ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

平凡への強制

2009-08-10 14:54:47 | ときのまにまに
小林よしのりという漫画家は『東大一直線』でデビューし、『東大快進撃』とか『おぼっちゃまくん』などいわゆるぎゃく漫画で有名になり、その後『ゴーマニズム宣言』で、思想的な漫画を書くようになったとのこと。わたしが初めて彼の作品に接したのは『ゴーマニズム宣言』の初期の頃で、かなり衝撃を受けたことを思い出す。その後、漫画というスタイルにわたし自身がどうしてもなじめず、ほとんど彼に作品には触れなかったが、それでも彼が沖縄問題や教科書問題などで、社会問題にかなり保守的な立場から論陣を張っていることには注目していた。『東大一直線』から『おぼっちゃまくん』などの書名から見て取れるように、彼の第1関心事は教育問題にあるように思われる。
ともかく、『世論という悪夢』(小学館101新書)の中で、随所に教育問題に触れられているがとくに「おぼっちゃまくん化する子どもの現実」という論評は秀逸である。この作品は2006年の3月に執筆されているが、もうそのとき既に子どもの教育環境の格差ということに警告を発している。
この論評の中で、彼は「教育の本義は、『平凡への強制』である」と定義づけ、「エリート教育も否定しないが、大多数の子供が平凡に生きることに希望を持てる社会を作り出すことが大人の役割である」(118頁)という。彼のいう「平凡」な生活とは、真面目に働けば結婚して、子供を産んで、家庭を作ってそこそこの将来設計が立てられる」ということであり、大多数の人々はそういう「平凡への希望」を欲しているという。ところが現在の日本では「誰もが努力すれば報われる社会」になっていない。金持ちの子の努力だけが過剰に報われる社会になっている」と批判する。
この「平凡への強制」という言葉は強力である。ここでの「教育」という言葉を厳密に規定すると、それは教育一般というよりも「学校教育」であり、その中でもとくに「義務教育」を意味している。いわばすべての現代人は学校教育を通して「平凡への強制」を受ける「義務」がある。生まれたときから「平凡の強制」を受けずに、エリートとして一般社会から分離した(遊離した)教育を受けた人間がまともな社会人に成れるはずがない。その典型が「裁判官」で、その結果彼自身の本職である職場でわざわざ一般人の「常識」というものの援助を受けてしか判決を下せないという。これからは裁判官や高級官僚や政治家になりたいすべての人間に、彼がどういう「平凡への強制」を受けてきたが資格認定テストを行う必要がありそうである。

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