、彼自身の名によって」くれば、彼を受け入れるであろう。なぜなら、彼とあなた方とは同類だからである。神を愛し神を信じる者は他者に眼を注ぐが、自己中心的な人間は互いに何も信じることができず、命から遠ざかる。まさに生命とは互いの交わり、愛と共同の以外の何ものでもない。「わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない」。イエスがユダヤ人に対して非難・弾劾するのは決して悪意からでるものではなく、信仰を訴えるためのもう一つの道である。
もしもここにあなたがたを訴える者がいるとしたら、それは「あなたがたが頼みとしているモーセその人である」(45節)。ここでももう一度聖書の証言に立ち帰り、モーセの権威に訴えて、彼らの信仰の反省を促す。聖書を鏡として現実の在りのままの姿を凝視すること、両者を謙虚に睨み合わしてそこに神の活ける言葉を聞き取ろうする道は昔も今も変わりなく真理への道に至る。「もしモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう」(46節)。モーセは、わたしについて書いたのである。ここには初代教会の律法観・聖書観が明瞭に言い表わされている。 

第6章

イエスの活動の舞台は、エルサレムからガリラヤ湖畔にと転ずる。ここでは5000人の給食(3~14)と水上歩行(16~21)という2つの奇跡、自然界に対して能力を示すイエスの姿が描かれ、これを切っ掛けにして再びイエスの人格に対する問いが持ち出される。イエスとガリラヤ人との論争という形でイエスが天より下った「生命のパン」であることが語られる(25~35)。5000人の給食という事件がこの視点から検討され、イエスの言葉という形でガリラヤ人の不信が批判され(36~51)、同時に聖餐の意義を教えている(52~58)。この事件の後、イエスは人々を避けて弟子たちを伴って北方への旅に出ることになるが、共観福音書が何れも不問に付しているその理由をヨハネ福音書は明示している。
一つは、この事件が人々を熱狂させてイエスをキリストとして擁立しようとする気配を察して退いたこと(15)、もう一つはイエスが逃げたことによって失望し、人々の心がイエスを離れたからである。それら根本原因は、イエスが「生命のパン」であるというを主張を人々が理解出来なかったからである。ガリラヤ伝道の終結を印象づけるこの事件は、イエスの公での伝道の頂点であって、ここからイエスの行動は主として弟子たちの教育へと没頭し、使命の果てにあるエルサレムへの歩みを考えることとに集中される。
これはイエスの公生涯における危機であり、分水嶺であった。共観福音書が示しているカイザリヤ・ピリポへの途上における弟子たちのイエスへの告白(マルコ8:27以下、マタイ16:13以下)と苦難の予告とをヨハネ福音書は異なる形で記している(66以下、ルカ9:18以下参照)。
事件の順序を気にする必要はないが、4章と5章の間に6章を置き、7章15節から24節を5章の終わりに置いて読むと言う読み方(マックグレゴール)は確かになだらかな感じを与える。ヨハネ福音書における錯簡の問題は、興味あるものではあるが今は割愛する。

1.5000人の給食 (1~15)
1節
「ガリラヤの海」は即ち「テベリヤの海」と註されているが、これもヨハネ福音書が比較的後の成立にかかることを証示する。カペナウムよりずっと南の西岸にテベリヤという町があるが、これはヘロデ・アンテパスが皇帝ティベリウスの名を付して建てた町で、イエス当時にはまだそう盛んな町ではなかった。この町が繁栄すると共に湖はギリシア人の間ではその名で呼ばれるようになり、2世紀の文献には既にそれが見られるという(ストラボー、プリニウス、ヨセフス等)。なおこの湖は旧約時代にはキンネレテの湖と呼ばれていた(ヨシュア12:3)。またの名を「ゲネサレ」とも言う(マルコ6:52)。
「向こう岸」へイエスが行ったのは共観福音書によれば群衆を避けて休息をとるためであった。東岸には台地が連なり、湖岸に迫り町は少ない。「山に登り」という山もそうした丘陵の一つであろう。「時」を示す註として「過越が間近に」とあるが、ヨハネ福音書の手法からすれば、むしろこの事件の霊的意味を理解させようとする手がかりを与える目的でこの語句が記されたかとも考えられる。叙述の背景には共観福音書における最後の晩餐の記事と通じるものを感じさせるからである。「生命のパン」として人々のために裂かれ食べられることを求めているイエスは、次の祭りに代わるものをここで与えようとしているのではないだろうか。そのことに人々の眼を開こうとしている(1コリント5:7参照)ように思われる。

6節
ここではイエスは最初から奇跡を行なうことを意図し「ご自分ではしようとしていることを、よくご承知であった」(6節)が、弟子たちを「ためそうとして」語られたのである。共観福音書によれば、「飼う者のない羊のような」群衆を憐れんで、疲れを忘れて教え、語りつつ、夕方になり、弟子たちに促されて人々の空腹のことを心配し、一行の当座の用意に持参した弁当を疲労の色の著しく見えている人々に配ろうとして群衆を整理し、座ることを弟子たちに命ぜられたようである。「デナリ」はロマの小銀貨で当時畑に日雇いとして働く人々の受ける1日分の給与であったという。だから「200デナリ」のパンでも当然5000食には足らない。「5つのパン」「2ひきの魚」「5000人」「12のかご」などの数字は、みなユダヤ人にとってはそれぞれ象徴的な意味を持った数である。
食料を持ってきたものが「子供」と訳されているがこれは不適当で恐らく「若者」と訳すべきである(バウアー)。初代教会で聖餐式の際に奉仕した補助者を示す型として持ち出されたのであるかも知れない。「パンを取り、感謝して」というセリフは聖餐式の用語であって、「感謝して」は感謝と祝福とを意味するが、この用語は共観福音書とは異なる語「聖餐」(ユウカリステー)の起源となった語である(1コリント11:24でも「感謝して」と訳されている)。なおここで裂かれたパンは「大麦のパン」であるがこれは貧しい人々の食べものである。旧約聖書にも預言者エリシヤが自らのところに持ってきた20の大麦のパンで100人の人々を満腹にしたという記事がある(王下4:42以下参照)。粗悪な大麦のパンは過越の祭りの種なしのパンを象徴的に示すものでもあろう。人々の食い飽いた後イエスは「少しでもむだにならないように集めなさい」と弟子たちに命じられた。この句はヨハネ福音書だけが記録している。聖餐式で用いられたパンの神聖さを示し、これを粗末にしないようにと教えたもの、また神から賜ったものの1つも失われないように(39節)との教訓が含まれている。キリストによって救われた信者は生きたパンを食してキリストの体(教会)に与り、自らもまた生きたパンの一部となったのであるから粗末にされてはならない(ホスキンス)。「12のかご」は12人の弟子が1つづつ持っていたバスケットと考えられる。群衆はこの出来事に驚きこれをしるしと見て(この間の事情は拙著「イエス」にやや詳細に説かれている)イエスを「世に来るべき預言者」メシヤであるとした。群衆にとってキリストは政治的権力を超自然的な仕方で保持している革命的救済者である。彼らはイエスを無理やりに(「とらえて」という単語にはこの意味が含まれている)、王位につけようと迫る。イエスはキリストであることを否定はしないがピラトの前で「わたしの国はこの世のものではない」(18:36)と宣言されたように、キリスト観の混乱によって天からの使命が歪められることを恐れ、「ただひとり、山に退かれた」。荒野での誘惑の記事(マタイ4章)を想起させる場面である。

2.海上を歩むイエス (16~21)

この物語が5000人給食の物語に続いて記されているところは、共観福音書と同じである(マタイ14:22以下、マルコ6:45以下)。ヨハネ福音書はこれらの物語を読者が既に知っていることを前提にして、それに簡単に触れつつその出来事がどういう意味を持っているのかという点に読者の意識を向けさせる。
群衆を避けて――共観福音書ではは「祈るために」と記している――ひとり山に登ったイエスを弟子たちは港で待っていたが、遅くなったので定められたところ「カペナウムに」向かって舟を漕ぎだした。そこでで出会うに違いないと思ったからであろう。風が出て舟は難航し目的地の方向さえ分からなくなり、不安の頂点に達していた。そのとき、あたかもイエスの方から彼らを求め、尋ねているかのように「海の上を歩いて舟に近づいてこられる」のを彼らは「見た」。「海上を歩くのを見た」という表現は3福音書とも同じであるが、「上を」(エピ)の語は「ほとりを」と訳することも出来、「見る」は「思う」と同字意味の単語である。もちろん福音書ではこの事件を奇跡であるとして物語っているのであるが、イエスが歩いていたのは湖の辺りではなく、水の上であることを言おうとしていることは否定出来ないと思うが、この物語が口伝として伝えられ始めた当初において、どちらの意味であったかは疑問である。また21節の「喜んでイエスを舟に迎えようとした」は、正確ではなく行きすぎた訳であって、彼らがイエスを舟に迎えようとするやいなや、すぐに舟は目的地に着いていた、と記されている。20節の、この物語で人々の注意を惹く中心点は、イエスの言葉「わたしだ(エゴー・エイミ)」である。この言葉はヨハネ福音書の中でしばしば用いられ神秘的な響きをもって読者に迫る言葉である(4:26節参照)。それは旧約聖書の伝統を背後に控えているからである。見失った師イエスを思わぬところで、しかも困窮の中で見出だした歓びを語るこの物語はイエスの神的性質を遍在として示そうとする。それは当時、主は聖餐の中にのみ在すという誇張された極端な主張を眼中においてキリストの遍在を教えようとしたものなのかも知れない。嵐の中に悩む教会を助け慰める主という解釈・思想は早くから教会に見出だされる。

3.「生命のパン」の説教 (22~59)

翌日、イエスを追いかけてきた人々はカペナウムで彼を見つけると、「逃げた」イエスに詰問するように「先生、何時ここにおいでになったのですか」と質問した。ここからイエスの彼らに対する伝道がはじまる。イエスは自分自身の行為を「神の国」の「しるし」として受けとって貰いたいと思っている。そのことを通して、神が現実に働いて居られるということが感じ取られたら、彼が派遣された使命は達成される。
そうすれば人々は彼と共に近づきつつある神の国に相応しく生きようとするであろう。それが彼の求める信仰であり、彼を信じることの意味に他ならない。しかし人々はイエスが行っていることを「しるし」とは見ようとしない。いま彼を追いかけてきたのも、追い求めて来たのは「パンを食べて満足したから」である。彼らは自分たちの尾ナックがふくれ、欲望が満たされることだけに興味を持ち、熱心なだけで、そのことが示すことに眼を向けようとしない。もちろんわたしたちは肉体を持っているのであるから、「朽ちる食物」で日々の必要に備えることも必要なことである。だからこそ、イエスも腹を空かせている人々を憐れみ、病気の人々を癒し、日毎の糧の心配をしておられるのである。彼の「身体」や「朽つる糧」への配慮は更にそれを超えてより大切なもの、第一義的なもの「永遠の生命」を得させるためである。「働け」とは、自分のものにせよという意味である。そしてイエスは自分の使命はこれを彼らに「与える」ことにあることを証しする。「父なる神」はイエスの行為ににおいて、彼にこの使命を与えたことを証しておられる。
そこで、神の業を自分のものとするためにはどうしたらよいかという問いが促される。「神の業を行なうため」は適当な訳とは言えない。「神の業」をわたしたちが「行なう」のではなく、神の業、神の行動、つまり神の意志を受けこれを自分のものにする。こうなるためにはどうしたらよいかというのである。それは「神がつかわされた者を信じる」(29節)ことであり、その他にはないとイエスは答える。人々は再び信仰の根拠となるべき超自然的な出来事、奇跡を要求する。先祖たちが出エジプトの後、荒野で不思議な食物マナをモーセによって天から与えられて食べたと伝えられているが(ネヘミヤ9:15、出エジプト16:4、詩篇78:24参照)、「(あなたは)どんなしるしを行ってくださいますか」と言う。メシヤはモーセと比べらると、それ以上のものと考えられているので、メシヤにはマナの奇跡以上のものが期待されるわけである。いわゆる「天からのしるし」(マルコ8:11)である。「しるし」という同じ言葉がつかわれているが、その理解においてイエスと人々との間には微妙でしかし雲泥の差があることを見逃してはならない。問題はしるしとは何か、何がしるしなのかということではなく、しるしを見る目、聞き分ける耳の問題である。
イエスが求めた信仰とはこのことに他ならぬ。そこで彼はモーセの与え、食べさせたマナは「天よりのパン」ではないと言う。しかもこれを与えたのはモーセではなく「わたしの父」である。マナは「天からの真のパン」の予型でありシンボルにすぎない。本当の「天からのパン」は「天から下ってきて、この世に命を与えるもの」である。そして「わたしがその生命のパン」であると明言する。
奇跡は過去のことではなく、今ここに最大の奇跡がある。問題はここに人々が来るか来ないか、信じるか信じないか、である。ここに来て、これを信じる人は「飢えることなく」「渇くことがなく」、「永遠の生命を得る」(47節、54節)。荒野においてマナを食べた先祖たち皆死んだ。つまりあれは「天からのパン」、「真のパン」ではなかったということである。
「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」と要求した人々に対してイエスは、「わたしが命のパンである(エゴー・エイミ)」(35節、48節)と答えた。生命は物質にあるのではなく「信ずる」ということ、イエスとの人格的な共同・愛にある。「わたしが~~である」と言われる「生命のパン」は「天から下ってきた」のであって、彼の「(わたしの)肉を食べ、(わたしの)血を飲む」者は、「わたしにおり、わたしもまたその人におる」(55節)という愛の相互的な人格的共同が実現し、「永遠の生命があり」(54節)、「いつまでも生きるであろう」(58節)という真理を知ることが出来る。
イエスが「命のパン」と言われる根拠は彼が「父によって生きている」(ことであり、「わたしを食べる者もわたしによって生きる」(57節)という事実にある。
「わたしの肉を食べる」とか「わたしの血を飲む」という表現は言う迄もなく聖餐のサクラメントを指している。ヨハネはパウロのようにこのサクラメントを苦難と結合せずに、パンの奇跡と結び付けて説いている。これは2世紀初期の教会の考え方を反映していることは当時のカタコンベに残っている壁に刻みつけた絵や、断片として残っている文書からも推定することが出来る。聖餐式はこのような言葉と共に守られ、キリストとの交わりを深め生命の経験を堅くしようとして守られたことが窺われる。タウロボリウムと称して神に献げられた牛を殺してその血を飲み、その肉を食うことによって神の生命に与ると信じられた当時の異教世界によく知られていた儀式がキリスト教の聖餐式と比べられるが、ヨハネはこのような物質に生命を認めないで、むしろ言葉と結合した物質、聖餐のパンと葡萄酒とに、即ち信仰をもって受領されるこのような儀式の重要さを強調する。ヨハネ福音書における霊的とはこのような性格のものである。「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」という質問は当時のユダヤ人たちのサクラメントに対する疑問が表明されていると見てよい。

ここには異なる動機と異なる場面とに発するいろいろな説話が混在していることは一寸注意して読めばすぐに気付くことである。少なくとも海辺でガリラヤの群衆に語ったことと(22節、25節)、カペナウムの会堂でユダヤ人に語ったもの(41節、52節、59節)とは異なった場面である。
36節から46節は挿入部であろう。「あなたがたはわたしを見たのに信じようとしない」(36節)という言葉はかなり強い批判の言葉である。しるしを求めるユダヤ人に対してイエスは預言者ヨナの他にしるしは与えられないと答えた(マタイ16:1以下)。イエス自身がしるしである。イエスをしるしと見ることによって初めて彼の言葉と行為に眼が開かれる。人々は彼を「見て」しかも「信じない」。これは救いがたい不信である。ここには痛烈な皮肉が含まれている。ヨハネ福音書では「見る」と「信じる」とは同意に用いられるのが普通であるが、ここでは区別され対立として用いられている。イエスは「わたしに来る者を決して拒みはしない」、なぜなら「父がわたしに与えて下さる者」として大切にし、「一人も失わず」に「(父の)みこころを行うため」であるという。
イエスを見てもなお信じない不信の原因は、知的な懐疑にあるのではなく、神の呼びかけに耳を傾けず、傾けようとしないところにある。「あなたの子らはみな主から教えを受ける」(イザヤ54:13、その他略)と約束された時が既に来ているのだから。神に教えられるというのは知識(グノーシス)を誇る一派の人々の説くように、直接に神を見るということではない。「神を見たものはない」。もし見た者がいるとしたら、それは「神から出た者」であり、神を「わたしの父」と呼べる者だけである。わたしたちは神の声を聞くことが出来るだけである。そこで聞いたことをに従ってイエスのもとに来る者がイエスにおいて永遠の命が与えられ、「終わりの日によみがえされる」とは、編者の言葉であり註であろう。

4.弟子たちの動揺と信仰告白 (60~71)

「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」という言葉が「弟子たちの中おおくの者」から出たという記述は注目に価する。群衆がわからないのは当然だとしても、弟子たちの中にもイエスが天から下った命のパンであるという主張には、多くの不可解なものを感じたと言う。宗教というものには必ず、理解出来ないこと、秘儀とか神秘とかいうものが伴う。それがなければ宗教は哲学に解消されるだろうし、習俗でこと足りることとなる。
サクラメントはこのような秘儀である。だから弟子たちのうちでもまた教会の中でも「躓き」があることは不思議ではない。同時にこの秘儀をわがものとすることなしには生命は現実の経験とはならない。「ひどい言葉」とは、受容困難な言葉、固くて噛めない、消化できない言葉という意味である。宗教が人々の常識に訴えあるいは一般よりも少々高い道徳性や感情に訴える程度の間は、そこに多くの共鳴者を見出だすことは難しくはない。しかし宗教が本来のものを打ち出してくるとき、それが真理の高さと深さとをはっきりと打ち出してくると、疑問、迷惑さを感じ、失望して去って行く者が多くなる。イエスの場合もそうであった。「それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった」(66節)と。この危機を経て、ふりにかけられて残った者が彼と運命を共にする中核体を形造ることとなる。
イエスが何者であるかはその言葉と行為とにおいて次第に明らかになってくる。「躓き」とは彼と共に歩もうとする者が、その間に隔たりを感じて歩調が合わなくなった時に起こる。躓くことは2つの場合を生む。躓いて倒れるか、躓いて倒れる代わりに飛躍して遥か先で立ち直るかである。だから後者の意味では「躓き」なしに信仰の確立はないとも言える。前者の意味でのみ躓きは不幸である。イエスはいま躓いて倒れようとする弟子たちに向かってより大きな躓き(困難)が来ることを予告して彼らの信仰の動揺を叱り励ましているようである。「もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか」(62節)。今は彼の言葉が理解出来ないと言って呟くのであるが、苦難と十字架を目の前にした時、それまでに彼らが経験している甘い信仰、自己陶酔で満足しているだけの信仰が強く揺さぶられる時が来る。その時彼らはどうするのだろうか。「上る」という言葉は「挙げらる」と同じように勝利・栄光を意味すると同時に十字架と死を指し示すのがヨハネ福音書の特色ある用法である。従って「もし人の子が前にいた所に上るのをみたら」とは、文字通りに復活・昇天を意味するのであろうが、その時には今の謎のような言葉がわかるだろうというよりは、もう少し含みのある言葉であるように思われる。
 
63節
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない」という言葉もヨハネ福音書の特色ある思想の1つである。これは一見、53節から56節と矛盾するように思われるが――このような例は1ヨハネ3:9と、1:8との間にも見出だされる――これを矛盾と受けとる考え方が「肉」つまり人間的な常識の立場で「霊」つまり信仰的現実の立場に立てば2つのものが何れも真実として生命の経験を組み立てるものであることがわかる。霊と肉とを精神と身体として2元的に考えるのは、ギリシヤの根本思想である。しるしを求めるユダヤ人は現実主義に立ち、知慧を求めるギリシヤ人は観念主義に立ち、それぞれ自分本位の救い主を立てて、イエスがキリストであることを否定し、キリスト教を嘲笑する。この2つの傾向が教会内にも影響を及ぼしていることを意識しつつ、著者は信仰的現実主義ともいうべき福音の具体的な立場と理解とを主張し、霊に生かされた物質(肉)に聖餐のサクラメントの意味があり、これを指示する「あなたがたに話した」言葉が単なる「言葉」ではなく「霊」であり「生命」であること、つまり霊を担い、霊に充たされ霊を伝える言葉であり、生命の経験に根ざしまたこれを呼び出す言葉であると告げる。これが受けとれないのは「信じない者」である。救い主といえどもこういう人を信じさせることは出来ない。イエスの使命は信じない者を信じさせることではなく、神の意志に従って信じる者と信じない者とを現実に明白に分類することである。
「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」という言葉を繰り返すのは、人々の自覚をもう一度覚ますためであった。

67節
イエスを取り囲む人々、多くの弟子たちがイエスを見限って次々に離れて行くのを見て、12人の弟子たちもまた動揺せざるを得なかった。イエスもその空気を察して、弟子たちにかイエスは「あなたがたも去ろうとするのか」と尋ねた。これは悲痛な愛の追求である。
「まさか、お前たちまで行ってしまおうと思っているのではないでしょうね」という心持ちを表現している言葉である。これに対するペテロの答も、素直なそして真実な信仰の告白である。
私は20:26以下とこの箇所がヨハネ福音書における最も美しいそして心に迫る場面であると思う。同じ信仰の告白でも共観福音書におけるカイザリヤ・ピリポ途上のそれよりも内容的であり心が通っているように感じる。「永遠の命の言をもっているのはあなたです」。イエスは生命の言葉を持っている。彼の言葉は生命の喜びと躍動とを聞く者に与える。それは彼らのいまも否定できない経験である。彼の言葉の多くは理解不能、疑問が多くあったとしても、それとこれとは区別されなくてはならない。イエスが神から派遣され神の意志を求めこれを実現しようと生涯を捧げていること、「神の人」であることは間違いない。彼がメシヤであるか否か、どんな意味でメシヤであるかについてはなお疑問が残るとしても、キリストを求め、その信仰に立って神の国を待ち望むことに生涯の意義を認めようとした自分の人生の決断を棄てない限り、この人以外に誰を従うべき人がいるとは思えない。
一般の人々のイエスに対する信仰(むしろ人気)の減退とは逆に、12弟子たちの信仰が人格的関係として明瞭に自覚されて来たことをヨハネ福音書は対蹠的に描いている。「あなたがた12人を選んだのは、わたしではなかったか」。イエスが徹夜で神意を求めつつ祈って(ルカ6:12以下)選んだ12人に誤りはなかった。しかしかれの安堵と喜びの中にもなお、彼の心に重くのしかかる暗黒があり彼を当惑させている問題があった。「それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。ユダの存在と彼ゆえの悲痛な愛がイエスをキリストとしての地上の歩みを完うさたというのは言い過ぎであろうか。 

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